ウルフェンハルトの誇り
すいません。遅れました。
彼らは私に駆け寄ってくる。
また心配をかけてしまった。――いや、それだけではない。また、失望させてしまったのではないか。
胸の奥が、わずかに重く沈む。
「おい、お前たち、馬を庭から出せ。そして整列だ。死にたくなかったらな」
カリオンが鋭く命じる。張り上げた声には、明らかな緊張が混じっていた。
まあ、私でもレオナールの顔を見れば、同じ指示を出しただろう。
騎士団員たちは慌てて馬を庭から引き出し、砂を蹴散らしながら整列する。
「お前たち、庭を整地しろ! 道具は……」
「こちらです」
エレノアが静かに場所を示す。
逆らう者は誰もいない。騎士団員たちは無言で掃除道具を手に取り、黙々と作業を始めた。
「話は聞きました。他に要件がなければ……」
そう告げた瞬間だった。
「待て! 書類には不備があったかもしれんが、我が別荘が襲われ、獣人族が攫われた! つまりお前は誘拐犯の仲間だ!」
よろよろと立ち上がった商人が、唾を飛ばして喚き散らす。
顔色は悪いが、声にはまだ力があった。
――元気そうで、少し安心した自分がいた。
「酷い言いようね。商人の貴方の言うことなんて、信じられないわ」
私はわざと小さく首を振る。
「はぁ!? そこの騎士兵長も、他の騎士も……何人も現場を見ているんだぞ!」
カリオンの前で、騎士たちは戸惑いながらも商人に指を差され、わずかに頷いた。
「まずいですね」
ミラーが、口元を歪める。
「執政官が誘拐犯の仲間になり、勝手に在留資格を出すとは。執政官失格――いや、犯罪者だな。ウルフェンハルト侯爵の恥だ」
恥――。
嘘ばかりだ。
だが、その言葉だけは、真っ直ぐに胸へ突き刺さった。
侯爵家の名を背負う者として。
そして、これまで何度も向けられてきた言葉として。
視線が落ちる。足元が、わずかに揺らぐ。暗い底へ、独りで落ちていくような感覚。
「誘拐犯とは、酷い言い方だな」
低く、よく通る声が空気を裂いた。はっと顔を上げる。
「別荘だと? あれは監獄の間違いだろう」
凍りついた空気の中、カリオンが一歩前へ出る。
「獣人族を助け出したのは俺だ。騎士団の中に裏切り者がいると教えてくれて助かったよ――奴隷商人」
その言葉に、商人の顔がみるみる蒼白になる。
「取り調べを受けてもらおう」
逃げようとした腕を、カリオンが無造作に掴んだ。
「おい、騎士兵長以下、裏切り者を全員捕えろ。逃げたり抵抗したら俺が処分する」
彼は片手で剣を抜く。陽光を受け、刃が冷たく光った。
「監獄は見たんだろう? ああなりたいのか?」
裏切り者たちは、糸が切れたように両手を上げた。騎士団員が一斉に動き、あっという間に拘束していく。抵抗する者は、一人もいなかった。
「なんだ、つまらん」
カリオンは興味を失ったように剣を収めた。ふと隣を見る。
レオナールの顔が、憤怒に染まっていた。
――彼は、私の言葉を待っている。
「レオナール」
唇が、わずかに震える。
「私は……ウルフェンハルトの恥なのかしら?」
考えていた言葉ではなかった。本心が、そのまま零れ落ちた。
「お嬢様」
低く、震える声。
「そのようなことは、決してありません」
彼の拳が強く握られる。
「恥なのは、家宰であるこの私」
次の瞬間、ミラーの胸倉を掴み、引き寄せた。
「貴様……ウルフェンハルト侯爵令嬢シズカ様への度重なる暴言、万死に値する」
その目は、本気で殺意を宿していた。
「お嬢様の意向は、我が家の意向。在留資格など、いくらでも発行できる。――来い」
「こんな僻地に飛ばされるお嬢様など――」
「黙れ!」
怒声が庭を震わせる。
いつの間にか、ミラーの首には拘束用の魔道具の首輪が嵌められていた。
膝から崩れ落ちる。
「……レオナール、殺しては駄目よ。聞くことが数多くあるの」
「御意」
彼は従順に頭を下げ、ミラーを軽々と引きずっていった。
残されたのは、呆然と立ち尽くすロイズだけだった。
「それで、ロイズ子爵。何のご用件でしたか?」
「いや……わしは関係ない。ただ挨拶に来ただけだ。帰る」
明らかに動揺している。
「今度は、こちらからご挨拶に伺いますわ」
背を向けたままの彼に告げる。
ロイズは慌てて馬に乗ろうとし――足を滑らせ、頭から地面に落ちた。
思わず、瞬きをする。
「馬車でお送りしましょうか?」
「ほっ、放っておいてくれ!」
土だらけのまま馬にしがみつき、ようやく走り去っていった。
「それじゃ、執政官。俺たちも失礼する」
カリオンが馬に跨る。
「行くぞ!」
騎士団は捕虜を連れ、峠道へ向かっていく。
その途中で、彼はふと振り返り――小さく手を振った。
私は、ほんのわずかに手を上げかけて、やめた。
代わりに、その背中を目に焼き付ける。
胸の奥が、静かに揺れていた。
「……ふぅ」
深く息を吐く。
「お嬢様」
振り向くと、エレノアが立っていた。
静かな怒りを宿した顔。
「何ですか、その服装は」
「だって……戦いになるかもしれないと思って」
彼女は何も言わず、私の手を掴んだ。
指先が、わずかに震えている。
屋敷へ戻る途中、獣人族たちがこちらを見ていた。その目には、不安ではなく、安堵が浮かんでいる。
「もう大丈夫よ」
足を止め、彼らに向き直る。
「貴方たちを縛るものは、もう何もないわ」
彼らは深く頭を下げた。
部屋に入った瞬間だった。
エレノアが、突然、私を強く抱きしめた。
「恥ではありません」
耳元で、震える声。
「ウルフェンハルトの誇りです」
「……え?」
こんなふうに抱きしめられたのは、いつ以来だろう。私は何も言えなかった。
「エレノア……着替えるから。クロエ、出して」
「あ……申し訳ありません」
彼女は離れた。
着替えを済ませながらも、胸の奥の温かさは消えなかった。
――嬉しい。
ただ、それだけを静かに噛みしめていた。
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