第一話 チュートリアルは無いのか
12/05/27
加筆修正
科学技術というのは日進月歩で進化し、様々な分野で利用されている。
ゲーム業界もまたその時代の流れを受け最新技術を使ったゲームが台頭した。
VRMMORPG「Another World」――。
世界で初めてVR技術を取り入れたネットワークによる多人数参加型オンラインRPGである。
世界観は剣や魔法を駆使して凶悪な怪物を倒すといったオーソドックスな中世ファンタジーのゲームだ。
VR技術によって創り出されたリアルな仮想世界を舞台にビルに匹敵するような巨躯な怪物達を相手に剣や魔法で戦う――そんな大迫力の映像に魅せられる者は多い。
俺もその一人だ。
この間テレビでVRMMORPGの特集が放送された時、巨大なドラゴンを相手どり騎士や魔法使いが立ち向かう王道すぎる光景が今でも忘れられない。
絶対やろうと心に決めたのだった。
しかしVR技術が娯楽に進出したばかりなためか、遊ぶのに必要なVR装置のヘッドギア「ヴァルギア」は非常に高価な代物。
通常のパソコンの倍の値段はするようなものだったのだ。
とてもではないが一般庶民の高校生でしかない俺にはなかなか手が出せるようなものではない。
泣く泣く諦めかけたその時、とあるネットの記事を見かけた。
『「Another World」βテスター募集』
MMORPGは導入前にサーバーへの負荷やバグの確認やゲームバランスの調整のために一部の一般ユーザーをテスターとして募集することが多い。
Another Worldも例に漏れず一般からテスターを募るようだ。
しかし、高価なヴァルギアを所持している人間は限られているし、ヴァルギアがなければテストなどできない。
だからテスターから抽選で200名にヴァルギアを進呈する――そんな募集がかけられたのだ。
この公募は恐らく数千、いや万単位のゲーマーが一縷の望みをかけて縋る細い糸のようなものだ。
だがしかし、もしかしたら――そんな淡い期待を抱き俺もまた一縷の望みをかけたのだった。
そして今日――βテスト開始日。
この日俺は念願を果たしVRMMORPGの世界――Another Worldの世界へと足を踏み入れたのだった。
――おお、これがAnother Worldの世界か!
初めての仮想世界にログインした先は森の中だった。
風に揺れる木々や微かに鼻腔をくすぐる青々とした香がもしかするとここは現実世界なのではないのかと錯覚してしまう。
一体どのような仕組みでこのような現象が起きるのか全く想像がつかない。
ヴァルギアと一緒に送られてきたマニュアルはあくまで設定と基本操作だけしか載ってなかったし、技術的なことは理解不能だったしな。
まあいつまでも呆けていても仕方ない。テスターらしく色々やってみるか。
まずは基本操作――ステータスなどの各種ウィンドウの表示方法だ。
これは確認したいウィンドウを念じれば半透明の画面が表示される仕組みになっている。
ウィンドウにはキャラクターの状態を確認するステータスウィンドウ、所持しているスキルを確認するスキルウィンドウ、進行中や完了済のイベントやクエストが表示されるイベントウィンドウ、所持しているアイテムを表示・装備するためのアイテムウィンドウ、周辺や世界の地図が見れるマップウインドウなどがある。
一通りウィンドウを確認した所特に確認できないウィンドウは無く問題はなさそうだ。
ついでに所持アイテムをチェックする。
事前に装備しているのは布のシャツとズボン、皮のサンダル、あとは背丈程もある長細いオーク材の杖だ。
それに加えHPやMPを回復させる最下級ポーションを各5本ずつ持っているらしい。
因みに初期装備が剣やナイフではなくて杖なのか――これには理由がある。
Another Worldではゲーム内で動作する際のキャラクターを作成しなければならない。
その中にはキャラクターの職業を選択する必要があるのだ。
職業は例えば剣や盾を駆使して戦うウォーリアー、弓を得意とするアーチャーなどが存在する。
最初はウォーリアーを選ぶつもりだった。
だがマニュアルを読んだ時にふと疑問に思ったのだ。戦う際に剣も触った事も無い人間がちゃんと戦えるのかと。
考えても見てほしい。
俺はせいぜい体育で剣道をかじった程度の、いわば剣技の素人といっていいだろう。
そんなずぶの素人がVRでよりリアルとなった戦いに置いて、剣を振り回している光景を。
……どう考えても不様で格好悪い光景しか思い浮かばない。
そんなやる気を無くすような光景は現実の授業だけで十分だ。
テレビや映画の殺陣が映えるのは、役者がそうした見栄えをよくするための訓練を受けているからに過ぎない。
だからこそ俺はマジシャンを選択したのである。
マジシャンは取得できる大半のスキルが魔法のスキルだ。
だから近接攻撃は殆どないので、変な行動をしなくて済むだろう。
またスキル使用時に杖が必要になるため、魔術師の初期装備が杖なのである。
まあそれはさておき、アイテムの出し入れも確認しておくか。
アイテムは必要なアイテムを念じればアイテムウィンドウから取り出すことが出来、入れる場合はそのアイテムを手に触れて念じればアイテムウィンドウに戻る。
ただ収納可能なのは各アイテムを見た際にアイテム詳細ウィンドウが表示されるものだけで道端の小石は対象にはならなかった。
大体の操作方法の確認を終え改めて辺りを見回す。
――それにしてもここは何処だ?それに人がいない?
βテスト開始日なのに周辺には人っ子一人いない。
テスターはたしか1000人はいたはずだ。まだ始めたばかりのゲームに人がいないのは少し奇妙に感じる。
それに旧来のMMORPGのようにユーザーに操作やルールを理解させる為に初心者用のチュートリアルがないというのも変わっている。
まあチュートリアルがないゲームも有るには有るし、βテストには存在しないだけかもしれないな。
ここにいても何も出来ないから移動しよう。近くに町かなにかあるかもしれない。
そう思いマップウインドウを表示し移動しようと一歩踏み出した途端、甲高い若い女性の悲鳴が聞こえてきた。
もしかするとこれは何かのイベントなんだろうか?
タイミングからして移動開始がキーになってイベントが発動するのかもしれないな。
ならば乗るしかない、このイベントって奴に!
あまり離れた場所ではなかったらしい。
二~三分も経たないうちにその声の主であろう少女を見つけた。
赤毛で髪を団子に束ねた青いロングスカートの少女だ。
怯えきった少女を前には涎を垂らす飢えた狼達がいる。
恐らくこのイベントは少女を狼から救出しろ――そんな類のイベントだろう。
狼はレベル1~3の低レベルモンスターが5匹。
これならばレベル1の俺でも十分に倒せる……はずだ、多分。
これが恐らくチュートリアルのイベントなんだろう。
だとしたらチュートリアルのモンスターが強すぎる事はないはずだ。
それに序盤のレベル1~2差程度なら大差ではないし最悪ポーションを使えば負ける事はないだろう。
少なくとも前にやったMMORPGはそうだった。
初戦闘を前に緊張が走る。マジシャンは後衛の戦闘職だ。
こうした職業は大概他の戦闘職と比較すると紙装甲と揶揄されるほどひ弱な職である。このゲームでも恐らくそうだろう。
あまり複数の敵を一度に相手にするのは得策ではない。
ならば距離が離れたこの場から不意を討ったほうがいい。
マジシャンのスキル「マナ・ボルト LV1」。
敵単体に対しステータス「知能」分のダメージを与える無属性の魔法攻撃である。
元々知能の高いマジシャンであればそれなりのダメージになるだろう。
敵のHPがどのくらいかはわからないがさほど高くない――はずだ。
大丈夫、勝てる――そんな念を込めてレベル1の狼に杖を向けスキルを発動した!
紫の電撃が狼を捉える。ギャン――と断末魔をあげ狼は倒れた。
一撃か、これは勝てる!
流石に仲間を攻撃されたからか標的がこちらに移る。
マナ・ボルトは最初に覚える魔法だけあって比較的スキル使用時に消費するMPが少なく、スキルの再詠唱時間の時間は1秒にも満たない。
続け様にマナ・ボルトを使いレベルが低く体力が低そうな狼を順に狙い撃っていった。
――流石にレベル3の狼は一撃では倒せず、2撃目が必要だった時はあと一回分のマナ・ボルトしか使えず焦ったが。だが総ての狼を攻撃されるまでに倒せたので結果オーライと言えよう。
結構敵は弱めに設定されているようだ。
流石最初のイベントだけあって難易度が低いな。
あと5匹の狼を倒した事でレベルがあがった。
倒し終えNPCとおぼしき少女に視線を送る。
しかし――今更だが彼女は本当にNPCなんだろうか?表情はAIで操作されているようなNPCよりはむしろプレイヤーのようなリアルな反応だ。
リアル過ぎるというのも考え物なのかもしれない。
ずっと視線を送っていると彼女の顔に変化が見られた。……戸惑っている?
その上イベント終了の報酬も次のイベントへの誘導もない。
そうだ!イベントウインドウを調べればこれがイベントかどうかわかる!
そう思い慌ててイベントウインドウを確認する。
……やはり載っていない。
だとすると二つの可能性があげられる。
一つはイベントを開始するための条件が足りないこと。
レベルや種族・職業によってはイベントが発生しないことがある。
だが難易度は低いし、こんな序盤のイベントがいきなり種族・職業別のイベントとは考えにくい。
もう一つはイベントとは無関係で彼女がプレイヤーであり、襲われていたのではなく狩りを行っていた場合だ。
だがこの場合は非常にまずい。
MMORPGではパーティーなどの例外を除き、狩りの獲物を奪うことはマナー違反である。
どうしたものかと悩んでいると――くすりと少女が笑った。
――やはり彼女はプレイヤーだ。
だとするとこの笑いは何なのか。まさか俺のノーマナーなプレイについてネットで晒すネタが出来たと思ったのか。
そんな事をされたら今後このキャラクターで遊ぶ際、周りから後ろ指をさされるだろう。
くっ、だが悪いのはこちらだ。晒されても仕方ない。
「……済まない」
まずはちゃんと謝らないとな。
そして気まずいからとっとと離れようと踵を返す。
「待ってください!あの……お名前を教えて下さい」
……謝ったが彼女には許される行為ではなかったらしい。怒りの沸点が低い人のようだ。
黙っていれば名前は晒されなくて済むかもしれない。
だが俺はもうどうなってもいいやと観念していた。晒されたら最悪キャラクターを作り直せばいいわけだし、始めたばかりの今なら十分に取り返しがつく。
「……ケイオス」
自分のキャラクター名を答え、そのまま俺はログアウトした。
初めてのAnother Worldの世界で失態にその日は一日中凹んでいたのだった。
翌日、気になってネットの掲示板にあるAnother Worldの晒しスレッドを覗くが結局俺の事は晒されていなかった。
彼女はなんで晒さなかったんだろう?晒す気では無かった……?
ま、まさか友達になりたかったのか!?
……しまった。ただでさえ敷居の高いVRMMORPGのβテストのため俺の友人は誰一人やってなどいない。
彼女もそうだったんだろう。ただでさえ口下手で友達が少ないのに俺はなんてチャンスを逃してしまったんだ!
……もしかすると彼女はまだあの周辺でまだ狩りをしているかもしれない――そんな期待を密かに持ち、キャラを消さず周辺で狩りをしたのだが結局彼女とは会えなかった……。
腹いせに周辺の狼達を蹴散らしたけど憂さは晴れない。
……今後はもっと人との出会いは大事にしようと思う。
カスタル王国の南西部に位置するカロの村は人口200人の王国の村の規模としては小規模の村だ。
特筆した産業はなく農業を主体とした長閑な辺境の村の一つに過ぎない。
「それでその話は本当なのか?」
50ほどの壮年の男――カロの村長は苦虫を潰したような顔で青年に問い掛ける。
「ああ本当らしい。まさか街道にフォレストウルフが現れるなんて」
昼前に傷だらけの商人から聞き出した話は村民に衝撃を与えた。
フォレストウルフ――本来森の奥に棲息する狼の魔物である。
狼としては余り強くはなく一匹相手であれば大人なら追い払うことは可能だが、基本的に群れを成すため厄介な魔物である。
そんな魔物に街道を押さえられたというのは大問題だ。特に産業もないこの村にとって街との交易は必要不可欠である。
このまま事を放置していればいつかは干上がるだろう。
「やはり噂は本当なのだろうか」
街からきた商人から聞いた話でしかないのだが王国で密かに流れている噂――。
邪神復活――。
遥か創世の時代に神々によって封印された旧い邪神が復活し、魔物や魔族の活動が活発化しているらしい。
そう考えればフォレストウルフが人里近くまで姿を現すのもつじつまが合う。
「ともかく他のものにはフォレストウルフが近辺まで出没していることを話しておかねば――」
「村長!」
扉を壊す勢いの少年の来訪。話を遮られた村長は少年を見遣る。
「なんだ騒々しい!」
「それがリラが野草摘みの出先でフォレストウルフに襲われたって――!」
「なんだと!?」
その少年の報告はその場にいた大人達を大いに震撼させるものだった。
カロの村人は時折薬草や食料を求めに森の中に行く事がある。村娘のリラとシンシアの姉妹もそれが目的だった。
村からも近く森の奥地に入らなければ魔物の危険性もない為、姉妹二人きりである。
だが今日はいつもと違ったのだ。
「シンシア静かに、何かいる」
不穏な気配を感じ赤毛の14歳の少女リラは妹の手を握り茂みに隠れ様子を伺う。
そのリラを2~3歳幼くした容貌のシンシアは姉の真剣な表情を見て素直に姉の言うことに従った。
風上から鼻をつく獣の臭いがする――まさか――願わくばそうであって欲しくないと祈りつつ、息を殺して気配を探る。
だが残念な事に彼女の予想は当たっていた。過去に散々両親から注意を受けていた魔物の姿がそこにあったのだ。
フォレストウルフ――しかも五匹も!いや五匹で済んだというのが幸か。
どうやら群れから離れているようで他の狼がいないのは僥倖と言えよう。
更に向こうはまだこちらに気づいておらず風下にいるため見つかりにくい。このままやり過ごすことだってできるはずだ。
緊張と恐怖でシンシアの手を握る力が強くなる。大丈夫だと言い聞かせるようにリラはその手を強く握り返した。
2匹がその場を離れようとしている――このままいなくなれ――とリラとシンシアは懇願する。
ふと5匹の中で最も大型のフォレストウルフが姉妹が隠れている茂みのほうを見つめた。
――その時のフォレストウルフはただ微妙な違和感を感じただけで彼女達を認めたわけではない。ただ本能――勘が働いた程度だ。
何もなければ他の狼達と共にその場を離れていただろう。
だが彼女達にしてみれば溜まったものではない。胸を締め付けるような恐怖に襲われる。
姉であるリラはなんとか堪えることはできた。しかし――。
「―――ひっ!」
妹のシンシアは堪えきれない。見透かされたような瞳に飲まれ悲鳴をあげてしまう。
――そしてそれは狼達の耳に届いてしまった。
耳をピンと立て十の瞳が姉妹達のいる茂みを貫く。
「シンシア立って!逃げるよ!」
いち早くリラが声をあげ姉妹は一目散に走り出す。
それに呼応するかのようにフォレストウルフは唸り声をあげ追い掛けはじめた。
フォレストウルフと姉妹との距離は開いてはいる。しかし人と狼ではいかんともしがたい速度の差があるのだ。
このままでは瞬く間に姉妹は餌食になろう。リラは迷うことなく最も生存確率の高い案を思い付いた。リラは立ち止まる。
「シンシア、そのまま走って村まで逃げな。私はここで狼達を食い止めるから」
「――だめっ、そしたらお姉ちゃんが!」
「大丈夫。お姉ちゃん適当にあしらったら逃げるから!だから早く村の皆を呼んできて!」
シンシアは暫し逡巡する。
「早く!」
姉に急かされビクリとし涙目になりながらシンシアは村へと駆け出した。
これでいい。最悪でも妹は助かる。姉としての責務を果たした事にほんの少しだけ安堵した。
だがただでやられるわけには行かない。木の枝を折り武器にする。
フォレストウルフを怯ませた隙に逃げ出せばもしかすると助かるかもしれない。
追ってきたフォレストウルフ達がリラを囲む。このまま注意を引き付けて妹が逃げ切る時間を稼ぐ。
姉としての悲壮な覚悟が恐怖で竦みそうな足を奮え立たせた。
「あああああああーーーっ!!」
悲鳴にも似た声を上げつつ狼達を威嚇する。
フォレストウルフが牙を剥いて襲い掛かった。その狼を枝をしならせ打ち据え、なんとか囲みから抜け出ようと試みる。
だがその囲みを抜かせないように巧みに位置を入れ替えつつフォレストウルフはリラとの空間を狭めていった。
何度か打ち据えたものの追い払うまでには至らず次第に体力を奪われていくリラ。
それを見計らったかのように狼は飛び掛かった。
「あっ!」
木の枝をくわえられた。物凄い力でリラから枝を奪い去ろうとしている。
奪われれば抵抗する術はない。必死に狼から取り返そうと枝を引っ張る。
だが狼はその一匹だけではない。他の狼達が無防備な少女を襲う。狼の爪から逃れるため少女は思わず手を離してしまった。
――もう抗う術はない。今まで保っていた理性は失いへたりと座り込む。
フォレストウルフももう抵抗はないと悟ったのだろう。ゆっくりとリラに近づいていく。
ガチガチと歯を鳴らしながら少女は恐怖で瞳を閉じた。
直後に悲鳴――。
だが上げたのは少女ではない。その声は狼の物――?
リラが目を見開くと一匹のフォレストウルフが泡を吹き倒れていた。
他のフォレストウルフは視線を少女から別の者に注いでいる。
一体誰が――?リラはフォレストウルフの視線の先を辿る。
そこには長い杖を構えた黒髪黒い瞳の少年がいた。
リラから見てその少年はとても貧弱に見えた。
リラとほぼ同い年であろう少年は同年代の村の少年と比べ背丈は高いほうではあったが、おおよそ畑仕事をしたことがないようで肌は色白、体格も筋肉はあまりついておらず痩せ気味だった。
こんな少年は村で見かけたことはない。
では旅人――冒険者の類か?だがそれにしてはサンダルやシャツ、ズボンしか身につけておらず旅衣装にしては軽装すぎる。
一体この人は何者なのだろうか――。
そう思考している間にも事態は進んでいく。どうやらフォレストウルフを仕留めたのは少年らしく敵と見定めた他の狼達が次々に少年に襲い掛かる。
だが少年は慌てる所か杖をフォレストウルフに向け紫の雷を放ち倒していく。
雷?まさか魔法!?そうか彼は魔導師なのか!
彼女は魔導師が戦っている所を一度も見たことが無い。
辺鄙な村の為、ここに訪れる魔導師事態殆どいないのだ。
だからたった一人であっさりと五匹のフォレストウルフを倒す彼の強さに圧倒された。
最後の大柄のフォレストウルフが倒れた時は自然とごくりと喉を鳴らした。
狼達を倒した少年はリラに視線を注ぐ。
リラはフォレストウルフとはまた違った恐怖に襲われていた。
少年が善意で助けてくれたならばいい。
だがこの得体のしれない魔導師は何でこんな場所にいるのか。もし少年の手の杖を向けられればあの圧倒的な力の前に自分は何も出来ない。
口が憚れるような女性の尊厳を失うような行為を強要されるかもしれない。
そう身構えるのだが――少年はただ見つめるだけだ。
何も話さなく暫し無言のまま時が過ぎる。どうしたんだろう――と考えていると少年の表情が心底困ったものになっていく。
一体どうしたというのだろう。何を困る必要があるのか。
――もしかしてどう話していいかわからないとか?
有り得ない――。あれだけ強い人がこんな村娘相手にたじろぐ事などあるのだろうか。
だが何か迷い困っているのは確かだ。
そうなると得体の知れない恐怖の魔導師が愛嬌を帯びた少年に見えて来る。
想像して思わずくすりと笑ってしまった。
「……済まない」
少年の第一声は謝罪だった。
どうして謝るんだろう――少女は考える。
恐らく少年は自分に危害を与えることはない。あくまで彼の善意から助けてくれたのであろう。
もしかして警戒していた事を気付かれたのかもしれない。
むしろ礼を言わなくてはならないのはこちらの方なのに。
少年が立ち去ろうとする。ダメだちゃんと引き止めてお礼を言わなきゃ――。
「待ってください!あの……お名前を教えて下さい」
思わず口にしたのは感謝ではなく相手の名を問う言葉。
「……ケイオス」
「あの助けて頂いてありがとうございました!」
しかし感謝の言葉が届く前に少年の姿が掻き消えた。まるで感謝の言葉などいらないかのように。
転移魔法――リラはお伽話でしか聞いたような高度な魔法を前に絶句する。
もしかすると自分はとんでもない人に助けられたのではないのか――。
そんな予感が過ぎる。そして、その予感は直に当たることとなる。
自警団がリラ探索に向かおうとした頃にリラは村に辿り着いた。
泣きじゃくる妹を宥めながら村長に事情を話す。その日はそのまま久しぶりに姉妹で一緒に床に着いた。
後日、リラは村長の家に呼ばれた。
「どのような用件でしょうか」
「呼んだのは他でもない。これを見てほしいのだが」
そういって村長が指を指したのはフォレストウルフの死骸である。自警団が倒したのだろうか。それにしては矢傷や外傷が見受けられない。
「実は街道をフォレストウルフに占拠されたと先日報告があってな。詳しい事情を知るために何人か自警団を送ったんだが既に事切れたフォレストウルフばかりしかいなくてな。恐らく魔法でやられたようなんだが」
――まさか。頭を過ぎるのは圧倒的な力を持つ少年。
「――ケイオス様――」
「やはりお前もそう思うか。……見返りを求めずお前を助けてくれた事に加えてこの村も救って下さるとは……。真の英雄とはこういう方のことを言うのであろうな」
村長の言葉に胸がじんと熱くなる。平凡な村娘の自分は本当に偉大な方に救われたのだという思いが胸を熱くさせたのだ。
――後にカロの村は英雄・ケイオス伝説の始まりの地としてその名を遺すことになる。
ケイオスの偉業
・カロの村娘の救出
・カロの村街道の魔物排除