第十一話 下水道の亡霊
地下下水道――。
王都の至る所に根を張るこの下水道は魔物が棲み着く為に滅多に人など訪れる事は無い。
普段は魔物が外に出ないよう地下への入口は封鎖され衛兵によって監視されている。
その為ここに人が入るのは、冒険者ギルドが依頼したクエストを請け魔物討伐に勤しむか、清掃が必要な時だけ。
だがそれ以外の目的があるというなら、人には言えない何かを行っている者――。
彼等はその最後に該当する集団だ。
滅多に人が訪れないここは彼等にとって非常に都合のいい場所である。
魔物はいるが極端に強い魔物はいないし、定期的に人が来る時間も分かっているのでその間は身を潜ませていればバレる事は無い。
そうバレるはずは無かったのだ。
イレギュラーな事態さえ起きなければ。
「ったく、今日は冒険者どもが入ってくる日だろうが!周りをよく見てやれ!」
気を失い倒れた栗毛の少女の傍らから現れた男が怒鳴った。
ボロを着た少女を捕まえた男達はバツの悪そうな顔をして、すみませんと謝る。
「アニキ、こいつをどうするんで?」
集団の一人の男が倒れている栗色の髪の少女を指差す。
アニキと呼ばれたリーダー格の男は一考する。
「他の奴がいなかったのは幸いだが、見られたからには放っちゃおけねぇ。連れていくぞ。ここでバラせばすぐに冒険者に見つかるかもしれん。一端アジトに戻ってから時期を見てバラすぞ」
「へえ、わかりやした。……バラすんならあとで愉しんでも構いやせんよね?」
「まあいい、好きにしろ」
「へへっ流石、話がわかる!」
男達は下卑た笑いを浮かべ歓声を上げた。
身動きの取れない二人の少女をロープで縛り上げ、猿轡を噛ませた後、嬉々として抱えた。
幸い商品は十分に揃っている。商品は処女であったり、童貞である事を望む顧客が多いので、手を出されたら商品価値が下がるので部下には手を出させてはいない。
だから彼等にも多少なり不満が溜まる。
どうせ殺すのだし一人ぐらい奴らの息抜きにはいいだろうとリーダー格の男は判断した。
ボロを着た少女――こいつがアジトから逃げ出したお陰で厄介事が増えたが、まだ取り戻せる範囲だ。
早急にアジトに戻らなければ――そう彼は考えたのである。
彼女は貧民街から攫ってきた商品のうちの一人だった。
魔物が蔓延るこの御時世、魔物などにやられ身内を失った者や二親を亡くす子供は決して少なくない。
特に身寄りが無く働き口も無い子供の末路などほぼ決まっている。
まず受け皿になるのは孤児院だ。しかしその全てが救われるとは限らない。
孤児院の運営費や収容人数に限りがあるからだ。
そうした受け皿からこぼれ落ちたらどうなるのか。
野垂れ死ぬか或いは、盗みなど悪行に手を染めてしまうのが大半だ。
貧民街はそんな行き場を無くした孤児や、成長した彼等が住む場所なのである。
故に――国ですら完全には管理が行き届いておらず、子供が一人二人消えようが把握しようが無い。
そうした孤児達を攫い、顧客に奴隷として売り付ける――それが男達の仕事だった。
王国では奴隷制度を法で禁止している為この商売は違法である。
だが需要は存在するのだ。
単純に労働力として使い潰す者、性の吐け口とする者、禁忌というべきの邪法の生け贄や錬金術の材料とする者……いずれも表沙汰にできないような事ばかりである。
そうした顧客がいる限り、男達の商売は成立し、貧民街から存在を知られていない子供達が攫われ売られていく。
今回もまた納品日が近いので商品の仕入れに行き、アジトに監禁していた。
事前に収集した情報から冒険者がアジトのある下水道に来るので、見つからないように大人しくアジトに篭っていたのである。
ところが監禁していたはずの子供達が暴れ隙をついてアジトから外に数名逃走したのだ。
他のものはすぐに捕まったのだが一人の少女だけ捕まえ損ねてしまった。
ようやく捕まえ制裁を施している所を女に見られ気絶させ――現在に至るという訳である。
「待て止まれ」
リーダー格の男が部下達を制する。
リーダー格の男は耳を澄ませた。
下水に流れ込む水音とは別に異音が混じっている。
それは誰かがこちらに近づいている足音のようだった。
恐らく冒険者だろう。
栗毛の少女の仲間だろうか。
捕まえるかどうかリーダー格の男は迷った。
足音はか細く十字路の奥から聞こえてきた。こちらに気付くにはまだ距離がある。
捕まえるにせよ、やり過ごすにせよ誰かがいるという事を知らせるのはマズイ。
カンテラの明かりを消し、まずは暗闇に身を潜めやり過ごす事にした。
うまくいけば十字路でこちらとは別方向に向かうかもしれないし、ダメなら暗闇に乗じて襲えばいい。
そう判断し部下達にサインを送る。
部下達はその意図を汲み取り明かりを消し気配を消した。
足音が近付いてくる。
息を潜めじっと耐える。
カンテラを消した事で、次第に闇の中で目が慣れてきたので、夜目がきくリーダー格の男は目を凝らす。
ほんの僅かだがぼんやりと相手の輪郭らしきものが浮かび上がってきた。
輪郭や足音から考えても相手は一人。
ならば襲ったほうがよかったか――とリーダー格の男は内心舌打ちした。
……待て。何かおかしい――リーダー格の男に疑問が浮かぶ。
どうして相手の姿がぼんやりとした輪郭しか浮かび上がらないのだ?
下水道を根城にしている自分達ですらカンテラの明かりが無ければ長距離を迷わずに移動することは困難だ。
だが、これはカンテラの明かりで照らされたものではない。
真っ暗な中、実体がぼんやりと浮かび上がっただけに過ぎない。
つまり相手はカンテラを持っていないという事。
まさか――冒険者がカンテラ無しにこんな奥深くまで入り込んで来ることはかなり困難なはずだ。
下水道へのクエストを請けたなら当然明かりを用意するのが普通だろう。
じゃあコイツは一体何者なんだ。
何が目的でこんなところに来た?
まさか魔物なのか?
人型の魔物は数多く存在するが、こんな下水道にいるなど聞いた事が無い。
得体の知れない相手にリーダー格の男は困惑する。
その空気が伝わったのか部下達もまた不安げな表情を浮かべた。
その未知の人影が十字路まで来た。
そのままこちらに来ずに立ち去れ――と彼等が念じる。
だが願い虚しくぴたりと足音が止んだ。
どうやら人影は十字路で立ち止まっているようだった。
(迷っているのか、畜生。とっとといなくなれよ!)
リーダー格の男は心で叫ぶ。
何か得体の知れない存在は微動だにしない。
(もしかするとこちらに気付いているのか?だとしたらどうして何も仕掛けてこない?)
彼に焦りの色が浮かぶ。相手が何を考え立ち止まっているか見当がつかないからだ。
時間が経つ感覚が鈍くなる。
得体の知れない何かが訪れてほんの僅かな時間しか経っていないのに長時間この場に囚われているかのような感覚に彼等は襲われていた。
呼吸が荒くなりそうなのを必死に抑えている。
何故こんな状態に陥っているのか心の中で自問自答さえしている男もいた。
そんな中、人影が動いた――。
いや消えた!
一体これはどういう事だ――彼等は混乱の極致に至る。
相手は一体何をしたかったのかはわからない。
まるでアンデッドとは異なる不可思議な亡霊にでも出会ったような気分だった。
間違い無く辺りには気配が無く得体の知れない何かがいなくなったのは確かだ。
「おい、早く明かりを付けろ!」
リーダー格の男が声を荒げ催促する。
カンテラに明かりが燈り辺りを照らすがやはり何も無かった。
緊張が解け、大きく息を吐く。
その場にいた全員が腐敗臭がして新鮮ではないけれど、少しでも空気を取り入れたかった。
「とにかくあんな訳のわからねぇ奴とは関わりたくねぇ。とっととずらかるぞ」
一堂が賛同し歩き出す。
アジトに戻る為に十字路を通過した。
ポチャン――。
背後で音が響く。
まるでそこに何かが投げ込まれたかのように。
恐る恐る背後を振り返る男達。
そこには人――。人がいた。
まさか、有り得ない。
気配も何も無かった。
ましてや先程通って何も存在しなかった事は確認している!
「ひっーー」
恐怖の余りカンテラを持っていた男がカンテラを落とす。
辺りは再び闇に包まれた。
間違いない。さっきいた得体の知れない何かだ――全員が確信する。
だが今回は前回と違った。
一歩ニ歩とこちらに近付いてくる。
「くそっ」
リーダー格の男が亡霊に向かってナイフを投げた。
まだ目が慣れていないため、相手の姿がよく見えないが位置をおおよそ予想した投擲なので外すはずがない。
水音もしているのだからナイフは当たるはずだ。
しかしナイフは空を切った。
何か激しい水音が響く。まるでそれはその人影が今しでかした投擲行為に対しての激しい怒りを表すかのように水面に八つ当たりして叩いたかのような音だった。
ダメだ、これには何をやっても敵う気がしない――男達は戦慄する。
正体不明の亡霊はそのナイフを敵対行為と判断したのだろう。
先程までのゆったりとした歩みではなく早足で向かってきた。
――お前達は敵対した。容赦はしない。
捕まれば――死ぬ。
正体不明の亡霊は間違い無く自分達を狙っている。
捕まれば凄惨な骸と化してしまうだろう。
自然とそう考え男達は恐怖に震え歯をガチガチと鳴らした。
一人後退り、呼応するかのように一人、また一人と後退る。
もはや思考は完全に恐慌状態に陥っていた。
「うわあああああーーっ!」
一人が悲鳴を上げ逃げ出した。
恐怖は伝播し、皆一目散に逃げ出す。
だが正体不明の亡霊はついて来る。
逃さないとでも言わんばかりに。
男達はその魔の手から必死に逃げようと精一杯走った。
暗闇で恐怖に縛られた状態ではどこに逃げているのかわからない。
だが立ち止まればたちまち餌食になる。
悪事に身を委ねている為、まともな結末を迎えるとは思えないがこんな終わり方は真っ平御免だ。
ともかく亡霊から距離を空けたい彼等は闇雲に下水道を駆け抜けた。
――どのぐらい走っただろう。
まだ水音は聞こえてくる。
彼等の精神的な疲労は最早ピークを迎えていた。
早くあの亡霊から逃げこの暗闇から抜け出したい、だがどうすれば――その思考が占めている。
「アニキ、前を見てくだせぇ!」
遠くに少し明るくなっている場所が見えた。
あそこに行けば助かるのではないか――そんな藁をも縋るような救済を求める考えが一同に沸き上がる。
「よし、あそこまで逃げるぞ!」
リーダー格の男の号令に男達は最期の力を振り絞り駆け出した。
ようやく明るい場所に辿り着く。
階段を駆け登った後は疲労によって一斉に崩れ落ちるように倒れた。
汗がダラダラと流れ深い呼吸を繰り返す。
もう歩く力すら残っていない。
だがその甲斐あってかあの亡霊は追い掛けてこなかった。
全員が安堵して笑いすら起きている。
「あーーお前らちょっと聞きたいんだが」
もしかして亡霊かと思い、彼等はぎょっとする。
だが声をかけてきたのは冴えない中肉中背の男だった。
なんだ驚かせやがって――と警戒を解いた。
「そこの女はうちのギルドの職員でな。あんまり遅いから冒険者連れて捜しに来たんだが。なんでかお前達と一緒にいる。しかも気絶させられた上縛られているようだな」
男達の周りには冒険者と思われる者がぐるりと囲んでいた。
「状況はわかったか?じゃあ、納得のいく説明をしてもらおうか」
冴えない男の底冷えする声に、男達は新たな恐怖を刻まれるのであった。
俺は後悔していた。
連れられてきた所は下水道だった。
請けたクエストはウェアラットの駆除。ネズミ狩りである。
ウェアラット自体はレベルが1~2程度で倒すのには問題が無かった。
むしろ自分のレベルを考えたらこんなクエストを請けるべきでは無いだろう。
しかし一度請けた以上、きっちり終わらせようと下水道に入ったのだ。
けれど下水道入口は他のプレイヤーがかなりいて、ウェアラットを倒すには効率が悪くクエストクリアのノルマが達成出来そうに無かった。
そのため人が余りいない奥にいって狩ろうと考えたんだが……。
ゲームの中って疲れはしないし、痛みも振動しかないんだけど臭いはまるまる感じる仕様だった。
下水道は忠実に再現されているようで、とても臭いが酷い。
毒の中を歩いているような気分で吐きそうだった。
とにかく早く済ませようと奥に進む。
明かりは無かったけどマップウインドウがあるし、左手の法則みたいに壁伝いに歩けば大丈夫だろうと思ったのである。
尤もすぐにこの考えが甘い事に気付かされたが。
マップウインドウがあれば現在の位置もわかるし出入口もわかる。だったら何故この考えが甘いのか想像がつかないかもしれない。
答えは単純である。
マップウインドウに表示されない障害物があるからだ。
マップウインドウはあくまで大まかな地図に過ぎない。
だから下水道のゴミなんか表示されないのである。
だから必然的に――。
バシャン――。
ゴミに足を取られて倒れてしまうのだ。
明かりがあれば、ゴミを避けてこんな下水に塗れる事も無かっただろう。
しかし無い以上仕方が無い。
今後は洞窟や暗闇の中で冒険する事もあるだろう。
松明なりカンテラなり照明用具は必要だな。
とっととクエストを終わらせたい。
ただそれだけを考えてネズミ捜しに勤しむ。
けれど十字路に差し掛かった所で限界だった。
――新鮮な空気が吸いたい。
こんな腐臭のする場所にいたくはない。
立ち止まって考える。
幸いノルマもあと少しだ。
戻っている途中で狩れるのではないか――と。
方針を曲げ入口に戻ろうと決意する。
それまでは我慢だ。
――とりあえず一旦新鮮な空気を吸いに出るか。
俺はそう思いログアウトした。
はー、生き返る。
ヴァルギアを外し深呼吸をした。
下水道で耐え切れなくなれば新鮮な空気を吸いに一旦ログアウトしていたのだ。
ちらりと時間を見る。
そろそろクエスト終了の時間だな。
充分に空気を補充した後、覚悟を決め下水道に戻った。
下水道に戻ると、近くにプレイヤーが何人かいた。
プレイヤーの一人が光源を落とし暗くなる。
どうしたんだろうか。
疑問に思うがとっとと引き上げたかったので入口へと移動する。
しかし、下水道のゴミに足を取られてしまい、盛大に転んでしまった。
くそ、他のプレイヤーの前で恥ずかしいなあ、もう!
暗闇だから気付いていないといいんだが。
何かがひゅんと頭上を通り過ぎたような気もしたがマップウインドウを見る限りモンスターはいない。
気のせいだろう。
もうこんな所は嫌だ。一刻も早く脱出しなくては。
起き上がると足早に入口へと向かう。
プレイヤー集団も入口に向け駆け出して行った。
もしかするとさっきこけたのに気付いて、こちらに気を遣って離れてくれたのかもしれない。
ありがたいやら恥ずかしいやら複雑な心境だ。
まあいい、急いで入口に向かおう。
途中でウェアラットがいたのでそれを何匹か狩りノルマを達成した。
ようやくクエストクリアだ。
入口に戻るとギルド職員ぽい男の人がいて、無事クエスト達成した事を報告した。
だが、どうやらクエスト受注に問題があったらしく先に謝られた。
やっぱり不自然に感じていたが、このクエストの受け方はバグのようだ。
この人はギルド職員かと思ったがこの人は円滑にゲームを進めるようサポートするよう運営側が操作しているキャラクター、所謂GM(ゲームマスターの略)のようだ。
お詫びに通常の報酬以上を貰う事ができた。
なんか得した気分である。
……それにしても周りが何やら慌ただしいけど何かあったんだろうか。