静寂を破る蹄
「起きて、執政官様、主、シズカ」
どう呼んでいいのか、彼女の中でまだ定まっていないのだろう。
クロエに起こされる幸せ。既に彼女はメイド姿に着替えている。
「おはよう!」
私は眠い目を擦りながら、可愛い彼女の顔を見る。
この土地で迎える朝が、少しずつ日常になっていることを、まだどこかで不思議に思っていた。
「敵が来ました!」
彼女の切迫した声で、私は飛び起きる。
瞬間。
「どんどん」
乱暴に扉を叩く音。馬の嘶き。人の気配。
魔物討伐で慣れた手際で、あっという間に冒険者の服に着替え、一階に飛び降りる。
私は、獣人族はただならぬ状況に驚き、部屋の隅で毛布を被り震えているのを見る。
「任せておきなさい。レオ……エレ……」
屋敷の前に止まっているはずの馬車が無い。朝の買い出しに出かけたのだろう。
私が対応するしかない。クロエに彼を起こしに行ってもらう。
「早く開けろ! 開けないと壊すぞ!」
その声は、例の騎士兵長の声だ。私は扉を開け、すぐに閉め、その前に立った。奴らを屋敷に入れるつもりは無い。
「ウルフェンハルトの屋敷を壊すとは、面白くない冗談ですね。許されるとお思いですか?」
「いや……」
彼の顔は青ざめるが、後ろを振り返り言葉を続けた。
「これは、王国領ルーナの執政官様が……」
騎士兵長の他に、数十人の騎士団員と猟犬、さらにミラーと商人、それとルーナの執政官らしき男が、屋敷の庭に馬のまま乗り込み、整備した庭の土を無遠慮に荒らしている。
悪いが、私は少しも怖くない。殺意も狂気も戦意もない集団に。
「そう、どなたがその執政官かしら? 貴方かしら?」
私は、いかにも悪巧みをしそうな、ポケットの多い商人服を着た小太りの小男を指差した。
「は⁉︎ ワシじゃない」
商人は急に指されてびくりとした。
「あら、そうなの? 名乗り出てくれないとわからないわね。あ、私はシズカ。ウルフェンハルト侯爵領の分領ワールドエンドの執政官よ。皆様よろしくね」
「ふん、見る目の無い女め。わしが、ルーナの執政官にして子爵のロイズだ」
騎士たちを押しのけて階段を登り、私の前に立つ。睨みつけてくるが、残念だ。眼力が足りない。ゴブリンレベルだ。
「ロイズ子爵様、よろしくお願いします」
私は手を差し出すと、彼は嬉しそうに手を取る。
気分は悪いが仕方ない。これで彼の持っている魔力がわかる。やはり大したことはない。
「壊すというのは言葉のあやでな。まったく軍人というのは礼儀を知らん」
気分良さげに言い訳をする。私が下手に出たと勘違いしているのだろう。私は最低限の礼儀を守っているだけだ。
「朝早く用事があってな。おい、グラハム、お前が説明しろ!」
「ええ、わしの獣人族がここに逃げ込んだ。猟犬に追わせたからな。だから返してもらいに来たんだ」
商人はグラハムというらしい。爬虫類みたいな長い舌を巻きながら話す。
「ま、そういうことだ。仲良くやろうじゃないか?」
ロイズという子爵。こいつがどんな奴か、私は既に調べてある。隣の領地のことだから。姑息で無能ゆえ王都を追い出された男。
「奴隷制度は禁止されています」
「ははは、もちろん知ってる。誤解しているようだな。奴隷じゃない、労働契約もしている。そうだな? グラハム」
「もちろんです。ここに契約書も」
私の目の前に差し出された書類を、私はぱらぱらとめくる。
「どうだ、わかったか?」
商人は勝ち誇った顔をした。
「ええ、わかりました。偽物の契約書ですね。私は昨日、全員の名前を書きましたから覚えています。彼らには、全員在留資格を与えました」
私の答えに、グラハムは青ざめた。あまりに商人として稚拙だろう。
「待て! 執政官が勝手に在留資格を出すとは許されないだろう! 偽文書だ!」
「あら、ミラー。やっと口を聞いたのね。残念ながら本物よ。グラハム、法廷で戦いましょう。それではお引き取りを」
「ここまで、わしが足を伸ばしてきたのに、恥をかかすのか?」
ロイズが、私の腕を取ろうとする。
その時。
彼は階段の下まで吹き飛ばされ、商人は地面に叩き潰れた。
その上に落ちてきたのは、人――いや、カリオン。
二階から飛び降りてきたのだ。
ロイズはカリオンの手刀を受けて階段を転げ落ち、商人はその足元で下敷きになった。
「遅いわよ!」 私はカリオンに怒った。
「ごめん。英雄は遅れてやってくるものだろ!」
「それより、大丈夫かしら? 貴方の足元の蛙?」
一応、商人の生死を気にする。屋敷の前に死体なんて嫌だから。
「死んじゃいないよ。ロイズ子爵、初めてお会いするね。分隊長のカリオンだ」
「お前がカリオンか? 上司に向かって。おい、こいつを捕まえろ!」
転んでいたロイズが、よろよろと起き上がって叫んだ。
「貴族の癖に、組織のこと知らないのか? 我が分隊は王国騎士団だ。お前の部下じゃない。そして国王直轄だ」
騎士団員たちは、どうしていいかわからず立ちすくんでいた。私も知らなかった。まさか、国王直轄とは……。
その時、砂埃をあげて、凄まじい勢いでレオナールたちの馬車が帰ってきた。
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