第三話:魔王、角度暴走。お市、ミカン憎悪期。馬、族車になる。
信長が「第六天魔王」になった翌朝──
私は庭で叔父上を見つけた。
鏡片手に、前髪の角度をまた微調整している。
「……ふむ。魔王には魔王の角度がある……」
(昨日からずっとやってる。信長、暇か。)
「茶々姉……あの男、今日の魂の波形……“もっと見てくれ”って響いてる……」
初が耳元で囁く。
「初はなんで魂見えんの」
「ちゃちゃねえたん〜なんかね〜、のぶおじ、“かっこいいって言って”って顔してる〜」
江がぽやん、とした顔で続ける。
「江、すげーなお前」
「茶々よ……市はどこだ」
信長が慎重に声を潜めてきた。
まるで城内に野生の虎が出たような声のトーン。
私はさらっと答えた。
「隔離してる」
「……か、隔離……?」
「母上は、もうミカンしか食べないって言ってて、
侍女が朝ご飯にミカン持ってきたら
『なんでミカンなんだよ!?』
ってブチ切れたから」
「…………?」
「今、お医者様に診て貰ってる。脳を」
信長の膝がガクッと折れた。
「脳……?」
「脳。あの人いま、“怒りの理由”を自分でも理解してないから」
初が横から淡々と補足する。
「叔父上……母上の魂は……今“混沌属性”に傾いている……」
「傾くとかあるのか……?」
「ある。今は“ミカン憎悪期”」
「なんだそれは!!!?」
江がぴょこっと顔を出す。
「まま、きのうミカン食べてニコニコしてたのに〜?
きょうはミカン見て泣いてた〜」
「江、それ泣いてたんじゃなくて叫んでたよ」
「きゃーって?おもしろかった〜」
「江は楽しみすぎなんだよ……」
信長は額を押さえ、ゆっくり壁に手をついた。
「……妹よ……どうしてそうなる……?」
「兄上が父上殺したって話、いまだに感情が暴れてるんだよ」
「……そうか……」
信長の声が、
“妹に本気で怯えてる兄”のそれだった。
「大丈夫?会いに行く?」
「絶対に行かん!!!」
信長、即答。速すぎて風が切れた。
初がぽそっと言う。
「叔父上……母上に勝てる気配は……ゼロ……」
「ゼロなのか……?」
「ゼロ」
「やめろ、断言するな……!!」
私は肩をすくめた。
「母上の情緒が地獄から戻ったら呼ぶね」
「頼む……それまでわしの命を守ってくれ……」
(天下の織田信長が庇護申請してきた……)
三姉妹は顔を見合わせ、同時にうなずいた。
「守るよ、信長」
「魂の震えを感じる……叔父上……弱体化してる……」
「おじちゃん、こわがってる〜」
信長は震える声でひと言。
「……市には……まだ死んでほしくないのだ……」
(妹への感情だけ、まじで兄みたいになるの可愛いんだよなこの魔王)
「それより茶々!! わしは悟ったぞ!!」
「……今度は何の悟り?」
「魔王たるわしに、まだ足りぬものがある!」
(出た、悟りシリーズ)
「相棒だ!!」
……相棒?
「相棒!?」
側で控えていた家臣が、素で叫んだ。
「茶々、わしには絶影という名馬がいるが……」
信長は腕を組んで唸る。
「こやつにも“角度”が足りぬ」
「馬に角度!?」
家臣が泣きそうな声を上げた。
私は腕を組んだ。
「角度じゃないかな。名前が悪いんだよ」
「名前?」
「“絶影”って長いの。もっと尖らせようよ」
「尖らせ……?」
「“かわさき ぜっつー”でどう?」
「長くなっておりますぅぅぅ!!?」
「違う!茶々姫様は概念のお話をされているんだ!感じろ!」
ひっくり返りそうな声を上げる家臣の他に、謎の理解者家臣が登場。
「“かわさき ぜっつー”……
茶々姉……それは良い……風を裂く音が、名の中から聞こえる……!」
初が拍手をする。
「漢は……カワサキ……」
江が目を閉じて、ありがたそうな声を出す。
「江!? どこでそんな知識仕入れたの!?お姉ちゃん心配!?」
「……かわさき……ぜっつー……?
かっこ……いや……長く……いや……かっこ……?」
信長は真剣な顔で、ぶつぶつと言葉を転がした。
(チョロすぎ)
私は肩をすくめる。
「ぜっつーを尖らせて、“速く見せる”ことはできるかな」
「見せる……?」
初がすっと言葉を継ぐ。
「見た目が速ければ、人は速いと思う。つまり──
速さとは、眼に焼きつく残像……
心が“速い”と思った瞬間、伝説が生まれる……!」
「要約すると“見た目”ね」
「見た目か!!よし。ぜっつーを“かぶかせる”ぞ」
信長が食いついた。
「ぜっつーの目が、キラッてした。
“もっと尖らせろ”って言ってる〜」
江がこくりと頷く。
「尖るのか!! わしと同じだ!!」
「殿!! なんで馬の気持ちが分かるんですか!!」
家臣が叫ぶ。
「分かる」
キリッと信長。
「そうですか……」
うなだれる家臣。
*
私は、ふと思いついて口を開いた。
「高い椅子に乗ってると強そうじゃん?
だからぜっつーの背中、もっと高くして?」
側にいた職人が、おそるおそる尋ねる。
「どのくらい……?」
「三段」
「三段!?!?」
職人たちの顔から血の気が引いた。
翌日。
ぜっつーの背に、不自然にそびえ立つ巨塔──三段シートが生えていた。
「これ、カッコよくない?」
私は満足げに頷く。
「これが……漢の椅子……三段……!!
高ければ高いほど、武が集う……!」
信長の目が、真剣そのものになる。
「殿ッッ!!! それ落馬しそうです!!」
家臣が悲鳴を上げた。
「おじ上、当然、最上段に座るのだろう?天を征する者は、常に頂に……」
初がきらきらした目で見上げる。
「もちろんだ!」
信長が答える。
初が筆を手に、すでに裏面に何か書いている。
「この“覇者の椅子”……裏には呪文を刻まねば……『夜露死苦』……“夜の露すら、死を賭して苦しむ”……」
「初?意味の方向性だけ合ってるの怖いんだけど。天才か」
「ヒヒンッッ!!」
ぜっつーが吹き上がるように嘶いた。
絶望の声だ、多分。
それでも作業は止まらない。
*
三日後の朝。
庭に現れたぜっつーを見て、私は膝を突いた。
赤金メッシュ。
(……光ってる。ていうか、この時代に染髪文化あった?)
巨大風防。
(織田木瓜の日章カラーが太陽を反射して、もはやビーム。)
竹槍マフラー。
(馬から伸びていい部品じゃない。突き刺される未来しか見えない。)
三段鞍 (シート)には「尾張最速」。
(文字が金糸でギラついてて、読んだ瞬間に脳みそが情報処理を拒否した。)
「こ、これは……馬……では……」
家臣が震える声で言った。
「魔獣だ……茶々様は魔獣を召喚された……」
別の家臣が呟く。
「こんなの敵が見た瞬間に逃げますぞ!うおお!茶々様ぁあ!!」
なんか前のめりな家臣が居るね。
赤金のたてがみを揺らしながら、ぜっつーが嘶く。
「ヒヒーン!!」
その嘶きは、どこかまんざらでもなさそうだった。
「ぜっつー、嬉しそうじゃない?良かった」
信長は、感極まったように呟いた。
「……かっこ……いい……!! これこそ“魔王の相棒”!!」
(完全に洗脳完了)
「のぶおじ、乗ってみよ〜!」
江がはしゃぐ。
「うむ!!」
信長は得意満面で三段鞍のいちばん上に跨った。
(どう見ても“族の親分”)
「ぜっつー!! 走れ!!」
「ヒヒーン!!」
次の瞬間、地面が唸った。
ドドドドドドドドド──!!
「速く見える。走るのに邪魔じゃないのかね?あれ」
私は冷静に評価した。
「風が切り裂かれる音……
あれは、覇者の疾走……!」
初が目を細める。
「ほわ〜ぜっつーはやいねぇ〜」
江が恍惚とした顔で呟く。
「もっと速くーー!!」
初が叫ぶ。
「もっと速く!!」
信長が応じる。
そのまま、城門突破。
勢いそのままに、街道へなだれ込んでいく。
「魔王様だ!!」
「ぜっつーが光ってる!!」
「尾張最速だ!!」
民衆の声があちこちから上がる。
「殿ーーー!! 止まってぇぇぇ!!」
家臣たちが必死で追いすがる。
「止まれぬ!!
ぜっつーが角度を増していく!!!」
信長は風防の向こうで笑っていた。
*
──翌日。
噂は、尾張中に広がっていた。
「昨日の魔王様、めちゃくちゃ華やかだったな……」
「馬が……三段シートだった……」
「日章の風防が光ってた……」
「“ぜっつー”って名前らしいぞ……伝説だ……」
「おら……見えたんだ……速度の向こう側が……」
城に戻った家臣たちは、青い顔でぼやく。
「なぜ……評判がいいんだ……?」
「見た目が派手だと、民は喜ぶんだよ」
私は肩をすくめる。
初が、静かに続けた。
「民は“物語”に仕える。魔王と暴走馬の噂は、すぐに国中を駆け巡る……」
「初?お医者様に診てもらうのもアリかなって思うの」
江がぽやっとした声で呟く。
「でもさ〜、“かっこいい〜”って思ったら、
ちょっとだけ、ついて行きたくなるよね〜。
“あの人の国に住みたい”って」
「江? 一歳児がそこまで考えられるの、普通に怖いからね?」
(……そう。
この子たち、たまに核心を刺してくるから怖い)
信長は胸を張った。
「フハハ!! わしの狙い通りよ!!」
「狙ってませんよね殿ォォォ!!!」
家臣のツッコミを、信長は涼しい顔で受け流した。
初が、ぽつりと言う。
「……歴史がまた、別のルートへ進んだ……」
私は空を見上げて、そっと笑う。
(信長はまだ知らない──)
(もう“私たちの色”が、織田家全体にじわじわ染み始めてることを)
(派手な魔王、派手な馬。
笑って見てるみたいで──
皆、ちゃんと“見上げてる”)
「うん。動かすよ。全部──
うちらの“浅井家の色”で。もっと派手に」
(浅井の名前は、もう一度日本に刻む。
史実がどうだったかなんて関係ない。
うちらの浅井は、ここから始まる)
日章風防のぜっつーが、庭の隅で鼻を鳴らした。
その横で、天下の行く末も知らず、前髪の角度を気にする魔王が、へらりと笑っていた。
(さて──次は、何をいじろうか)
私は小さく笑って、指先で自分の前髪を整えた。
(つづく)




