義弟の悪役、私が代わりに請け負います。
――義弟は本当に我儘だった。
十歳になっても癇癪は治まらないし、物欲もひどく、他人の物を奪ったりもした。なまじ魔力が高かったため、暴れると手がつけられない。私も両親も弟の改心に半ば諦めてきた。そもそも、私は養女だ。口を出す立場にもない。
私の前世の記憶が戻ったのは、義弟が十歳で私が十二歳の時。その日も気に入らない事があった弟の機嫌が悪く、メイドに当たり散らしていた。弟の手から魔術が放たれ、流石に大事になりそうだったので仲裁に入ったのだ。魔術に吹き飛ばされ、頭をしたたかに打った時、私は前世のことを思い出した。
私は日本で保育士をしていた。昔から子供が好きだった。前世で命を落としたのも、子供の列に車が突っ込んで来たのを助けようとしたからだ。
(頭が痛い。誰か泣いてるわ。誰かしら?)
目を開けると、見慣れた自室の天井が見えた。
(そうか、レイの癇癪を止めようとして‥‥)
頭を抑えて起き上がると、布団が重たい。視線を移すと、頭を突っ伏してすうすうと寝息をたてている弟の姿があった。
前世の事を思い出したローズベルは、自身の事を思い返した。
ローズベル・ノルドガルド。侯爵家の長女だ。ノルドガルド侯爵夫妻が長年不妊に悩み、親族の末娘であったローズベルを、養女として迎え入れた。
そして2年後、夫妻に待望の息子が産まれた。レイブン・ノルドガルド。高位魔術師を数多く輩出してきたノルドガルド家の血を濃く継いだのか、歴代一と言うほど高い魔力を宿して産まれてきた。
夫妻は遅くに産まれた才ある息子を、どろどろに甘やかし育て、今に至る。
――ふぅ。
ローズベルはため息を吐き、義弟のふわりとした蜂蜜色の髪を撫でる。
(この子も、小さな頃はここまで我儘ではなかったのよね)
「う‥‥姉さま?」
レイブンはガバッと跳ね起きて、ローズベルの顔を見た。額に貼られたガーゼに視線が移り、すぐに目を伏せた。
(申し訳なく思っているみたいね。激しい癇癪は起こすけど、罪悪感がない訳ではなさそう)
「レイブン?」
「ね、姉さま、その‥‥」
罰の悪い顔をして、視線を彷徨わせる。
ローズベルは前世を思い出して微笑ってしまいそうになった。保育園で、他の子の粘土の作品を壊してしまった子がとった態度と、瓜二つだ。
(悪い事をしたのは分かってるみたいね。‥‥でも、謝れないのね)
「レイ。姉さまは今日は怒っていないわ」
「う、うそだ」
「本当よ。ほら、怒っていないから、こんなに優しく抱きしめられるでしょう?」
ローズベルはレイブンの頭を優しく抱き寄せ、腕の中に包みこんだ。二歳しか違わないので、体格差がそこまでない。そのため頭しか抱え込めない。
「‥‥‥‥‥‥あのメイドが、僕の悪口を言ったんだ」
小さな声でレイブンは言った。
「‥‥そう。それは悲しかったし、嫌だったわね」
「うん‥‥」
「でも、こんな大きな魔術を使ってはいけないわ。次からは口で言いなさい。姉さまは痛かったわよ」
「‥‥‥‥うん」
謝るかな?と待ってみたが、それ以上の言葉はない。ローズベルは小さく息を吐き、ぽんぽんとレイブンの頭を撫でた。
(今日はここまでにしよう。レイブンは十歳。まだ間に合うわ)
「レイ。今日は一緒に寝ようか?」
「えっ」
レイブンは慌てた。ローズベルも記憶を辿る限り、レイブンと一緒に寝たことはない。仲が悪かった訳ではない。怪我をさせて申し訳なく思う程度には仲が良かった。
でも今日は、年齢以上に小さく見えた弟と一緒に寝たかった。頭を撫でながら、安心した眠りについて貰いたい。
「おいで」
ローズベルは布団をめくった。レイブンは大きな灰褐色の瞳を見開いた。少し悩んだ末、ローズベルの隣に収まった。
窓の外は深淵の様な夜の闇に覆われている。まだ朝は遠い。頭を撫でていると、レイブンの瞳はすぐに重たくなった。ローズベルも思わず欠伸が出てしまった。
「‥‥‥‥‥‥姉さま、ごめんなさい」
消え入るような小さな声だった。
レイブンを見ると、もう瞳が閉じている。ローズベルは胸に暖かみを感じながら、目を閉じた。
――レイブンを全うに育てよう。姉として、正しく導いてあげたい。
◇◇
次の日から、ローズベルはレイブンへの接し方を少しずつ改めた。
出来ない事は出来ないと言い、無理な事を言うと時間をかけて説得した。癇癪が起こりそうになると、二人で馬で駆けて平原に行き、大きな魔術を思う存分使わせた。
甘やかす両親にも考えを改めるよう説得を試みた。養女とは言え、ローズベルは蔑ろにされていた訳ではない。ローズベルが時間をかけて説くと、次第に耳を傾けてくれるようになった。少しずつノルドガルド夫妻の、レイブンへの接し方も変わっていった。
ローズベルは仕上げにレイブンを軽視する使用人を解雇した。教養のなかったレイブンに、自覚はないのかもしれないが不敬な発言をしてレイブンの癇癪の原因になっていたからだ。
元々、ノルドガルド侯爵家は経済的にも悪化の一途を辿っている。使用人やメイドを最低限まで減らし、夫妻にも度重なる説得をして生活水準を下げると、なんとか暮らしていけた。人手は減ったものの、前世の記憶を思い出したローズベルは何でも出来た。料理長が体調を崩せば、変わりにローズベルが料理をし、メイドの仕事も一通り手伝える。献身的なローズベルを見て、ノルドガルド夫妻も、レイブンも知らず知らず自身で出来る事はするようになった。
ノルドガルド侯爵領が西部の端にあることも良かった。社交界にはあまり関わらず、ノルドガルド夫人も体裁を気にせずとも良かったからだ。
ノルドガルド侯爵領は侯爵家を始めとして、のどかで温かい雰囲気が広まった。侯爵夫人は、品のある立ち居振る舞いはそのままに、領民たちと食卓を囲みティーパーティをし、デザートを披露した。率先して平民の女性たちに刺繍も教えた。それにより、刺繍の高度な技術が平民達に広まり、侯爵領の刺繍生地は国中で話題に上がった。5年後には特産物として、侯爵領の大きな収入源になった。
この王国で魔力を持つ者は貴族が大半だ。15歳になると魔術学園に入学するのが通例となっている。通例ではあるが、義務ではない。A級以上の魔術師に教えを請える環境であれば、学園に通わずとも認可された。
ローズベルもレイブンほどではないが、魔力を持っている。15歳になった年、魔術学園への入学を考えた。
魔術学園では寮に入ることになる。良くなったとは言え、まだ不安定なレイブンを残して家を出る気にはならなかったし、制服代、教科書代、度重なる移動の代金、その他諸々を考えると、入学する事は躊躇われた。幸い、侯爵邸に長く仕える執事のラムザはA級魔術師だ。ノルドガルドの外戚にもA級、S級の魔術師もいる。ローズベルは学園へ入学することは辞め、彼らに教えを請う事にした。
◇◇
ローズベル17歳。レイブン15歳の春。レイブンの癇癪は鳴りを潜め、我儘も言わず、落ち着いた少年になった。人よりカッとしやすい性格ではあるが、今では少々の事で癇癪を起こし、他者を傷つけることはない。ローズベルはレイブンに魔術学園への入学を進めた。
「レイブンは学園に行くべきだわ」
「何故?」
15歳になったレイブンは、落ち着き払って言った。すらりと背が伸び、ローズベルの背を越したのは去年の事だ。
「レイブンの魔術に関する知識は、もう学園に行かなくてもいい程だけど、人との関わり方を学ぶ良い機会だわ。この数年で貴方はとても変わったもの。安心して学園に送り出せるわ」
ローズベルの言葉に、レイブンの眉根がぴくりと動く。
「そうは思わないな。急にカッとなって、だれかにファイアボルトをお見舞いしそうになったらどうすればいいんだ?僕を抑えてくれる姉上もいないのに」
ローズベルは苦笑しながら答えた。
「まぁ。そんな冗談が言えるのならば心配ないわ」
それから二月かけて説得したものの、とうとうレイブンは首を縦に振らなかった。
(本人がここまで嫌がるなら仕方ないわ)
ローズベルはレイブンの魔術学園入学を諦め、レイブンに相応しい魔術の師を探すことにした。
執事のラムザは、早くからレイブンが魔術学園の入学を拒否することが分かっていたようだ。間を置かずにレイブンの師を見つけてくれた。レイブンの祖父であり、引退しているが元S級の魔術師であるリカルド・ノルドガルド。ラムザが説得してくれていたおかげで、初夏に入る前にはレイブンに魔術の指導を初めてくれた。
(お祖父様なら、魔術の事も領地の事でも教えを請えるわね。結果として学園に行かなくて良かったわ)
魔術学園で、沢山の人と交流して欲しいという願いもあったものの、最近学園のある王都で不穏な話を耳にしていたので、ローズベルは内心ホッとした。
王都で異教徒たちが騒ぎをお越しているらしい。辺境にあるノルドガルドまで噂が届くほどなので、噂と言えど看過出来ない。
――なんでも、魔王の復活を目論んでいるとか。
辺境で産まれたことと、前世の記憶から、最初に耳にした時は全くピンと来なかった。しかし噂が広がるにつれ、噂を耳にした老人達は顔色を青ざめる。魔術や魔法の存在するこの世界で、魔王という存在は思ったより身近にあった。
(異世界に転生したんだなぁって実感するわね)
「凍てつけ、蒼氷の槍!アイスニードル!」
ローズベルは右手をかざし、人差し指で空中に素早く陣を描いた。刹那、人差し指から少し離れた空中に青光りする陣が発現し、氷の礫が放たれた。放たれた礫は三十メートル離れた白樺の木に深々と刺さった。
異世界を実感するのは、最初に魔術を使う時にも感じたが、今ではもう慣れたものだ。
(厨二病的な文言はまだ少し恥ずかしいけれど)
ローズベルは父のノルドガルド侯爵の補佐と、刺繍生地の事業運営の傍ら、ラムザに魔術を習っている。
「ねぇ、ラムザ。何年か前にも魔王を復活させようとする組織が居たのだったかしら?」
「ええ。50年ほど前でした。当時、異世界から聖女が現れ話題になりました。その時の王太子殿下と一緒に、魔王復活を阻止なさったのです」
「そうだったの?聖女だなんて‥·」
(さすがファンタジーの世界ね。勇者とかはいなかったのかしら)
「王都では未だに人気の演劇として語り継がれていますが、侯爵領までは届きませんでしたね。今の王太后陛下と、元国王陛下の事でございます」
「そうなのね。演劇、見てみたいわ」
「今はまたその災厄か振りかかろうとしているからか、王都でもその演目は禁止されたそうですよ」
王都では、辺境のこの地より魔王の恐怖は根強いのかもしれない。
「それにしても、ラムザ。王都の様子にも詳しいのね」
「友人がいますから。‥‥‥レイブン様も、このような状況の中、お嬢様から離れたくなかったのでしょう」
「レイブンも不安だったのかしら」
ラムザは困ったように微笑った。
◇◇
ローズベル19歳、レイブン17歳。
二人は王都にあるノルドガルドの別邸に滞在していた。
レイブンが成人を迎える年、王城でのデビュタントへ参加することになったからだ。
辺境の貴族の令息令嬢は、魔術学園での卒業パーティーでデビュタントを果たす事が多い。ローズベルとレイブンは学園に通っておらず、デビュタントを終えていなかった。いかに社交界との繋がりは薄いとは言え、デビュタントを終えていなければ大人の仲間入りは難しい。
ローズベルは2年遅れで、レイブンと一緒にデビュタントをすることにした。
レイブンはこの2年間で驚く成長を遂げた。年相応の落ち着いた‥‥と言うより、年齢よりも落ち着いた礼儀正しい好青年に成長していた。すらりと伸びた体躯に、甘い顔。蜂蜜色の髪をしたレイブンは、侯爵領で貴公子として令嬢たちの注目の的だ。子供の頃の危うさはもうない。
魔術師としても腕を上げ、王国内というより、大陸の中でも指折りの実力を持つ。
ノルドガルド侯爵も、レイブンが成人を迎えると同時に爵位を渡す予定だった。
「ちょっと派手じゃないかしら?」
「お嬢様、何を言うのです。このくらい普通ですよ。デビュタントなのですから」
夜会に参加するのは久しぶりだからか、侍女達は張り切っている。ローズベルのふわふわな薄茶色の髪は、白い生花と共に編み込まれ、右肩へ流されている。
(ちょっと若作り過ぎないかな?私は他の人より2歳も上なのに‥‥)
ドレスも普段なら選ばない、淡いグリーンとイエローの可愛らしいドレスだ。
(この色、レイブンの髪色と似てて思わず決めてしまったけど、やはり可愛いすぎたかしら)
コンコン。
「どうぞ」
ノック音に返事をすると、待ちきれないかのようにすぐに扉が開かれた。
「姉上」
「‥‥まぁ。レイブン。とっても素敵よ」
思わず感嘆の声を漏らした。銀糸の刺繍の入った、漆黒のフロックコートを来たレイブンはいつもより大人びて見えた。蜂蜜色の髪を撫でつけ、額を出している。どちらかと言えば、可愛い部類に入るレイブンだったが、大人の色気すら感じる程だ。
(でも、何かしら?既視感を感じるわ。私、このレイブンを見たことがあるような‥‥)
もう一度レイブンを見ると、レイブンは部屋に入ったまま、固まっているようだ。
「レイブン?」
「あ、すいません。姉上があまりに綺麗で‥‥」
「え?」
レイブンの表情を見ると、嘘ではなく本当にそう思っているようだ。魅入るように見つめられている。ローズベルは慌てた。
「ま、まあレイブン!いつの間にそのようなお世辞まで言えるようになったの!」
「え、いえ。お世辞では‥‥」
「さっ、もう行きましょう!遅れてしまうわよ」
ローズベルはレイブンを急かして馬車に乗り込んだ。自分でも褒められただけで、何故こんなに慌ててしまったのか理解出来ない。あれ以上レイブンに見つめられるのが耐えられなかった。
(全く。いつの間に私の義弟はこんなに軟派になってしまったの)
馬車の中でローズベルはレイブンをジトリと睨んだ。レイブンはその視線に気づき、柔らかく微笑む。
最近のレイブンはやたらとローズベルを褒める。「姉上が一番綺麗だ」とか、「姉上は可愛いすぎる」とか。綺麗や可愛いを何度聞いた事か。
あまりに恥ずかしいので、先日、姉で口説き文句を試すのは辞めなさいと訴えた。私が声を荒げたのが久しぶりだったから、レイブンは衝撃を受けていたけど頷いたのに。
「姉上、これを贈らせてください」
「なぁに?」
レイブンが差し出した小箱を開けると、入っていたのはネックレスだった。透明の石が蜂蜜色の淡い輝きを放っている。
「魔石です。僕の魔力を込めています。護身用に」
ふと気付くと、確かに胸元に装飾がない。侍女達は知っていたのだろうか?
「綺麗ね。ありがとう」
柔らかい蜂蜜色の輝きに、ローズベルは微笑んだ。実を言うと、王都の夜会に緊張していたのだ。
(なんだかレイブンに護られてるみたいね)
「コホンッ。付けて差し上げます」
小さく咳払いをして、レイブンは腕をローズベルの後ろに回した。手が震えている。
(レイブンも緊張しているのね)
大丈夫よ。私が付いているから。――と、安心させるように言うつもりだったのに、顔を上げると吐息が重なる程近くにレイブンがいる。ローズベルは慌てて下を向いた。赤面してしまったので、ローズベルはそれ以上声がかけられなかった。
王城に馬車が止まり、先に降りたレイブンが手を差し出した。ローズベルはその手を取り馬車を降りる。
闇夜にそびえ立つ王城を見て、ローズベルはまた既視感を覚えた。心臓が跳ねる。
(何かしら?緊張とは違う、不安を感じる)
手が震えていたからか、レイブンはしっかりと握り直した。
「姉上?」
「なんでもないわ。行きましょう」
馬車を降りた途端に視線が集中したのは気付いている。
(思った以上にレイブンに視線が集まってくるわね。‥‥まぁ、仕方ないけれど)
どうだ。かっこいいでしょう。私の義弟は。
少し気分が上がった。
視線だけ動かし、レイブンが言った。
「やはり人が多いですね。皆、聖女を一目見ようと押しかけているようだ」
「そうね。聖女様を見れる機会はそうないでしょうし」
異教徒の魔王復活の目論見は水面下で進んでいるようで、ノルドガルドには被害はないが、王都の治安は下がり続けている。そんな中、一年前に聖女が降臨した。王都に現れた聖女は一年間魔術学園で魔術を学び、王太子の卒業に合わせて聖女も卒業した。
この夜会は聖女のお披露目も兼ねている。
会場に入ると、薄桃色を基調とした装飾に違和感を覚えた。王妃であるアランドラ陛下は、落ち着いた格式のある装いが好みだと聞いていたからだ。
それに、気の所為では済まされない。ローズベルはこの場に来たことがある。覚えている。
(どういうことなの。私は、この夜会に覚えがある)
「姉上?どうされました?」
流石に顔色が蒼白になっていたので、レイブンが声をかけた。
「具合が悪いならば、今日は帰りましょう」
「いえ、大丈夫よ。でも、そうね。挨拶をしたらすぐに帰りましょう」
ローズベルは正体不明の不安をなんとか飲み込んだ。
(何故か分からないけれど、ここに居たくない)
わっと歓声が上がった。壇上に王太子と聖女が姿を見せたようだ。
漆黒の髪に輝く黄金の眼。王太子アルノルド。ふわふわと流れる薄桃色の髪に、薄桃色の瞳でふわりと微笑む聖女リナ。
ローズベルはしがみつくように、レイブンの腕を強く掴んだ。そうでもしなければ、このまま崩れ落ちてしまいそうだった。
「姉上?」
レイブンの心配した声はローズベルには届かない。頭の中が混乱している。
(――ここは、私が転生したこの世界は、ただの異世界ではなかったのね)
ローズベルの頭の中に浮かんで来たのは『聖女リナの数奇な異世界生活』ローズベルが前世でプレイした恋愛RPGゲームだ。
王太子の後ろに控える藍色の髪をした騎士が、ロクサス・アッカーマン。壇上の端にいるグレーの髪をした青年は次期宰相と言われるディオン・アルカディア。いずれも魔術学園を卒業した攻略対象だ。たしかあと二人、王太子の弟の第二王子と、公爵令息も攻略対象としていたはずだ。
(どうして今なの?もっと早く思い出していれば、レイブンを王城になんか連れて来なかったのに)
鮮明に思い出した。蜂蜜色の髪をした暗い瞳をした辺境の侯爵令息。レイブン・ノルドガルドはこのストーリーの悪役として登場する。
幼少期から性格の歪んでいたレイブンは、魔術学園にに入学後も人々に疎まれ、黒魔術に嵌っていく。しばらくして降臨した聖女に心を奪われるものの、他の攻略対象達に嫉妬して数々の悪行を繰り返した。卒業パーティーで悪行を晒され、皆の前で断罪されて表舞台を去ることになる。
「姉上、姉上。頭を下げて」
レイブンが小さな声で言った。我に返って前を向くと、階段を降りて王太子と聖女がこちらに向かって来る。ローズベルはレイブンの手を取って逃げ出したい衝動に駆られたが、なんとか律してカーテシーをとった。
(何?顔見せに降りて来たのかしら?お願いだから通り過ぎて‥‥!)
ローズベルの願いも虚しく、王太子と聖女はローズベルとレイブンの前で立ち止まった。
「顔を上げてくれ」
画面上で聞き覚えのある声だ。
「王国の星、王太子殿下と聖女様にご挨拶申し上げます」
口の開かないローズベルの変わりに、レイブンが口上を述べた。
「貴方、レイブン・ノルドガルド?本当に?」
聖女の問いかけに、ローズベルも思わず顔を上げる。レイブンも戸惑っている。
「はい。私はレイブン・ノルドガルド。こちらは姉のローズベル・ノルドガルドです」
「え?思っていたのと、違うわ」
ぶしつけな物言いに、レイブンもローズベルもポカンと口を開けた。
「リナ?ノルドガルド侯爵令息と会った事があるのか?」
王太子も戸惑いながら言った。
「いえ、そうではないけれど。もっとこう、暗いかと‥‥」
王太子がじろりと見据えるので、レイブンはため息を噛み殺して言った。
「聖女様はどなたかと間違っておられるようです。王国に金髪は多くおりますから」
ローズベルは聖女の物言いに震える手を握りしめた。
――この物言い、聖女は転生者だ。それも、この世界のストーリーを知っている。
薄桃色の瞳を細め、心配そうに聖女は言った。
「でも、明るそうに見えるけど、貴方、この世界を恨んでいるのよね?」
「――は?」
これにはレイブンも思わず低い声を出した。
(まずい)
ローズベルは久しぶりに渾身の演技をした。膝から崩れ落ちるように、だが注目されない程度に立ちくらみを見せる。
「も、申し訳ありません。私の気分が悪く、ここで退出させていただきます」
「そのようだな。姉君の顔色が悪い」
王太子も頷くと、ローズベルは小さく一礼した。
慣れているレイブンは少し納得出来ない顔をしていたものの、ローズベルを支えるように二人で端に下がった。
「姉上、いつもの僕を落ち着かせる演技ですか?本当に顔色が悪い気もするのですが」
レイブンの問いに、ローズベルは微笑む。
(どちらもよ)
「レイブン、よく耐えたわね。聖女様と言えど、失礼な物言いだったのに」
レイブンはため息を吐く。
「あのくらいでもう怒らないよ。変わった方だったね。聖女様。もう会いたくはないな」
「でもやっぱり顔色が悪い。ここに座っていて。飲み物持ってくる」
レイブンはローズベルを会場の隅のテーブルに連れて行き、飲み物を取りに行った。
ローズベルは椅子に座ると混乱した頭を落ち着かせるために眼を閉じた。
『聖女リナ』の世界だとして、メインは聖女が降臨してからの魔術学園での生活だったはず。聖女達が卒業しているという事は、メインストーリーはほとんど終わっている。本来、悪役として登場するレイブンも、魔術学園に入学すらしておらず、性格も歪んでいない、世界を恨んでもいない。
(そうなると、この先どうなるのかしら?)
眼を開け、ふと壇上に視線を送ると、聖女がこちらを見ていた。ローズベルはパッと視線を逸らす。
一瞬だったが、薄桃色の瞳に不安の色が見えた。
――突如、会場が大きく揺れた。
地下から地鳴りのような音が響く。会場は騒然とした。
壇上に黒くぽっかりとした穴が開いた。穴のような黒い物体が空間に浮かび上がっている。中から黒いマントを被った男達が現れた。
「異教徒だわ!」
「きゃー!」
会場はパニックになり、逃げ惑う人々で混乱している。ローズベルは立ち上がりレイブンを探した。近くに姿はない。
(‥‥‥異教徒)
ローズベルは壇上の黒いローブを着た男達を見た。見覚えのある姿だ。本来ならレイブンは彼らの中心に立ち、異教徒達を率いていた。
壇上に騎士達が集まる。異空間から現れた異教徒たちとの戦闘が始まった。率いる者のいない異教徒たちは王太子と騎士により制圧されて行く。
異教徒の1人が唐突に倒れた。その者を皮切りに、次々と倒れて行く。
「魔王に身を捧げたのよ」
聖女が言った。
「魔王の降臨まで時間の問題だ。僅かに残った時間を楽しむが良い」
異教徒の最後の1人はそう言い残すとパタリと倒れた。
最後の1人が倒れると、黒い空間の内側に帯びただしい数の魔獣が見えた。
「その中に魔王が封印されているのです。扉が開いてしまう」
聖女の言葉は会場中に響いた。
逃げ惑う人々は声を上げた。どうやら入り口で立ち往生しているようだ。異教徒により逃げられないように入り口に結界が張られていた。
レイブンが戻って来ない。どうやら会場の外に出た際に結界で戻れなくなったのだろう。
ローズベルは額からひや汗が流れるのを感じた。
(待って。ここでレイブンが魔王に身を差し出さなければ、聖女は覚醒しないのでは?)
ストーリーではそうだった。発狂しかけたレイブンは自ら魔王に身を差し出し、依代になる。レイブンと魔王の魔力が合わさり、強力な波となって押し寄せた時、聖女が覚醒し、その光の魔術で魔王を討ったのだ。
パリーン!
ガラスが割れたような音が響く。入り口の結界が壊されたようだ。
息を切らしたレイブンがローズベルに駆け寄った。
「姉上、遅くなってすみません。ここは危険です。さがりましょう」
レイブンが焦りの表情を浮かべてローズベルの手を引いた。
ローズベルの可愛い義弟。魔王にくれてやるつもりなどない。しかし魔王を倒せるのは聖女のみ。
ただ魔王が復活するだけでは駄目なのだ。レイブンの犠牲があってこそ、聖女は覚醒する。
レイブンの悪は必要悪だったのだ。この国を救うための。
(だったらその悪は、私が引き受けるわ)
他にも方法があるのかもしれない。だが考えている時間はない。開かれた扉からは今にも帯びただしい量の魔獣が飛び出して来そうだ。
「ええ、逃げましょう」
ローズベルとレイブンは、逃げ惑う人の波に混ざりホールから出た。
「レイブン、お母様が心配だわ。休憩室にいらっしゃるはずだから、外へ連れて来てくれる?私は先に馬車で待ってるから」
ノルドガルド夫人は刺繍生地の宣伝を兼ねて、ローズベル達より少し遅れて登城している。
レイブンはチラリと目前にある馬車を視界に入れた。「分かりました。すぐに戻ります」
レイブンはそう言うとローズベルと反対方向に駆けていった。
ローズベルはしばらくその背中を見送り、元来たホールへ走った。
ホールに戻ると、聖女が何か叫んでいる。
「レイブンはいないの?どうして出てこないの」
(やっぱり聖女もストーリーの記憶があるようね)
ローズベルは聖女の前に立った。仁王立ちでだ。
「レイブンは来ません!今の彼は魔王復活なんて望んでいないもの」
聖女が狼狽える。
「え?でも、彼が身を捧げて魔王と融合しないと‥‥」
聖女の薄桃色の瞳が不安そうに揺れる。
(この子も、悪い子ではない。この国を救うために、力の覚醒を望んでいるだけなのだわ)
ローズベルは黒い空間を見据えた。
レイブンほどではないが、ローズベルも人より多くの魔力を持って産まれている。
(どうすればいいんだっけ)
身を捧げるとは言っても、ゲームの中でレイブンが行っていた事はプレイヤー側には分からない。
ごぼっと鈍い音がしたと思うと、黒い空間から赤黒い腕が現れた。
『こちらに来い』
頭の中に声が響く。
どうやらあの手を取れば良いようだ。あまりにも簡単で、ローズベルは拍子抜けした。
(展開が早すぎて、レイブンにちゃんと別れの言葉も言えなかったわね)
赤黒い腕にローズベルが手を差し出した瞬間、眩い光が黒い空間を穿いた。
「穿て光の神槍」
低く重たい詠唱がホールに響く。
声の方向に振り向くと、蜂蜜色のなびく髪が見えた。
レイブンの掲げた手が眩い光を放っている。
「姉上?何をなさるおつもりだったのですか」
ひどく不機嫌な低い声で言うと、レイブンは大股でローズベルに近付いた。
「レイブン、どうしてここに‥‥」
「姉上に贈ったネックレス。護身用と言ったでしょう。危険な物や人物が近付くと、僕に警告が来るのです」
そう言うとレイブンは黒い空間を見据えた。
「これに身を捧げれば、魔王が倒せるのですか?」
ローズベルは青ざめた。
「駄目!レイブン!」
ローズベルはレイブンにしがみついた。
ビクリとしたものの、レイブンはジロリとローズベルを睨む。
「何が駄目なんです?まさか僕が死ぬつもりだとでも?」
「えっ」
「身を捧げなくとも、これを消滅させれば良いのでしょう?」
「でも、魔王は聖女にしか倒せない‥‥」
「そうでしょうか?」
レイブンはしがみついたローズベルを片腕で抱きしめると、掲げた右手で更に陣を描いた。
「満ちよ、光の祝福。セイクリッド・ノヴァ」
レイブンが描いた陣から、強い光が溢れ出た。ホーリーランスよりも、強力な光魔法。
(ゲームでは見たことないわ。聖女が魔王を倒したのも、ホーリーランスだったもの‥‥)
強い光に眼を細めてレイブンを見ると、久しぶりに見る表情をしていた。
ローズベルが前世を思い出す前、レイブンが自分より弱い者を虐めている時の眼だ。楽しんでいるようにも見える。
ローズベルはくらりとした。
(もしかしたら、レイブンの本質は変わっていなかったのかしら?)
これ以上眼を開けておれず、ローズベルは眼を閉じた。
高位光魔術の威力は凄まじく、ローズベルはレイブンが抱えていなければ吹き飛んでいただろう。
衝撃が収まり、チカチカした眼が慣れて来た頃には全てが終わっていた。ローズベルの視界には、黒い空間どころか王城のホールすら吹き飛んでいた。
振り向くと、壇上は無事のようだ。
立ち尽くす王太子と、ぽかんと口を開いた聖女が見える。
「嘘‥‥私じゃなくても倒せるなんて‥‥」
聖女はそう呟くと、「良かった」と安心したように泣き崩れた。
◇◇
デビュタントのパーティーから二ヶ月。ローズベルはようやくノルドガルド侯爵領へ戻ってきた。
レイブンが王城にて魔王討伐の祝賀と共に、侯爵位の継承も行ったため、当初の予定より長く滞在することになった。
「‥‥‥はぁ」
思わず出たため息を聞いて、執事のラムザが振り返った。
「おや。お嬢様。何を憂う事があるのですか?」
「ラムザ。意地悪な事を言わないでちょうだい。ため息もつきたくなります。それにもう私は侯爵家のお嬢様じゃないわ。そうでしょ?」
ローズベルはラムザをジロリと見て拗ねたように言った。そう。ローズベルは今、ローズベル・ノルドガルドではない。ノルドガルド侯爵家の傍系の、リブロム家の末娘、ローズベル・リブロムに戻っている。
レイブンが侯爵位を継ぎ、一番にした仕事がローズベルをノルドガルドの籍から抜くことだった。
ローズベルがそれを知ったのは、レイブンによって籍を抜かれた三日後の事だ。ノルドガルドで一番美しい夜景を見ながら食事が出来るレストランを貸し切り、大きなダイヤモンドの指輪と共に。
「レイブン、侯爵位継承のお祝いとは言え、ここを貸し切るなんてやり過ぎよ?こんな素敵な所には、姉とではなく恋人と来るべきだわ」
「姉上、僕たちはもう姉弟ではありません」
「え?何ですって?」
「ノルドガルドに戻ってすぐ、姉上の戸籍を移しました」
何を言っているのだ?この義弟は。
「‥‥ど、どうして?私に出て行ってほしいの?」
「いいえ。姉上にはずっと侯爵邸に居て貰いたいです」
向かいに座っていたレイブンは席を立つ。片膝をつき、ローズベルの前に跪いた。
「ノルドガルド夫人として」
開かれた小箱には、大粒のダイヤモンドが乗った指輪が入っている。ローズベルは息を呑んだ。
「じ、冗談よね?」
「まさか」
レイブンは微笑んで言った。その貴公子のような微笑みに、癇癪がひどく、手の付けられない子供だった頃の面影はない。
「そしてこの求婚は両親にも了承を得ております」
(な、何ですって?お父様とお母様にも?!)
固まっているローズベルを見て、レイブンはパタンと小箱を閉じた。ローズベルは思わずホッとする。
(や、やっぱり冗談だったのよね)
ホッとしたローズベルに、レイブンはにやりと微笑みを残したまま言った。
「時期尚早なのは分かっていますので、今薬指にはめて頂くのは諦めます」
「え、‥‥‥と?」
つまり?レイブンはどういうつもりなのか?
「家人達の証言と、僕の知る限り、姉上に想い人がいないことも承知しています」
「だ、だから何なの?」
確かにこの歳で浮いた話一つないけれど。改めて言われると恥ずかしいではないか。
レイブンはローズベルの手を取り口付けた。淑女にする挨拶のキスだ。触れられた箇所から熱が籠もり、ローズベルの頬はあっという間に赤く染まった。
「姉上に意中の人がいないうちに、一刻も早く姉弟ではなくなり僕の事を男として意識してほしいのです」
今まで言われていた褒め言葉は受け流せていたのに、もう受け流せない。何か言わなくてはと思ったのだが、言葉が出てこない。口づけられた手を握りしめ、ローズベルはぱくぱくと声なき声を出す。レイブンは満足そうに微笑んで言った。
「今はその反応で満足しましょう。時間はたっぷりありますから」
読んでいただき、ありがとうございます。
感想、いいね、ブクマ等いただけると励みになります。




