執政官の初仕事
「お帰りなさいませ」
屋敷の前で、エレノアが立って待っていた。一瞬、ほっとしたような表情を浮かべる。私も彼女の顔を見て安心した。
「皆さん、こちらです」
獣人たちを井戸へ案内し、手と足、顔を洗わせる。
眠そうにしている子どもたちは、レノナールとカリオンが抱いて運び、エレノアが代わりに洗っていた。
屋敷への道すがら、クッキーをレオナールにもらって満腹になり、馬車の心地よい揺れで眠くなったのだろう。
「懐かしいなぁ」
私も小さい頃、同じようにしてもらったことを思い出す。手や口の周りを汚したままの子どもたち。
「手伝うわ」
私が手を出そうとすると、すぐに止められた。
「執政官様は、やることがあるでしょう」
「何かしら……ああ、そうか……」
受け入れをしなければならない。屋敷に入って、思わず足を止めた。
布団の山と、食事の準備がすでに整っている。この村民と話をつけたのだろう。
入口には、私が座る机と書類、筆記用具まで用意されていた。
――恐るべき段取りの良さだ。
「そうね。行動を起こしたら、その先まで考えないと」
私の思いつきの行動が何を招くか、すでに計算され、手が打たれている。その事実に、彼女の凄さを実感する。
「執政官様、主様、シズカ」
いつの間にかメイド服に着替えたクロエが、目の前で呼びかけていた。はっと我に返る。
「あ? どうした?」
「はい、受け入れをお願いします。もう、準備は整っています」
私は台帳を開き、名前、種族、年齢、性別、特徴を一人ずつ尋ねて書き込んでいく。
「本当は、私がやらないといけないのに……」
クロエは、満足な教育を受けてこなかったらしい。それは環境の問題だ。今、気にすることじゃない。
「これから教えるわ。その代わり、名前と顔は覚えておいて」
「任せて、主」
番号付きの在留許可証を手渡す。
「これが身分証明書よ。大切にしてね」
これも、エレノアが準備していたものだ。
「え! なんかもらった!」
少し大きい子どもがはしゃぐ。
「なんかじゃない。ウルフェンハルト領の透かしが入った、立派な証文だ」
父親だろう犬人が、そう説明している。
「全員終わるまで、食事は我慢してね。みんなで食べましょう。なくならないから安心して。次の人……」
思ったより時間はかからなかった。
エレノアは温めたスープを皿に盛り、クロエが配膳をする。
レオナールは子どもを布団に寝かせていた。カリオンの姿はどこにも見当たらない。
ここで手伝いを申し出たら、また怒られるだろう。
私は執政官だ。
勇気を出して、獣人たちに声をかける。詳しい事情は明日聞くとして、今は安心させたい。
「困ってること、ない? なんでも言ってね。いつでもいいから」
「ありがとうございます。どうして、私たちによくしてくださるのですか?」
「ノブレスとして、じゃなくて……そうね。いつか、恩を返してくれる? 私が困った時に」
この世界は、生易しいものではない。
庶民の冒険者たちに同じことを聞かれた時、こう答えると、皆納得した顔をしていた。
「わかりました」
真剣な表情で、そう返してくれる。
「さ、食べましょう。机が足りないから、板間に食器を置くわ」
コンソメ味のスープに、柔らかいパンと水。具はよく煮込んだ一口大の肉と、少量の野菜。疲れた体と消化を考えた献立だ。
エレノアは冒険者の経験がないはずなのに、よくわかっている。脱帽だ。
静かになりそうな食事の場を、クロエが和ませ、やがて会話が弾み始めた。
「美味しい!」
質素な食事にもかかわらず、猫人の若い女性が思わず声を上げる。ほかの者たちも頷いた。これも、エレノアの力だ。
「明日、健康診断と面接をします。それから、もっと美味しいものをエレノアが――」
話の途中で、今度はレオナールが小声で耳打ちしてきた。
「すべては、執政官であるお嬢様の采配です。我らの名を出す必要はありません」
「でも……そうね。ありがとう」
また、家宰たちを失望させてしまったのだろうか。胸の奥が、少しだけ痛んだ。
食事を片付けると、大広間はそのまま寝床になった。獣人たちは自主的に手伝いをしている。
この屋敷には小さな部屋がいくつもあるが、そこは使わないらしい。
彼らの判断に任せることにした。
「獣人たちは在留者であって、正式な客ではない」
聞かずとも答えはわかっていた。だから、せめて要望を一つだけ伝える。
「男女と子どもの場所は、仕切ってちょうだい」
「かしこまりました。もう深夜です。シズカお嬢様、お部屋でお休みを。クロエ、準備をなさい」
「はーい!」
獣人族の同年代の子どもたちとの会話を切り上げ、クロエに手を引かれて階段を上る。
着替えを手伝ってもらい、ベッドに潜り込む。クローゼットには、私のために仕立てられた執政官のドレスが掛けられていた。嬉しくて、微笑む。
クロエは黒犬の姿になり、私のそばで丸くなる。
「ねえ、クロ。カリオン、見なかった?」
ダンスパートナーのことを思い出して尋ねると、眠そうに目をこすりながら匂いと気配を調べて答えた。
「うーん。もう客室で寝てますね。シズカ、私たちも寝ましょう」
「それなら、安心ね」
瞼が重くなる。今日は一日、あまりに多くのことがあった。
――そして、熟睡していた早朝。
望まざる客が、私たちの屋敷の扉を叩いた。
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