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第一話:茶々、覚悟完了。お市、ブチ切れ。信長、保護対象。

 炎が城を舐めていた。

 

 土の匂い、煙の匂い、血の匂い……全部まじって鼻の奥が痛い。

 悲鳴はすぐ消えて、代わりに崩れる音だけが響いていた。


 母上に抱えられながら、私は必死に後ろを見た。

 あの大きな小谷城が、まるで紙みたいに燃えていく。


 私は茶々。五歳。

 浅井三姉妹の長女で、母上からはよく言われる。


「あなたは生まれたときから大人びてた」


 生後三ヶ月で母上の顔を覚え、

 一歳で言葉を話し、

 三歳で本を読んでた。


 理由なんて知らない。

 そういう体で生まれた。それだけ。


 でもたぶん、この頭がしっかりしてるから──

 こんな地獄のような状況でも私は泣かずに済んだ。


 世の中には5歳児が世界を救う話もある。

 細かいことは気にしない。

 

(泣いてる暇があるなら、動く。それだけ)


 帯にしがみついてるのは三歳の初。

 この子は昔から不思議で、


「姉よ……城の“気”が乱れている……深淵が囁いてる……」


 とか言い出す、三歳児なのにもう中二病。

 母上は“知恵熱”と言うけど、私は違うと思う。


(初が何か言うと、大体ほんとに何か起こる。怖い)


 一方、母上の肩に抱かれてるのは一歳の江。

 何も分かってないくせに、燃える城を見て笑ってる。


「ひゃー……あっちー……」


 火事を“面白い光”ぐらいに思ってる天然。


(この子は……世界をおもちゃだと思ってる)


 そんな三人でも──浅井家は浅井家だ。


(父上がいなくなったからって、ここで終わりじゃない)


 そう心で言い聞かせながら、母上の腕の中で息を整えた。


 そのとき。


「……お市、怪我はないな」


 空気が変わった。

 炎を背負って馬を降りた男──

 圧が違う。息が詰まるほどの存在感。


 織田信長。


 私たち三姉妹の叔父であり──父を討った張本人。


「……あの男……ただ者ではないな。闇が濃い……」

 初が小声で震える。


「初、静かにして」


「おじちゃん、目こわーい。怒ってる?」

 江が続く。


「江も静かにして」


 信長は、燃える城を背に私たちを見下ろした。


「市……長政は……わしが──」


 信長が母上に声をかけたその時──


「──んん?????」


(母上の声が裏返った。嫌な予感しかしない)

 私は初と江を連れて、物陰に避難した。


「ちょ、ちょっと待ってね兄上……

 一回だけ確認させて……

 ……あなた……旦那殺したんだよね……?」


「……戦の理だ」


「ッッッッッッッッッ!!!」


(ヤバい……父上を何度も過呼吸に追い込んだブチ切れ母上降臨する……)


 ──母上が髪をぐしゃぐしゃにかきむしりながら地面を踏みつける。

 

 ズドン!ズドン!


「理ィ!?理ィ!?」


 ズドン!ズドン!


「なんで!?毎回アンタ理のせいにすんの!?」


「……誰よアンタに理を教えたの!?

 むしろ理って何!?殺したって事実は変わらんけど!?」


「市、落ち着け」


「え!わかった!落ち着く!整理しよう!?」


 母上が一瞬止まる。


「えっとー? 旦那が切腹しました。原因は“兄”でしたぁ?

 兄上! 私ね? 何が何だかマジで分かりません!

 私の幸せを壊したのは、私の心を殺したのは──

 戦の理とか言って正当化しようとしてる兄でした! 笑う。

 はい、整理終わり!」


 母上が肩で息をしながら続ける。


「こんな仏様も助走つけて鼻っ柱を打ち抜くレベルの案件、

 落ち着いてられるのかよぉああああああ!?」

 

 そして──母上暴走モードに突入した。

 

(……母上の言ってることは、九割ぐらい正しいと思う)


「母上、息して」


(言いながら、私も息止めてた)


「茶々ァァァ!息なんかしなくても生きてける!!」

 地面に両手ついてバンバン叩く。

 

(いや、死ぬから……)


「母上、地面……汚れる……」

 初が止めようとするが……


「黙ってて初ァァァ!!

 私いま泥の気持ちになってるの!!」


(泥の気持ちって何……)


「まま、こわい〜」

 江がおびえる。


「江ぇぇぇぇ!?

 ママねぇ?今、怖いの自覚あるのよ?

 でも止まらないのよ!!

 だって兄上が旦那殺してんのよ!?

 怒るに決まってんでしょォォォ!!!」


「市、頼むから落ち着け」


「頼むから?……あは。

 お前が私に何か頼める立場かァァァ!!!」


 立ち上がって、髪振り乱しながらケンケン跳ね出す。


(跳ねてる……母上が跳ねてる……片足で!?)


「兄上のそういうとこぉぉ!!

 “自分は悪くない”みたいな顔してさァァァ!!

 私、許さねぇからなァァァ!!?」


「市──」


「しゃべんなァァァァ!!!

 いま兄上の声を聞くだけで半分殺意増えてんの!!

 残り半分は悲しみ!!両方で胸がつぶれるわ!!!

 は?潰れるほど胸が無い?最初から潰れてる?

 上等だょぉあああああああああああ!?」


(自分で自分を煽ってどうするの……)

「母上、怖いけど最高に正しい……」


「魂が燃えてる……」

 ガクブルする初。


「まま、がんばれ〜」

 ニコニコの江。


「はい!がんばるわよォォォ!!!

 この怒りは筋が通っとるんじゃあああ!!

 兄上!!反省しろ!!いや反省じゃすまん!後悔だ!

 落ち着いてから殺すか殺すか考えるから!!」


(落ち着いたら殺すの!?)


 信長が硬直した。


「さァァァてェェェ!?

 どれだけ償わせるか考えるわよ兄上ぇぇぇ!!!

 逃げんなよォォォ!!!

 うっかり尾張を焼いちゃうかもねぇあああ!?」


(“うっかり”で済む規模じゃないから母上……)


「信長、これ本気のやつ」

 私がぼそっと言う。

 

「死ぬ覚悟を」

 初が真顔で呟く。

 

「おじちゃん、ばいばい〜!」

 江が手を振った。

 

「……。」

 信長フリーズ中。


 そこに──暴走モード第二形態へと進化した母上が、

 四つん這いで信長に近づいてくる。


 爪で土を引っかきながら、目だけギラギラさせて。


 ズリ……ズリ……

 

「兄上ェェェ……そこ動くなよォ……?

 妹が来たわよォォォ……?」


 信長の顔が本気で青ざめた。

 

「娘たちが見てる前でアンタの首ォォォ!!!

 飛ばすか飛ばさないか迷ってんのよぉあああ!!

 どこまで飛ぶかなぁあ!?尾張まで届くかなぁあああ!?」

 

 ズリ……ズリ……

 

(今のモードの母上なら物理的に飛ばせそう……)


 信長、震えながら後ずさる。


「茶々ァァァ!!私を!母を止めて!兄上を殺したくない!

 今の私を止められるのあんたしかいない!!!」


「止める気ないよ」


「茶々ァァァ!!この!裏切り者ォォォァァァ!!!

 良い子に育ってくれて母は嬉しぃいいいい!!

 兄上の首、飛ぶ!飛ばせる!いま飛ばすぅううう!!」


 そう言うと、母はゴロゴロと地面を転がり出した。


「過去一キレてるね……母上……戦国最強……」


「母上に鬼が宿っておる……いや、もう“定住”してる……」

 初は観測者として淡々と実況。


「まま、おに〜おに〜!」

 江はニコニコ。平和。


 そして──


 ゴンッ!!


「へぶっ!?」

 転がっていた母上が岩に衝突した。


「岩ぁああああ!?お前も兄上に味方するんかァァ!!?」

 母上がペシペシ岩を殴り始めた。


「岩……逃げて……」


「……岩、災難……理が崩れる……」

 初が哲学モードに入りかけている。


「まま、いわとおしゃべり〜」

 江は純粋に楽しそう。


 やがて──

 真っ二つになった岩を前に、母上は息を切らして動きを止めた。


「……はぁ……はぁ……

 とりあえず……娘たちの手前、醜態は晒したくない……

 だから、今日は許す……でも明日は知らん……

 この子たちが笑ってるうちはな……」


 そう言って、母上は地面に突っ伏した。


(母上……しっかり醜態を晒してたよ……)


 信長がホッとした顔で息を吐く。


「市……お前は……相変わらず……」


「黙れ兄上……殺すぞ?」

 母上が信長を睨む。


「……!?」

 信長、固まる。


「ち、茶々よ。今日からそなたらは、わしの庇護下だ」


 その瞬間、私は一歩前に出た。

 怖くなかったわけじゃない。

 足は震えてた。手も冷たかった。


 でも──負けたくない。


「……庇護ってなに? ご飯出る?」


 周囲の家臣が全員固まった。


 信長は眉ひとつ動かさなかった。


「出る」


「風呂は?」


「ある」


「布団は?」


「ある」


「家は?」


「……立派なのがある」


「なら許す!」


 私は即答した。


 でも、これだけじゃ足りない。


 私は信長の袖をつまんで引っ張る。

 家臣たちが「死ぬ! 姫様が死ぬ!!」と目をむく。


(……怖いけど)


(ここで引いたら──浅井はここで終わる)


(だから──私は、引かない)


「妹たちは?母上は?」


「……初も、江も、市もだ。みんなまとめて保護する」


「ならもっと許す!」


 そこに初がひょこっと飛び出す。


「叔父上、その馬……“闇の獣”の片鱗を感じる……

 我にも、乗る資格があるのでは?」


「そんなものないわ!」

 信長がギラリと初を見る。


 江が前に出た。

「おじちゃん、馬おっきいね〜。なでたい」


「や、やめ──あ、うむ……?」


「江、ダメだよ!危ないから」

 私は江を抱き抱えた。


 そして──私はまだ言ってないことがある。


 息を吸い、信長を見上げた。


「……ねぇ。

 ……父上を、殺したんでしょ?」


 空気が固まった。

 

 母上の目から涙が溢れるのが見えた。


 信長は一拍だけ置き、隠さず言った。


「……うむ」


 私は信長から目を逸らさなかった。


 声が、手が震えた。

 涙が目に滲んで勝手に溢れた。


「じゃあさ──」


 グッと唇を噛んだ。


「……責任取って、うちら全員幸せにしてよ。」


 睨んだ。

 仇を──まっすぐ。

 

「“絶対に誰も殺さない”って約束して。

 浅井は、もうこれ以上減らさないで。

 そのくらいやってくれなきゃ、割に合わないでしょ?」


 一粒、涙が落ちる。


 私は慌てて袖で拭った。


「な、泣いてないし……!

 勝手に出るなんて……腹立つ!」


 母上が地面に額をつけ、声を殺して泣きだした。


 初がすぐ言う。


「これは……“憤怒と哀哭の混合涙”……神が見ている……」


 江は江で、


「ちゃちゃお姉ちゃん、涙こぼれてるよ。ふく?」


「自分でふく!」


 信長はしばし私を見つめ──


「……その歳でそんな目をするか。面白ぇ。

 お前たち三人の運命、ぜんぶ織田が背負う。

 逃げも隠れもせん。俺がそう決めた」


 その言葉は、炎より温かく響いた。


 悔しくて、安心して、胸が痛かった。


「……嘘ついたら……燃やすからね……」


「おう」


 信長は笑った。

 あの織田信長が、炎の前で、はっきり笑った。


「……嘘ついたら……母上を解き放つからね?」


 信長の背筋が、カタッと鳴った。


「……それはやめろ……マジで」


(信長、母上には勝てないんだ……

 ……母上、戦国最強説が濃厚になってきた)


 家臣全員が息を飲み震えていた。


「行くぞ。ついて来い」


「はーい。妹たち、行くよ!」


「叔父上、その背中……“覇者の気配”がある……」


「おじちゃん、お腹すいたー!」


「黙れ!! ……ふはは!お市の子たち、こいつら、俺の血か!面白ぇ!!」

 信長の怒号と笑い声が飛ぶ。


 私は涙でにじむ景色を見ながら、燃える城に背を向けた。


 父上はもういない。

 でも──


(……浅井家は、ここで終わらない)


(父上がいなくなったなら──

 うちらが“続き”を作るんだ)


 泣きそうな自分を叱咤しながら、信長を睨む。


(絶対、生きて取り戻す。

 浅井の名も、うちらの未来も。

 歴史はまだ、終わってない)


 信長はそれに気づかず、ただ笑っていた。


 私は涙を振り払い、心の中で呟く。


(浅井は……ここから再建する。

 信長? 利用できるなら利用する。

 だって叔父上は“武”は最強なんだし)


(……うちらは、浅井をもう一度作るんだよ)


 私はこぶしを握った。


(背負える年じゃないのは分かってる。

 でも誰かがやらなきゃ浅井は終わる。やるのは──私だ)


 そして──仇の──織田信長の背中を見て歩き出した。


 *

 

「ねぇ信長、ご飯って何出るの?」


 信長が馬上で固まった。


「……信長と呼ぶな」


「じゃあ、なんて呼べばいい?」


「……好きにせい」


「信長!」


「……ふん」


(つづく)

◇◇◇


あとがき


◇◇◇


第一話を読んでくださって、ありがとうございました。

浅井三姉妹の人生は、史実では波乱ですが、

この物語ではもっと自由で、もっと派手で、もっと笑えます。


戦国を“真面目に滅びる”話にはしません。

滅んだはずの家が、笑いながら、知恵と根性で歴史に食らいつく。

そんな物語を作りたいです。


気に入ってもらえたら、

ブクマでも感想でも、手を振るだけでも嬉しいです。


次話からは、もっと戦国が騒がしくなります。


引き続き、茶々たちをよろしくお願いします。

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