第五話:柴田勝家が消えた日。
ぜっつーが尾張の街道を爆走して数日。
私は母上と縁側でお茶を飲みながら、庭を眺めていた。
いつもなら静かな朝稽古の時間──のはず、なんだけど。
遠くから信長の声が聞こえる。
「今日の角度は天を刺す!!」
すると、突然母上が──。
「……ふふ。殺すか」
と、「今日の献立、味噌汁にするか」レベルのテンションで笑顔でつぶやき、懐から木刀を出した。
──そして。
「兄上ェェェェ!!!!!
なぜ浅井家を滅ぼしたァァァァ!!!!」
母上が全力で木刀を振りかざし、信長を追いかける。
信長は当然逃げ惑う。
仲良いなこの兄妹。殺意が会話みたいになってる。
「ちょっ、お市!!待て!!話せば分かる!!!」
「分かるかァァァ!!!!!!!」
庭の小石が弾け、植木が折れ、家臣たちが四方に吹っ飛ぶ。
「殿ォォォ逃げてェェェ!!!」
「お市様ァァ落ち着いてぇぇ!!!」
「落ち着いてるわよォォォ!!!これでも限界ギリギリで落ち着いてるのよォォォ!!!」
「うぉおおおおおおおおおおお!?」
信長が全力で角度のついた前髪を揺らしながら逃げ回る。
「私気付いたのよォォォ!!!兄上殺しても私たちが居るから織田は滅びないのよォォォ!!!」
「理屈がおかしい!!茶々ァァァ助けてくれぇぇ!!!!!」
信長が飛んでくる燈篭を避けながら叫んだ。
「……。」
私は無視した。
──数分後、疲れた母上は家臣たちに連行されていった。
「がるるるるる!!がるるるるるる!!ふしゃーッ!!」
「ぎゃっ!? お、お市さまに噛まれたァ!!?」
初が、めちゃくちゃになった庭を見つめながらぽそり。
「……今日の母上……“本能解放率”七割……」
「七割か。まだ上があるのね。楽しみだわ」
私は妙にワクワクした。
「母親の殺意の成長を楽しむな!!!」
信長が前髪の角度を直しながらツッコんだ。
(角度直す余裕はあるんだ)
江はというと、連行される母上を見てニコニコ。
「ままね〜、きょうは、おしかった〜。
もうちょっとで、のぶおじの、たま、とれた〜」
「江!?一歳で命を“たま”って言うのやめて!?」
私は湯呑みをくいっと傾けた。
「母上が一日一回兄上を殺そうとする家、って……
何なんだろうね、ほんと」
ズズ……
「……お茶おいし。」
*
──そして、朝稽古が始まった。
「殿ォォォ!! そこはもっと角度を!!」
「違う!角度は心だ!! 心で立てろ!!」
(……うるさい)
庭の真ん中。
信長がぜっつーから降りて、家臣と何かをしている。
よく見ると──
「ねぇ初。あれ何してんの?」
「“角度講習”だね」
「角度講習って何」
「“魔王のような前髪を持ちたい者、ここに集え”って札が出てた」
(しれっと危険な講習開いてんじゃないよ)
庭には、若そうな足軽たちが列をなしていた。
全員、前髪をやたら気にしている。
列の後ろの方から、ざわざわと会話が聞こえる。
「おい、殿のまねしてみたけど……これ、本当にかっこいいのか……?」
「さっき通りすがりの娘が笑ってたぞ」
「笑ってたのか!? 笑われていたのか!? どっちだ!?」
「どっちでもいい。殿がかっこいいって言えば、それが正義だ」
(危ない思想が生まれてる)
そこへ、頑固そうな中年武将がずかずかと歩いてきた。
「殿!!」
「なんだ柴田勝家」
(出た、ガチ武闘派)
「このような奇妙な髪型、軍規に反します!!
武士は実直たるべき!! 前髪に角度など不要!!」
勝家の前髪は、潔いほどまっすぐ下りている。
角度ゼロ。魂が直線。
信長は、にやりと笑った。
「勝家。おぬしは強い。槍も、胆も、申し分なしだ」
「当然にございます!!」
「だがな──“映え”が足りぬ」
「映え!!??」
庭がざわついた。
初が小声で解説する。
「“映え”とは、人の目と心に刻まれる残像……」
「そう、初の言ってることが正解」
私はうなずいた。
信長が勝家の肩に手を置く。
「見よ、茶々を。
この幼子の一言で、わしの前髪も、ぜっつーも生まれ変わったのだ」
「殿の理屈が飛躍しておられる!!」
「この世を治めるのは、武と角度と……話題性だ」
「話題性ぃ!!??」
勝家の魂がぐらついているのが、遠目でも分かる。
(いいかもね。勝家をかっこよくすれば、織田軍の士気が勝手に上がる)
そこで私は、ゆっくり立ち上がって近づいた。
「柴田さま」
「は、はい姫様」
「あなた、強いもんね」
「も、もったいないお言葉……!」
「でもさ。戦場であんたを見て、
兵が“あ、あれ柴田勝家だ、やべぇ、逃げよ”って一瞬で分かる方が良くない?」
「……!」
私は勝家の前髪をじっと見た。
「今のままだと、“強そうな人”で終わる。
でも、角度がついたら──“あの角度、勝家だ”って、一発で分かる」
江がぽやんとした顔で言う。
「“角度で覚えられる武将”って、ちょっとお得〜」
「お得……!」
勝家の目が揺れた。
初が小さく呟く。
「名を残すとは、魂の形を残すこと……。
角度は魂の“記号化”……」
(すげーな初。それっぽいことを言い始めた)
信長が追撃する。
「勝家。おぬしの武は、すでに天下一級。
あとは“見た目”だけよ」
「み、見た目……」
「そう。“一目で分かる恐怖”。
それを持つ者だけが、戦場を支配できる」
私はにっこり笑った。
「ね? 角度、付けよ?」
沈黙が落ちた。
庭に吹く風の音だけが聞こえる。
勝家は──
「…………」
拳を握りしめ、
「……角度を……」
「角度を?」
私はニコニコ。
「角度をォォォ!! くださいませ姫様ァァァ!!!」
土下座した。
(落ちた)
家臣一同が悲鳴を上げる。
「柴田様がァァァ!!」
「角度に屈したァァァ!!」
信長は満足そうにうなずいた。
「よし、勝家。お前には“鬼角度 (おにカクド)”を授けよう」
「お、鬼角度……!!?」
「初!! こやつの髪、頼む!!」
初がすっと前へ出た。
「叔父上、まかされた……だが勝家殿の魂は、角度だけでは収まりきらぬ……」
初が勝家の頭に手をかざす。
「角度が……暴走している……! これはもう“巻き”へ進化する運命……」
「名を──“反地破魔 (パンチパーマ)”」
「ぱ、ぱんち……?」
勝家の顔が引きつった。
「初、ほんまいくの?」
「やらいでか」
初が勝家の頭に手を伸ばし──
キュル。
小さな音が鳴った。
次の瞬間。
キュル……
キュルキュルキュルキュル!!!!
初の指先が、残像を残すほどの速度で回転し始めた。
「な、何を……うわぁぁぁ!!」
勝家の顔が歪む。
「あつっ!! 熱い!! 魂が燃える!!」
摩擦で勝家の頭から煙が上がり始めた。
「ひ、姫様ァァ!! 勝家様から煙が!!」
「燃えている!! 物理的に燃えている!!」
家臣たちが阿鼻叫喚の中──
「だいじょうぶ。魂が燻されてるだけ」
初の手は高速で動き続ける。
(痛いんだ……パンチ作るのって……ていうかその手捌きどこで覚えた三歳児)
数分後。
そこに立っていたのは──
焦げ臭い煙をまとい、巻き巻きに圧縮された髪。
ギラつく角度、暴のオーラ。
「……!」
「勝家様が……丸められてる……」
「いや、違う……あれは“鬼”だ……」
「近寄れない……!!」
若い兵が震える。
江がぽやんと呟く。
「なんか……勝家さん……こわかわいい〜……」
信長は震える声で言った。
「美しい……!!!」
初が満足げに頷く。
「これで戦場に“圧縮された鬼”が誕生した」
勝家は震えながら鏡を持つ。
「わ、わし……
かっこいい……!!
かっこよすぎるッ!!!!」
(角度一つで人生変わる男が二人目)
初の“反地破魔”によって覚醒した柴田勝家は、
自分の前髪を震える指でそっと触りながら言った。
「姫様……殿……
わし……強い……強い気がする……!!」
(気のせいじゃない。角度がすべてを狂わせてる)
初が、スッと筆を置き──
どこからともなく、黒光りする物体を取り出した。
「……まだだよ、勝家殿」
「な、なんだその黒い板は……?」
初は神妙な声で告げた。
「これで“魂の目”を覆うがよい……
名を──《散具羅守 (サングラス)》」
「さ、さん……ぐらす……?」
信長が身を乗り出す。
「初、それは何だ!?わしにも説明しろ!!」
「闇を見通し、光を弾き、
敵の心を折る“魔眼”を宿す鏡」
「な、なんと……!」
「勝家殿の魂……“光を拒む闇”を欲している……」
(言ってることのほぼ全部が嘘だと思うけど、説得力はある)
江がぽやんと笑って言う。
「くろめがね〜。こわかわい〜」
「かわいいのか……?」
勝家は震えながら《散具羅守》を受け取った。
「さあ、勝家。装備してみて」
私はニヤリと促した。
勝家は震える指で、そっと“黒い鏡”を目にかざした。
──カチッ。
それをかけた瞬間。
空気が、一段階暗くなったように感じた。
「……!」
「勝家様が……完全に……闇の者に……!?」
「だ……誰!? もう勝家様が勝家様じゃない!!」
「か、かっけぇぇぇ!!!!」
ざわめく兵たち。
信長は拳を震わせた。
「勝家……!!
お前……わしの軍で一番……“イカしている”ぞ……!!」
「い……いか……?
い、イカしているのか……!?わしは……!!」
勝家は《散具羅守》を押し上げ、
口元を引き結びながら呟いた。
「……見える……!敵の角度が……いや違う、敵そのものが見えない!!」
「それがいいのだ!!」
信長が羨ましそうに《散具羅守》を見つめながら言った。
「良いのかよ」
(織田軍バカしかいねぇ!?)
「これで完成。“圧縮された鬼”から──
《暗黒覇鬼》へ進化した」
初が満足げに頷く。
家臣たちがどよめく。
「か、格が……上がっている……!?」
「もはや人じゃない……!!」
「でも強そう!!」
信長は感極まって叫んだ。
「勝家!!
今日からおぬしは“魔王軍・暗黒先鋒長”だ!!」
「ありがたき幸せッッ!!」
(勝家もチョロいな……)
*
初が筆を構えたまま続ける。
「姉上、勝家の“特攻服”も整えねば……
魂の衣を与える時……」
「特攻服って言い方やめて?時代的に」
「勝家用、特攻服つくる〜?」
江がにっこり笑う。
「えっ作んの!?」
私はきょとん。
「作る!!!」
信長と勝家同時に叫ぶ。
(勝家も乗るんだ……)
*
数刻後──。
庭に集まった家臣たちは、言葉を失っていた。
そこに立っていたのは──
もはや実直武将・柴田勝家ではなかった。
髪型は反地破魔。
顔には散具羅守。
そして、背中に大書された刺繍。
『特攻一番機』
『仏恥義理』
『愛死天流』
さらに袖には『鬼柴田』。
勝家の表情は真顔。
真顔なのに、特攻服だけが暴走族のそれ。
「……姫様……
こ、これは……わしがおさめてよいのか……?」
「似合ってるよ、勝家。むしろ怖い」
「怖い……!? か、かっこいいという意味でございますか!!?」
「まあ……そういうことにしとこ」
信長は目を輝かせ、勝家の背中をバンバン叩いた。
「よくぞ仕上がった!!
わしの右腕にふさわしい!!
おい勝家、その背中……戦国最強の“圧”だぞ!!」
「お、おそれ多い!!」
初が満足げに頷く。
「……うむ。角度と衣。
これで“鬼”の儀式、完了」
江が拍手した。
「おにしばた〜かっこいい〜こわい〜」
「江、あまりこの人たちには近寄らないようにね」
(これ……完全に織田軍、間違った方向に走ってない?)
しかし、城内ですれ違う兵たちは──
勝家を見るたび震えながらも、どこか羨望の眼差しを向けていた。
「勝家様……すげぇ……」
「鬼の背中ってああいうことか……」
「刺繍マジで光ってる……」
(はい、感染拡大中)
「あとは単車だけど、それはまた今度で良いか」
「単車ってなんだ!?」
信長が身を乗り出す。
「あぁ間違えた。馬ね。」
「姉上は生まれる時代を間違えた……」
初がボソッと言う。
「あんたもだよ。初」
(つづく)




