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第六話:茶々、初恋で謀反カウントダウン開始

 柴田勝家が別の生き物になった翌日。

 私は部屋で、江のおもちゃ箱を漁っていた。


 江がぽてぽて歩きながら1冊の絵本を引っ張り出してきた。


「ちゃちゃねえたん〜これよむ〜」


 表紙には、大きくこう書かれていた。


『よいこの武将図鑑 〜戦国のつよい人、あつまれ!〜』


(江……謎の本を持ってきたね……)


「江、これ読むの好きなの?」


「のぶおじちゃん、のってる〜」


「あー……信長ページね……」


 パラパラめくると、信長のページには

 『かくどがすごい』『おしゃれ』『つよい』など、

 子ども向けのゆるい説明が書かれていた。


(“バカ”が抜けてる。監修入ったな)


 そのままページをめくっていた私は──

 次のページで固まった。


 ──運命のページ──

 目に飛び込んできたのは……



 ◆武田信玄 (たけだ・しんげん)

  ・ぼうず

  ・ひげがすごい

  ・かしこい

  ・つよい

  ・すなおじゃない

  ・からだもすごい

  ・まっちょ

  ・ぜんぶすごい


 絵:

  坊主。

  極太の髭。

  肩が山みたいに盛り上がっている。

  鎧を着てても筋肉がはみ出している。



(………………)


(………………なに、この……理想の男……)


 すりすり……と、思わずページを撫でてしまった。


「ちゃちゃねえたん、おめめキラキラ〜してる〜」


「してない」


 初が横から覗き込み、ふっと息を呑む。

「茶々姉……魂の波形が……"惚れた"って言ってる……」


「初、姉の魂読むな」


「無理。見えてしまう……」


 江がぽやっと言った。

「ちゃちゃねえたん……そのひとすきなの〜?」


「……好き」


「即答!?!?」

 初が眉間に皺を寄せた。


 私は図鑑を抱きしめた。


(強い……髭……坊主……肩まわりが山脈……なにこれ……神……?)


 *


 そのとき。


「あら? みんなで何見てるの?」


 廊下から母上がひょっこり顔を出した。


「母上!? なんでここに!?」

(やば。見られた。恥ず)


「お茶の時間よ? 呼びに来たの」


 母上が図鑑を覗き込む。


「あら……武将図鑑? 懐かしいわね。

 私も昔読んだわよ。どれどれ……」


 母上の視線が、信玄のページに落ちる。


「……あら。武田信玄?」


 沈黙。私は息をのんだ。


 母上が微笑んだ。


「ボウズヒゲマッチョ、良いわ……」

 うっとりする母上。


 ──全員固まった。


「「「え!?!?」」」


 私と初と江が同時に叫ぶ。


「え? だって信玄って、こう……強そうで……髭が立派で……肩がすごくて……良いでしょ?」

 母上がキラキラした目で言う。


「茶々姉の趣味……血筋!?!?」

 初が驚く。


「母上……まさか……あなたも……?」

(私のこのボウズヒゲマッチョ好きって……血筋なの!?)


「え? 何? 茶々、信玄が好きなの?」


「……好き」


「あら! 母娘ね!」

 母上がニコニコしながら私の頭を撫でる。


(血筋……これが……浅井の血……!?)


「遺伝子に……"ボウズヒゲマッチョ好き"が……

 刻まれている……私も、江も……ボウズヒゲマッチョにときめくのか……」

 初が震えている。


「初!? 罰ゲームみたいに言わないで!?」


「ままと〜ちゃちゃねえたん〜おなじ〜

 でもね〜、わたしは〜 おとこぎ あふれるひとが すきなの〜」

 江がぽやんと笑う。


「江!? 男気!?なに!?どこで覚えたの!?」


「江……血筋の呪いを……回避した……」

 初が呆然とする。


「あれ?でも、父上はボウズヒゲマッチョじゃ──」

 私が父上の話をしようとしたその時──


「茶々ー!! 本日も角度講習開催するぞー!!」


 廊下から信長がやかましく登場。

 

「チッ」

 思わず舌打ちが出た。


「茶々姉、それ母上の血……」

「ちゃちゃねえたん、ままみたいだった〜」

 初と江がつぶやく。


 信長が部屋に入ってきて、母上と目が合った。


 ──瞬間。


 信長の背筋に緊張が走る。


「……市……さん……!?」


 信長の顔が引きつる。


 母上は笑顔のまま、ゆっくり振り返った。


「あら兄上。どうしたの?」


 その声は──優しかった。


 ──優しすぎた。


 空気が……一瞬だけ、穏やかになった。


(あれ……?今日は情緒、生きてる……?)

 

「お、お前……今日は……情緒が……?」

 信長が震える。


「今日の母上は“本能解放率”が低い……?」

 初が冷静に分析する。


「まま〜、きょうは、のぶおじに〜 かちこみ、いかないの〜?」

 江がぽやんと煽る。


「江!? さっきから何!? どこかで任侠もの見てるの!?」


 信長の肩がほんの僅かに下りる。


 その瞬間。


「──と言うとでも思ったかバカ兄めェェェ!!!」


 母上の両手が“一瞬だけ”光った気がした。

 

 シュイン! シュイン!

 

 次の瞬間、母上は木刀を二本握っていた。


「あれ?今、木刀が母上の手から生えてこなかった!?」

 私は目を疑った。


「母上の“人の理”が……完全に崩壊した……」

「まま〜てから ぼう が でてきた〜」

(初にも江にも見えてた? まぁいいやどうでも)


「兄上ェェェ!!!

 今日も生きてたのかァァァ!!!

 なんで朝目覚めるのよォォォ!!

 そのまま起きて来ないでよォォォ!!」


「ちょ、待て市!!話せば分かる!!」


「分かるって? 私が納得いく時は兄上が冥土に行った時だけよォォォ!!!」


 ブンッ!!


 木刀が信長の頭をかすめる。

「ぎゃあああ!!!」


 信長が全力で逃げ出す。

「さっきは一瞬だけど、会話成立しただろ!?」


「そんなのフェイクに決まってんだろォォォ!!!

 私は寝ても覚めても兄上を殺すことだけしか考えてないのよォォォ!!!」


 ブンッ!!

 ブンッ!!

 ブンッ!!


 木刀が唸りを上げる。


「兄上ァァァ!!逃げるなァァァ!!!」

 母上が信長を追いかけて廊下へ消えていく。


「逃げるわァァァ!!!」


 私はお茶菓子に手を伸ばした。

「おいし。」


「あ、茶々姉、私も食べたい」

 初もお茶菓子を食べる。


「のぶおじ〜 いもひいてる〜」

 江がニコニコ。


「江!? 絶対この家に任侠ものあるよね?」


 遠くから母上の声が聞こえる。


「首ァァァ!! 首置いていけやァァァ!!!」


「無理だァァァ!!!」


 私は図鑑を抱きしめ直した。

(……母上も……ボウズヒゲマッチョ好き……これが……血筋……)


(でも……信長への殺意も……血筋……?)


(……浅井家……複雑……)


 *


「茶々、何を持っておる?」


 信長が戻ってきた。

 前髪が乱れ、息を切らしている。

 その後ろに縄でグルグル巻きにされて連行される母上が見えた。


「別に」


「見せよ」


「やだ」


「やだって言われた……?」

 信長がゴリ押しで本を奪う。


「ふむ……『よいこの武将図鑑』か。 ん? このページは──」

 信長、固まる。


「武田信玄……?」


「好き」

 私、真顔で言った。


「好きぃ!?!?」


「信長より筋肉ある」


「まさかの筋肉好き!? 五歳児の男の趣味かそれ!?」


「母上も男はボウズヒゲマッチョって言ってた」


「市まで!?」

 信長が絶望した顔をする。

 前髪の角度で天下を狙ってきた男の魂が、静かに崩れ落ちた。


 初が淡々と解説する。

「茶々姉は……"角度より筋肉派"。

 これより戦国は筋肉と角度の二極化へ……」


「初! 戦国の流れを勝手に作るな!!」


 私は胸を張った。

「信長、天下取りたいでしょ」


「む?う、うむ」


「じゃあ武田に降参しよ?」


「なんでだよ!」


「恋は戦。」


「迷言!!」


「じゃあ私は武田につく」


「そして謀反!!五歳児が裏切る!?」


「茶々姉の魂が……"信玄をこの手に"って叫んでる……」

 初が補足する。


「のぶおじ〜五さいに、うらぎられるの〜?」

 江がニコニコ。


「おまえら……」

 信長は頭を抱えた。


「わしの角度では……お前の恋心に勝てんのか……?」


「そもそも角度って何?あんたら何してんの?昭和だよそれ。古いんだよ。」


「お前が言いだしたァァァ!!」

 信長が膝から崩れた。


 江がぽやっと言った。

「ちゃちゃねえたん……"恋の角度"が……たってる……」


「江、それは名言だよ……」


 *


 そこへ──城の外で突然、怒号が響き渡った。


「赤い!!」

「赤いのが来たぞ!!」

「赤一色!!」

「なんか突撃してきそう!!赤だし!!」


(色で判断するなよ……)


 物見櫓の兵が叫ぶ。


「武田の……赤備えだァァァ!!!

 ウルトラ危険人物!! 皆の者、出てくるなぁ!!」


(ほんとに危険な人じゃん)


 信長が慌てて廊下から顔を出した。


「なにごとだ!!」


「殿!! 敵の最強武将・山県昌景と思しき者!!

 “ここより先へは参らぬ!”と城外で名乗っております!!」


(ちゃんと礼儀正しいの何)


 私は身を乗り出した。


「まって今“山県”って言った!?」


 私は図鑑をぎゅっと抱えたまま駆け出した。

 

 城門の上へ登ると、

 視界の先に──赤。


 赤。

 赤。

 赤。


 全身赤の武将が馬上で静かに立っていた。


 山県昌景。


 乱暴でも無礼でもなく、

 背筋は伸び、姿勢は美しい。


 その声は凛として響いた。


「武田家、家臣・山県昌景!!

 織田殿に伝文を届けに参った!!

 ここより一歩も入らぬゆえ、ご安心召されよ!!」


(強者の威圧と礼儀が同居してる……すご……)


 信長が眉をひそめて呟く。

「……本物だな。強い」


 初が小声で言う。

「魂の色が……“忠義の真紅”……あれは……ガチ」


(初、魂分析で急に詩的になるな)


 江がぽやんと見つめる。

「ちゃちゃねえたん〜あのひと、わかがしら、ってかんじ〜」


「江!?任侠好きなの!?

 お姉ちゃん、もう江から目が離せない!心配!」


(……山県は信玄の部下……

 つまり……信玄に近い男……

 あの人の空気を吸ってる男……!)


 私は城門から身を乗り出した。


「昌景ーー!!」


「姫!? 伏せてください!!」

 織田兵が大混乱してる。まぁそうか。


「信玄どう!? 今もごつい!? 髭すごい!? 肩まじで山!?!?」


「質問の圧が強い!!」

 信長がツッコむ。


「え?し、信玄公は──図鑑より……はるかに……“ごつい”」

 山県は少しだけ戸惑ったが、すぐに真顔で返答。


(図鑑より………………)


「今なんて言ったの???」


「図鑑より……ごついと……」

 山県は困惑気味に答える。



 ──時が止まった。



(……図鑑より……大きい……つまり……)


(実物は……神……?)


 その瞬間、私の瞳孔が開いた。


「行く」


「どこへ!?」

 信長の首がグリンとこっちを向く。


「甲斐!!」


「行かん!!」

 信長が高速で否定。


「っさい!お前ごときが私の人生決めるなァァァ!!」


「市の血!!謀反カウントダウン開始!!」

 信長の前髪が天を突いた。


 *


 そして──山県が追加で爆弾を投下した。


「ちなみに信玄公、最近さらに鍛え直されて……

 肩が……以前の倍ほどに……」


(倍……………………)


「初!! 江!! 旅支度!!」


「ふむ……」

 初は静かに荷物の内訳を計算している。


「なぐりこみじゃ〜」

 江はニコニコで拳を作る。


「江!? なんで一歳が任侠ものと出会ったのか教えて!?」


「無理無理!! 馬鹿かお前は!!」

 信長が叫ぶ。


 私は図鑑をぎゅっと抱きしめた。


(会いたい……信玄……

 坊主……髭……肩……強さ……

 全部好き……)


「ちゃちゃねえたん〜、しんげんさんにあいたいの〜?」


「うん。江も一緒に行こ」


「いく〜」


「行くな!!」


 初がまとめる。

「恋とは……魂の炎。

 戦国を燃やすのは、角度と……恋」


「初、そのうち史料に名前残るよ絶対」


(信玄……絶対この目で見る……

 図鑑で惚れた相手と結ばれる歴史……

 私が作る……!!)


「ちゃちゃねえたん〜“こいのかくど”あがったよ〜」


「江、天才すぎるわ」


「……わしの角度……恋に勝てぬのか……?」

 信長の声が風に消えた。


 私は自分の前髪を整え、恋の角度をほんの少しだけ上げた。



(つづく)

◇◇◇


あとがき


◇◇◇


お市です。

いま縄で転がされてるけど、気にしないでちょうだい。

(慣れたものよ。兄上のせいでね。)


ここまで読んでくれて、ありがと。

茶々が信玄に魂を持っていかれた瞬間、

母として誇らしいような、泣きたいような……

まあ、浅井の血よね。

ボウズヒゲマッチョに弱いのは宿命みたいなものだから、もう抗わないわ。


ねぇ?

もし少しでも「続き気になるわね」と思ったなら、

ブクマでも☆でも、ぽちっと押していきなさい。


兄上に木刀を叩き込むより、あなたの一押しの方がよほど心が救われるの。

浅井家の情緒は常に風前の灯火だから、支えてちょうだい。


……縄が食い込んできたわ。

次回も暴れるから、覚悟なさい、兄上ァァァ!!

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