怪しい騎士と守護の指輪
やがて、老人は深く息を吐いた。
「……いや、わからん。だが……ミラーが来る時とは、まるで正反対だ……つまり、良い人、ということか」
「当たり前だ」
クロエは胸を張った。
「我が主は、私の誇りだ」
しばしの沈黙の後――
ロンは杖を手放し、深々と頭を下げた。
「執政官殿、謝罪する。どうやら、わしはまたミラーの言葉に騙されておったようだ」
顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見る。
「この村を……どうか、よろしく頼む」
「もちろんです。私の村でもありますから。ご協力をお願いします」
その後、ミラーが私の悪い噂を流布していたという事実が判明した。
まあ、私の姉なら、もっと慎重に、姑息に流すだろうけれど。
「ミラーの家に行かないと。そろそろお暇します」
ロン爺に屋敷に招かれ、長居をしてしまった。
クロエはすっかり老人と、ロンの犬たちと仲良くなっていた。
「わしが他の長老たちにも声をかけよう。皆、騙されておるからな。マークス、お前は他の者たちの誤解を解け!」
「はいはい」
「ロン爺ちゃん、またね!」
クロエが手を振ると、ロンの犬たちは尻尾を振り、吠えた。
※
ミラーの家は村の外れにあったが、その外観は私の予想を軽く超えていた。
「執政官の屋敷よりも立派です……」
クロエがぽつりと呟く。
私も同感だった。屋敷というより、小さな砦だ。壁の厚み、門の位置、警備の数――どれを取っても、代理執政官の住まいとは思えない。
「ミラー執政官代理は、いらっしゃいますか?」
屋敷に入り、マークスが声をかける。
「いえ、ルーナの町へ用事で出ておりまして」
「それでは、戻られたら執政官様がお呼びだとお伝えください」
開かれた扉の向こうを、私はほんの一瞬だけ覗いた。
豪奢な調度品。行き交う使用人の多さ。
その光景を見た瞬間、胸の奥で、何かが静かに噛み合った。
「……全ての謎が解けたわ」
「どうしましたか?」
「今はまだ。でも、マークス。貴方は優しいから、言いにくいこともあるでしょう? 全部じゃなくていい。知っていることを教えて」
一拍置いて、彼は小さく頷いた。
「……わかりました」
屋敷を離れ、村へ戻る途中、一騎の騎馬が近づいてきた。
昨日見たのと同じ紋章――王国騎士団。
私は反射的に馬車を止めた。
「何の用ですか?」
「いや、珍しい旗がはためいていてね。ウルフェンハルトの、何の旗だろうと思って」
「統治領ワールドエンドの旗です」
難癖をつけられるかもしれない。
そう思い、身構える。
「……綺麗な旗だ」
意外な言葉だった。
青い髪、鋭い蒼眼。冷たい表情のまま、彼は旗を見ていた。
けれど、その口元が、ほんの一瞬だけ緩んだように見えた。
「それでは、先を急ぎますので」
「待って。犬人族の子を探している。少し話があってね」
「その件については、昨日もお仲間にお話ししました。王国では奴隷は禁止ですよね」
マークスに合図を送り、馬車を走らせる。
彼は止めようとせず、散歩でもするように、静かに後を追ってきた。
「あの人……悪い人には見えないよ」
クロエが言う。
彼女が初対面の人間を庇うのは、珍しい。
「……わかったわ。話を聞くだけよ」
屋敷に戻ると、彼は門前の古い馬繋ぎ柱に馬を繋ぎ、丁寧に挨拶をした。
「失礼します。挨拶が遅れました。王国騎士団ルーナ分隊隊長、カリオンです」
その名が告げられた瞬間、その場の空気が変わる。
分隊隊長。つまり、ルーナに駐留する王国軍の長。
作業の手が止まり、視線が集まる。
だが彼は、それを気にも留めていない様子だった。
「こちらへどうぞ。ここしか話せる場所がありませんので」
私は彼を調理場の小さな食卓へ招き、扉を閉めた。
「執政官のシズカです。よろしくお願いします」
彼は自然な動作で手を差し出してきた。
「疑われている気配を感じたから、先に言っておく。王国では奴隷制度は禁止だ」
……よかった。胸の奥で、ようやく息を吐く。
「それで、お話とは?」
クロエには何度も下がるよう合図しているのに、彼女は知らん顔でお茶を淹れている。
「子犬ちゃんが、どこから逃げてきたかを教えてほしくてね」
「どうしてですか?」
「奴隷商人のアジトを潰すためさ」
笑顔とは裏腹に、その目は鋭く光っていた。
「森を無闇に探せば、先に気づかれて逃げられる。だから、彼女の力が必要なんだ」
「クロエに先導させる気ですか? 危険すぎます。それに、部下を使えばいいでしょう」
「赴任したばかりでね。部下の中にスパイがいる可能性もある」
クロエはお茶を置くと、私の隣に座った。
「主様。アジトには、まだ捕らわれている獣人がたくさんいます。解放のためなら、私は力を惜しみません」
……そう言うと思った。正しい。見過ごしてはいけない。
それでも――もしクロエに何かあったら。私の胸は痛む。
「彼女には怪我一つさせない。約束しよう」
信用できない。そう思った、その瞬間。
「じゃあ、これを使ってくれ」
机の上に置かれた指輪。
「守護の指輪だ」
「指輪だ。やったぁ!」
クロエが嬉しそうに指にはめる。
「魔力が続く限り、あらゆる攻撃を無効化する。試すかい?」
「わーい、主様、私を攻撃して!」
「できるわけないでしょう!」
私は魔道具の扱いには慣れている。この重厚感、この魔力の密度――本物だ。
次の瞬間、カリオンは剣を抜き、クロエに斬りかかった。
「――っ!」
剣は触れる前に弾かれた。
速く、重く、迷いのない一撃。
「確認だよ」
「ふざけないで!」
私は机を叩いた。自分でも驚くほど、強い音だった。
「……本気で怒っているんだな」
彼は剣を収めた。
その動作は、先ほどまでの鋭さが嘘のように、わずかにぎこちない。
「必要だと思った」
「必要でも、やり方があるでしょう!」
言葉が止まらなかった。止める気も、なかった。
沈黙。
やがて彼は、視線を逸らした。
「……悪かった」
それだけだった。言い訳も、反論もない。
「次は、私の許可を取ってからにしてください!」
「わかった」
短い返事。
けれど、その声は、明らかに大人しかった。
「魔力は込められる?」
私は首を振り、クロエは考え込む。
「じゃあ、満タンにしておこう。寝る前に補充するんだ」
彼は恐ろしい速さで、膨大な魔力を指輪へ流し込んだ。
私は魔術を使えない。けれど、魔力の流れは見える。
……異常だ。
「貴方、何者?」
「分隊長カリオン。それ以上でも以下でもない。指輪はプレゼントだ。嘘はつかない」
信じきれない。本物の守護の指輪。上級冒険者でも欲しがるレアアイテム。
それでも――拒む理由も、今はなかった。
「……わかったわ。いつか必ず払う」
とても、すぐに払える金額ではない。
「俺には不要の物だからね」
「何人で行くつもり?」
「俺とクロエちゃんだけ。他は足手まといだ」
一瞬、言葉に詰まる。
「……わかったわ。私も行く」
そして、この男の化けの皮を――
必ず、自分の目で確かめる。
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