囚われの獣人
森に入ると、クロエが行手を指差し、迷いなく進んだ。
枝を払う仕草にも躊躇がなく、この森を知っている者の歩き方だった。
森を降り、谷間へと入っていく。
湿った空気が肌にまとわりつき、岩と鉄の匂いが混じる重い匂いだった。
「こんなところに、屋敷があったのか?」
近くで見ても、それは屋敷には見えない。
切り立った岩の壁――古い遺跡のようだった。
だが、よく見れば人の手で削られた痕が無数に残っている。
何故なら、岩をくり抜いて作られた屋敷だったからだ。
ここも要塞。
人を迎え入れるためではなく、閉じ込めるために作られた構造だった。逃げるという選択肢を、最初から奪うための。
見張りを倒すと、カリオンは振り返りもせず言った。
「ここで待ってて」
短い言葉。命令ではない。そう言って、一人で進んでいく。迷いの無い足取りだった。
岩の扉の前に立つ。
剣が淡く光った、次の瞬間。
鈍い音を立てて、扉は内側から崩れ落ちた。
魔力の余波が、遅れて空気を震わせる。肌の表面が、わずかに粟立った。
「お邪魔しますよ」
冗談めいた声とは裏腹に、その背中はすでに戦場に入っていた。
彼が中へ入るのを見て、私は一瞬ためらう。
それでも、好奇心と、置いていかれる不安に負けて後を追った。
「あれ、ついて来たの?」
「ええ、いけなかったかしら」
「いや……じゃあ、良いところ見せないとね」
鼻歌を唄いながら、彼は敵を地面へと転がしていく。
剣戟の音が軽く、命のやり取りとは思えなかった。乾いた音だけが、静かに積み重なっていく。
速さが違う。それだけじゃない。
まるで、敵がこれからどう動くかをもう知っているかのように、剣が先に、そこに待ち伏せている。踏み込む前に、すでに終わっている。
「……強い。圧倒的な強さだ」
半ば呆れにも似た声が漏れた。
感嘆よりも先に、背筋が冷えた。味方であるはずなのに。
「不意打ちなだけさ」
違う。私は冒険者を多く見てきた。
しかも、魔物討伐隊の上級冒険者たちだ。だが、これは経験や数の差ではない。
質が、違う。根本から。
「ねえ、峰打ちだけだと、起きて逃げられるんじゃ?」
「大丈夫だよ。全身、動けないから。薬も、口にすら運べない」
倒れた男の指先が、わずかに痙攣している。動こうとしても、動かない。
彼の剣を見ると、峰で打つ瞬間にも、魔力が通っているのが分かった。
「……魔力を載せてるのね?」
「へえ、凄いな、シズカ。よく見抜いたね。種明かしは、そのうちね」
振り返りざま、近づいてきた敵二人を、こともなげに斬った。
彼らには逃げ場が無かった。剣を構える間すら与えられずに。
奴隷の逃亡を防ぐため、出入口は、さきほどの扉しか用意されていなかったからだ。
「……よく、クロエは逃げ出せたわね?」
「ごめん、シズカ。秘密があるの……」
一瞬、彼女の声が震えた。
「別に、言いたくないなら言わなくていい」
彼女といる幸せが壊れるくらいなら。それ以上は望まない。
「ううん。後で言う」
「ありがとう。どこかのお強い騎士さんとは違うわね」
私はクロエの頭を撫でた。
その温もりが、確かに生きていることを伝えてくる。ここにいる、と。
「はぁ⁉︎」
カリオンが、不満げな声を上げて振り返る。
彼は落ち着いている。だが、決して気を抜いているわけじゃない。その背中があるから、私は冗談を言える。
真っ直ぐ進み、最奥の部屋の扉の前に立った。
「さて、ラスボスの出番だ。……ちょっと下がってて」
一瞬、間があった。
「もし、俺が変になったら――」
彼は、それ以上言わなかった。言葉を飲み込むように。
騎士様が扉を叩く。
「誰だ?」
中から、首領らしき野太い声。
「侵入者が現れました」
笑いをこらえながら、大声で叫ぶ。
「なんだと。捕まえたのか?」
「いえ。何とかして下さい」
「使えない奴らだ。許さんぞ」
扉が開いた、その瞬間。
男は、何が起きたのか理解する前に、地面に倒れていた。剣を抜く暇すら無かった。
泡を吹き、動かない。
「……呆気ないな」
剣を収める音が、妙に大きく響く。
「……少しは、期待してたんだけど」
その声には、戦いの後の高揚も、怒りも、喜びも無かった。
ただ、空っぽだった。最初から何も入っていなかったかのように。
胸の奥が、ひやりと冷える。
その後、牢獄に囚われている獣人族を解放した。
クロエがいたおかげで、彼らの警戒心は薄かった。
「ありがとうございます」
「怖かったよ……」
傷つきながらも感謝を述べる大人と、泣き崩れる子供たち。
私はポーションの箱を開け、治療を始めた。
魔物討伐の介護班として、何度もやってきた手つきだ。
「もし、危険だなと思ったり、保護して欲しいと思う人は、私が執政をする領地に来るといいわ。峠を下った先よ。近いわ」
だが、反応は良くなかった。
「……助けてくれてありがたいのですが、ウルフェンハルトですよね。あまり評判が良くありません」
あまり、ではないのだろう。とても悪いのだろう。その目が物語っていた。
「主様は、とても良い人。みんなを大切にして守ってくれるわ」
クロエが私に抱きつく。
「黒犬族のお前が言うのなら、間違いは無いな」
黒犬族――獣人族の中でも特異な存在なのだろうか?
その一言が、場の空気を変えた。
だが、介護した私に比べて獣人族の冷たい目が突き刺さっていた者がいた。
「王国騎士団ルーナ分隊長、カリオンだ。きっと、我が分隊の者もこいつらの仲間なのだろう。謝罪する」
彼は、深く頭を下げた。誇りを捨てるように。
「彼も、私と同じこの地方に来たばかりよ。解放してくれたのは、彼の力」
クロエも、強く頷く。
獣人族全員を連れて、峠への道を登る。
「お疲れ様でした」
レオナールの周囲には、血の跡があった。まだ乾いていない。
地面の血は新しかった。だが彼の靴は、わずかも汚れていなかった。
「何があったんですか?」
「はて、我がウルフェンハルトに押し入ろうとした虫ですよ。お嬢様が気に留めることはありません」
死体は、どこにも無い。まるで最初から存在しなかったかのように。
カリオンは、驚いていたが何も言わなかった。
「レオナール。子供たちを馬車に」
歩ける者は歩く。
カリオンの馬を先頭に、ワールドエンドへ向かって進む。
「……主様、秘密を見せます」
クロエの声が、震えた。
「え?」
私の隣にいたのは、クロエではなかった。黒犬族は、変身できるらしい。
黒い毛並みの、可愛い子犬クロ。小さな体で、不安そうに私を見上げていた。
小さな尻尾が、遠慮がちに揺れた。理解より先に、感情が溢れた。
両目から、涙がこぼれ落ちた。守らなければならないと、強く思った。
この子は、誰にも奪わせない。
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