第十話 地下下水道
王都マウクト――。
カスタル王国の首都に当たるこの都は、メールディアすら霞む程広大な都市だった。
中央に位置する王都の象徴というべきお城を中心とし、放射状に広がる城下街には一体どれだけの人が住んでいるのだろう。
流石に百万人もいると思うことはないが、露店を開いているような通り道は活気に溢れ人でごった返しており、軽く人酔いしてしまう位だ。
これだけの大規模な都市を創るのにどれだけの時間を要すればいいのだろうか。プログラムなどに詳しくはない俺ではただ漠然と凄く時間がかかるだろうという想像くらいしかできない。
「何十年もプレイヤーを飽きさせない。もう一つの異世界を本気で創造した」とゲーム運営会社のプロデューサーがインタビューで強気の発言をしていたのを思い出す。
彼の言葉に偽りは無く、開発会社は間違い無くゲームに異世界を創り上げてしまったのだ。
世界初のVRゲームだからこのゲームは凄いんじゃない。
開発会社のスタッフが凄いからこのゲームは凄いんだ。
それに実際MMORPGは意外にも寿命が短い物が多い。
数十年もサービスを継続するロングセラーのゲームなどごく稀だ。
人気が出ずにサービスを開始して一年以内に終わるものもあるくらいなのだから。
中には開発中と銘打って雑誌やネットで取り上げられたゲームが開発費が下りずそのままフェードアウトすることだってある位だ。
そう考えると、これだけ世界を創り込んだ――余程予算をかけたであろうこのAnother Worldは本気でロングヒットを狙ったMMORPGと言えるだろう。
初のVRゲームという肩書が無くてもこれは間違い無く流行ると俺は思う。
事実、ネットの評判は上々だ。
「まるで本物の異世界にトリップしたようだ」、「自由度高すぎ。色々やりたい事が多過ぎて困る。時間足りない」、「開発会社本気過ぎワロタ」、「最近現実に帰るんじゃなくて出かけている気がする」など反応が頗るいい。
だから正式サービス開始を望む声も高い。
現在の人数制限を課してるクローズドβの期間は残り一週間を切った。
大きなバグが無い限り延長される事も無いだろう。
それ以降は人数制限の無いオープンβテストに移行し、そのテストが終われば正式サービスの開始となる。
まだ正式サービス開始時期は公表されてはいないが、そう遠くない日になるかもしれない。
それはさておき。
このマウクトの城下街は狭い通りが多く入り組んでいて迷う事請け合いである。
マップウインドウの御蔭で何とか自分が何処にいるかわかるが無ければ人の波に飲まれて居場所がわからなくなっただろう。
観光気分でぶらついてわかった事だが、この都市は大きく分けて城から近く貴族が住んでいそうな豪邸が見える区画、メールディアでも見かけたような一般的な家が建ち並ぶ区画、目付きの悪い如何にもな男達や娼婦のような女性がいる貧民の区画と別れている。
尤も豪邸のある区画は壁に覆われ入口には警備兵が詰めていて、入口から中の様子を伺う事はできたが許可無く入る事はできなかった。
当然壁の中にある城にも気軽に行けるようにはなっていない。
まあ一部のRPGのように気軽に誰でも城に招き入れるようなフレンドリーな王様ではないんだろう。
普通に考えればそちらのほうが珍しい、いや有り得ないわけだし。
恐らく何らかのクエストを請けないと中には入れないはずだ。
暫くはここの事は保留にしておこう。
では早速王都まできた目的を果たそうか。
まずは道具屋。
霊薬と最上級のポーション、マナポーションは販売されていなかったけど、その他のポーションは販売されている。
ここに来る途中でポーションはほぼ使い切り残りは最下級ポーション二つだけだったから、これ幸にと中級ポーション、マナポーションを買い貯めしておく。
一つにつき銀貨一枚なのだからそれぞれ現在の全財産は金貨二枚と銀貨十五枚。
二十ずつ買うとなかなか痛い出費だ。
装備品は取り揃えられるだろうか。
甘かった――。
武器屋、防具屋も覗いてみたが、品揃えはメールディアより余程優れてはいるが、性能がいい物になると高すぎて手が出せないものもたくさんある。
ここは暫く王都を拠点に稼ぐ他無いだろう。
銅の腕輪と革のブーツだけ購入しほんの少し防御力を上げてクエストを請けに冒険者ギルドに向かった。
冒険者ギルドの入口は十人ほど若い男女が並ぶ行列が出来ていた。
これは受付待ちの行列なのだろう。
王都だけあって冒険ギルドに溢れ返るほどの人がいるようだ。
仕方ない、並ぶとするか。最後尾に立つ。
そういえば日本人は外国人から驚愕するほど統率が取れた行列好きの人種と認識されている。
災害時でも暴動を起こさず秩序を保ち行列を作って買い物や配給を受けているのは世界的にも賞賛される事だそうだ。
MMORPGでも秩序を重んじる日本人は行列を作る事がある。
例えばクエストで数が限られたモンスターを討伐する時などだ。
行列を作ることで、クエストを効率良く消化させ、他プレイヤーからの割り込みを防止する事ができる。
そこで割り込んでしまったらネットに晒されたりしてノーマナーなプレイヤーとして扱われるわけだ。
こうした光景は海外のMMORPGではお目にかかれ無いらしく、「ゲームの中にまで行列を作るなんて日本人はおかしい」、「実はロボットじゃないか」などと奇妙な光景に見えるらしい。
恐らく海外では全て割り込みありの早い者勝ちの世界なんだろう。
こうした所にまで秩序を保とうとするのはもはやお国柄としかいいようがない。
まあ確かに剣や鎧など武装したメンバーがびしっと大行列を作っているのを見れば異様に見えるだろう。
それにモンスターの立場から考えると出現した瞬間に自分を倒そうとするプレイヤーが並んで待ち構えているのだから、嫌気がさすかもしれないが。
「そろそろ時間ですね。今いるのは十一人ですか。では、こちらに着いてきて下さい」
ギルドの職員だと思われる女性が声をかける。
ようやく受付の順番が進んだのだろうか。
女性に先導されぞろぞろと冒険者ギルドから離れていく。
そう離れていく?
混雑しているから別の場所で受け付けてくれるのだろうか。
そのまま女性は郊外へと向かいとある石造りの建物に入る。
成る程、ここでクエストを受け付けてくれるのか。
建物の中は鉄格子に覆われた地下に続く階段があるだけだった。
ギルドの職員らしき人影もいない。
女性は鍵を取り出して鉄格子の扉を開き、中へ誘導する。
「ではニ時間後にここに集合してください」
え、ここでギルドの受付をするんじゃないのか?
まさか、この行列は冒険者ギルドの受付待ちの行列じゃなくて、別の行列だったのか!?
やばいどうしよう。
そう思考している間にガチャンと扉が閉まり、スタスタと女性は帰ってしまった。
……もう手の打ちようがない。
二時間待つか?
でも人数にもカウントされているし、クエストをこなさないとダメなのかもしれない。
イベントウインドウを確認すると新規のクエストが追加されていた。
最早やるしかないだろう。
……今度から行列に並ぶ時はキチンと何の行列か確認しよう。
カスタル王国の王都マウクトの冒険者ギルドは王国でも給金の高い職場の一つとして有名な職場の一つだ。
ただし給金が高いと同時に職務内容は激務といっていい程過酷である事も知られている。
王国の総人口の三割が王都に集中しており、周辺の村人や貧民が成り上がる為に王都で冒険者になる事も多いので、必然的に取り扱うクエストや集まる冒険者の人数も相当な物になってしまうからだ。
優秀なギルド職員がてきぱきと滞りなく処理をしているから何とか問題無く業務が円滑に進んでいるのである。
だがそんな優秀な職員ばかりいるはずの職場に一人だけ問題児がいた。
「先輩、冒険者の誘導終わりました!」
新人のニーナだ。
栗色のショートカットの彼女は容姿に似て元気で明るいその性格であり、周囲によい印象を持たれる掛け替えのない資質だろう。
ただし彼女は致命的にドジな面を持ち合わせてもいる。
「おう、お疲れさん。キチンと誘導できたか?」
労いの言葉をかけたのは、彼女の指導を任されているモーリスだ。
また彼女がドジをやらかしていないか不安ではあったが、忙しさもあり下水道のクエストを請けた冒険者の誘導を任せたのである。
「はい、キチンと十一名を下水道に誘導して来ました!」
十一名――その報告を聞いた途端、モーリスの顔が厳しくなる。
「この馬鹿!なにやってるんだ!」
「痛っ!」
モーリスのげんこつが飛び、ニーナは目をチカチカとさせて頭を抑えた。
モーリスは続けざまにクエストの依頼書を突き付ける。
「クエストを請けたのは十名だけだ!どこかで誰かが紛れ混んでいるぞ」
「ええっ、そんな!?」
慌てて書類に目を通すもモーリスが言った事が事実であると証明されるばかりであった。
「全く連れていく前にキチンと点呼とかして確認したか?」
「……あっ!」
「はぁ……。取り合えずひとっ走りして確認してこい。下水道ぐらいなら滅多な事にはならんだろうし」
「うっ……わかりました」
「あと帰ったらもう一度説教な」
これから下水道に潜らなければならない事に顔をしかめていたニーナはがっくりと肩を落とした。
王都の地下下水道には定期的にウェアラットのような下級の魔物が発生する。
一体一体は非常に弱く脅威になることなど滅多に無いが、わざわざ下水道に入り込む冒険者も少なく放置して下水道から魔物を溢れ出させるわけにもいかない。
そこで地下下水道のウェアラット退治を新人の試金石のクエストとして請けさせているのだ。
ニーナはカンテラを持ちながら先程連れてきた冒険者達を探す。
入口付近にいた五人を確認したら全員受付を通した面々だった。
どうやら入口付近にはいないらしい。
覚悟を決め奥へとズンズン進んでいく。
ハンカチをマスク代わりにしても下水道特有の腐臭はなかなか軽減されなかった。
カツーンカツーンと一人分の足音が響き不安を掻き立て、臭いと合わせて彼女を涙目にする。
時折遭遇したウェアラットをやり過ごしながら奥へ奥へと進むのだった。
暫く歩くが一向に見つからない。
暗闇の狭い空間の中、時間の感覚が次第に薄れていく。
このままでは入口で待ったほうがよいのではと引き返す事を検討し始めた時だった。
前方からぼんやりと光が見える。
ようやく他の冒険者を見つける事ができた。
弱気になりかけていた気持ちが一気に持ち直され、光に向かって駆け出す。
理不尽ではあるが一言ぐらい愚痴を零したい気分だった。
明かりが近付くにつれ次第に相手の姿も見えてくる。
声をかけようとした瞬間、彼女の視界が捕らえたのは――。
粗末な服を着た少女の姿と、その少女を殴る男達。
思考が止まる。
一体これはどういう事だ。
ただあきらかなのはここにいては危険だという事。
人を呼ばなければ――。
ガッ――。
後頭部に衝撃が走る。
彼女はそこで意識を落とした。