傷だらけの純白
布の質感が、指先に伝わる。
いつもの姉のお下がりだろうか? 私の考えを見透かしたように、そして自慢げにエレノアは言った。
「オーダーメイドで作りました。お召しになって下さい」
「珍しいわね」
胸の奥が、わずかに熱くなる。
私が、魔物討伐に着る服以外全て、姉であるアカリのお下がりだった。彼女は、服をたくさん買ってすぐ着なくなる。流行の最先端のものしか着ない。
もったいないから、私がもらっていた。
「当たり前です。執政官なのですから、住民に恥をかかせてはいけません」
そうだ。私はこの領地の代表者なのだ。
その事実が、静かに胸に落ちる。
「そうね。ありがとう、エレノア」
「それと、子犬は、レオと話をして、我が家のメイド見習いとして採用しました」
恥ずかしそうに、メイド服を着たクロエが扉の陰から顔を出した。
「可愛い!」
「もう、主様たら……」
「ぼっとしないで、手伝いなさい。クロエ」
早くも、エレノアの指導が入る。
でも良かった。執政官の従者じゃなくて、ウルフェンハルト侯爵家の使用人。
クロエを、ウルフェンハルト侯爵家の許可なく誰も自由には出来ない。王族すら。
その事実が、胸の奥の不安を一つ消してくれた。
「さ、早く着替えましょう」
私は、着ている服を脱いだ。
空気が、肌に触れる。
「シズカお嬢様、その傷は?」
エレノアは驚き、目を見開いた。
その視線が、私の身体から離れない。
部屋の空気が、凍りついた。
「ああこれ、討伐にいると怪我するでしょ。それ! もう治ってるし、痛くないわ」
そう言ったものの、私の体には抉れたような痕や、引っかかれた傷跡が無数に残っている。
小さなものまで含めれば、数え切れない。
指先でなぞると、痛みではなく、かすかな過去の感覚が蘇った。
エレノアは険しい表情で、私の肌に触れる。
指先が、傷の縁を確かめるように静かに滑った。
「私が、きちんと見ておくべきでした。シズカお嬢様は昔から、ご無理をなさるのに」
違う。
彼女は、私が魔物討伐に向かうとき、いつも見送りに立っていた。
高価な薬を詰めた薬箱を持たせ、使った分は必ず補充してくれた。
ウルフェンハルトの娘が所持品不足で恥をかけば、家名に傷がつく。
つまり、そういうことだろう。
「討伐は、何が起きるかわからない。最後まで気を抜けないからね」
私は苦しい言い訳をした。
事実ではあるが、傷を治す低位の薬は、最後まで余ることも多い。
冒険者たちは決まって言う。
「これくらい、何てことない」と。
この傷たちは、居場所のない私に、ここにいていいと訴えていた。
だから、治さなかった。
見せてやりたかったのだ。私を捨てた婚約者に。
この姿を見て、彼はどんな顔をしただろうか。
胸の奥が、ひやりと冷える。
エレノアがどこからか取り出した白いクリームを、私の肌に塗る。
薬草の強い匂いと、ひんやりとした感触が、傷の上に広がった。
少しずつ、傷跡が消えていく。
「クロエ。あなたの仕事の一つは、お嬢様に毎朝クリームを塗ることです」
「わかりましたぁ」
クロエも当然のように加わる。
「自分でできるわ。やめて、クロエ」
くすぐったさに身をよじると、逆効果で、クロエは手を止めない。
「いえ、メイドの務めです。必ずやります」
恐ろしい拷問が終わると、次はエレノアが用意した服を着せられる。
それは、ストレートラインの純白のドレスだった。
布地は軽いはずなのに、袖に腕を通した瞬間、妙な重さを感じる。
まるで布の奥に、目に見えない何かが織り込まれているような感覚だった。
「……怖いわね。汚しそう」
冗談めかして言ったが、二人の反応は薄い。
「お嬢様、すみません。サイズが……」
エレノアは悲しそうに視線を落とした。
「え? ぴったりじゃない」
姉のアカリより背の高い私だが、いつもお下がりをもらっていた。丈はいつも短く、直すたびに形は歪む。だから、身体に合うドレスは珍しい。
「いえ……こんなにお痩せになって……」
エレノアは、だぶついた布をつまむ。
「ああ、ダイエットしすぎかも……」
再び軽口を叩いたが、二人に綺麗に無視された。
「これからは、きちんと食べていただきます。クロエ、これもあなたの役目です」
「はーい! お代わりさせます!」
そう言えば、クロエと会ってからは、ちゃんと食べている。だって、彼女に食べさせないといけないから。
「一度、脱いでください。詰めます。その間に、化粧と髪を。シズカお嬢様、執政官として、正式に人前に立つのですよ」
「わかったわ」
いつもは化粧水を適当に叩いて終わりだが、今日はそうもいかないらしい。
エレノアは、私の前に化粧箱と宝石箱を置いた。もちろん、彼女の用意したものだ。
椅子に座ると、クロエが嬉しそうに私の長い髪を梳く。
「こんなに早く、ドレスを着る日が来るなんて思ってなかったわ」
私が真剣に化粧をするのを、クロエは珍しげに見ていた。
「そうね。クロと会った頃は、簡単に済ませてたものね」
「とても……綺麗です。嬉しいです」
「良かった。変じゃなくて」
侍女がいなかったから、自然と自分で覚えたのだ。一応、前世の知識も経験も。
「ええ、合格です。お待たせしました。ドレスを着ましょう」
エレノアが、わずかに微笑んだ。
最後に、癖でジュエリーボックスを開け、すぐに閉じた。元婚約者から贈られたネックレスや宝石が収まっている。
「着けないのですかぁ?」
「今の私には、要らないものだもの。これを売れば、改築の費用くらいにはなるわ」
私を捨てた嫌いな婚約者でも、役には立つ。思わず、微笑んだ。
エレノアは、何も言わなかった。
「待たせてしまってるわ。行きましょう」
私は立ち上がる。
純白のドレスの裾が、静かに揺れた。
これから私は、執政官として人前に立つ。
その一歩を、迷わず踏み出した。
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