侯爵家の家宰、辺境に立つ
その日の作業を終えると、私の歓迎会が開かれる。カリオンと出かけるのは、その後の夜中だ。
作業は、昨日よりも早く終わり、代わりに私の屋敷の庭での歓迎会の準備作業に移っていた。
空だった庭に、人の気配が満ちていく。
人が集まり、笑い声が増えるたび、ここが本当に私の居場所になりつつあるのだと実感する。
だが、その数に圧倒される。そして、怯える。誰かが私のために集まるなど、初めてだった。
「本格的ですね?」
「ははは、お恥ずかしい。大したことありませんよ」
アレンが照れたように答えた。
その視線は、どこか誇らしげでもあった。
「何か手伝いを?」
「歓迎する方に手伝いをさせられませんよ。こちらはお任せを」
その時、荷台を引いた二頭引きの立派な馬車が、私の屋敷の前に止まった。
土の道を踏み締める蹄の音が、庭のざわめきを静かに断ち切る。
この辺境では滅多に見ない、王都の格式を示す馬車だった。
「執政官殿にお届け物だそうです」
王都からの荷物。思っていたよりも、ずっと早かった。
胸の奥が、小さく波打つ。
「レオナール、どうして貴方が?」
御者台には、きっちりとした服装をした白髪の老紳士が座っていた。
見間違えるはずのない、長年見慣れた姿。
彼は年齢を感じさせぬ身軽さで馬車を飛び降りると、客車を開け、女性を丁寧にエスコートする。
その動作には、一切の迷いがなかった。
「ありがとう。レオ」凛とした佇まいの老婦人。
背筋を伸ばし、無駄のない動作。その姿を見ただけで、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「エレノアまで、何してきたの?」
二人は並んで門の前に立ち、村人たちへ挨拶をする。
その場にいた全員の視線が、自然と二人に集まっていた。
高貴で、けれど気取らない。長年、侯爵家を支えてきた者たちの礼儀正しい所作だった。
それは、決して一朝一夕では身につかない、本物の重みだった。
レオナールの低く落ち着いた声と、エレノアの鋭くよく通る声。
「ウルフェンハルト侯爵家の家宰、レオナールです」
「同じく、家政長のエレノアです」
庭にいた村人たちは、一瞬呆然とし、それから我に返ったように深く頭を下げた。
空気が、わずかに張り詰める。
挨拶を終えた二人は、まっすぐ私の前に立つ。
昔と同じ距離で。昔と同じように。
「シズカ様、遅くなり申し訳ございません。家財を届けに参りました」
エレノアの目が、わずかに潤んでいるのに気づき、私は言葉に詰まった。
どうして、そんな顔をするのだろう。
「遠路はるばるご苦労様。……偉い貴方達が来なくても良かったのに」
本音と建前が、少し混ざった言い方だった。
本当は、来てくれたことが嬉しいのに、それをそのまま言葉にする勇気がなかった。
「もったいないお言葉です。ですが、我らが来るのは当然のこと」
ウルフェンハルト侯爵家の使用人は決して多くはない。それでも数十人はいる。その中でも、この二人は筆頭格だ。
侯爵家を支えてきた柱、そのものと言っていい存在。
――私は、嫌われていた。
アカリの強かな策略で、使用人たちから距離を置かれていた。
視線を逸らされ、声をかけられることもなくなった日々を思い出す。
だから、仕方なく彼らが来たのだろう。
主人の命令として。義務として。
「それでは、家財を降ろします」
屋敷で着替えを済ませた二人は、迷いなく作業を始めた。
その動きは正確で、長年繰り返してきた仕事そのものだった。
荷物が運び込まれるたび、空っぽだった屋敷に、少しずつ“生活”が戻っていく。
箱の置かれる音が、静かに壁へと吸い込まれていく。
「これは……酷い有り様ですね。レオ」
「ああ。わしの管理不足だ。シズカ様に迷惑をかけました。申し訳ありません」
屋敷の状態を見た二人は、隠すことなく顔を曇らせた。
この別邸の管理も、家宰であるレオナールの仕事の一つだったからだ。
けれど、それ以上に私を驚かせたのは――
隙のない家宰レオナールが、私に向かって頭を下げたことだった。
白髪の頭が、深く垂れる。
人生で、初めてのことだった。
彼が、私に対してこうして謝罪する姿を見る日が来るなど、想像したこともなかった。
私が、彼に迷惑をかけて頭を下げたことは山ほどあるけどね。
「いえ。レオナールのせいではありません」
謝罪される資格など、自分にはないと思っている。だって、いつもレオにお金のことで迷惑をかけてきたから。
「シズカお嬢様、着替えますよ」
もう一人の冷徹で有能な家政長――エレノアに、私は半ば強引に、寝室予定の部屋へと連れていかれる。
その手の強さが、どこか懐かしかった。
「エレノアのメイド服を見ると、安心するわ」
それは冗談ではなく、本心だった。
帰ってきたのだと、心が勝手にそう感じていた。
叱られた記憶は数えきれないほどある。
物心ついた頃から、貴族女性としての振る舞いを叩き込まれた。私は、とても出来の悪い生徒だった。
それでも。
親も、使用人たちも、次々と私から離れていく中で――
彼女だけは、最後まで公平であろうとしてくれた。
最後まで、変わらなかった。
「安心してどうするんですか? 貴女は、この屋敷の主人ですよ」
厳しい言葉のはずなのに、その声音は、どこか柔らかい。
昔と同じ響きだった。
「ごめん、エレノア。先に謝っておくけど、着替えは登山用の物しかないわ」
「ご心配なく。家財には、お嬢様の衣装もございます」
そう言うと、ワードローブを開いた。
「こちらです!」
「これは見たことの無い服ね」
エレノアが手配した服がそこにあった。
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