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抗争の狭間に揺れる白  作者: 小屋隅 南斎


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第98話

 たまかはスカートのポケットからはみ出していた一通の封筒を取り出し、差し出した。三分の一程、雨に濡れていた。

「林檎さんからの手紙です」

 『姫月へ』と書かれた宛名を揺らす。

「水面さんへの分もあります。水面さんが殺されてしまう前に、林檎さんからの手紙を読ませてあげたいんです。水面さんは、林檎さんと話すのを渇望していましたから」

「……」

「協力して頂けませんか」

 姫月は何も言わなかった。その唇は、震えることはなかった。ただ、黒のレースに包まれた両手を差し出し、手紙を受け取った。しばし宛名の文字を見下ろし、そしてそのあと、封を切った。雨が油紙傘を打ち続ける中、姫月は便箋を広げ、読み始めた。『ラビット』の者はほぼ出払っているらしく、辺りに人影が現れることはなかった。二人きりで一つの傘に入り、降り続ける雨の霞に包まれていた。灰の混じる白色の空の下、赤い花が一つだけ咲いて、数多の雫を弾いて音を奏でていた。

「……」

 やがて最後まで読み終わったらしい姫月が、無言のまま手紙を畳んだ。再度その手紙に視線を落とし、名残惜しそうに見つめる。そして、顔をあげた。

「……わかった」

 雨の降り続ける中でも、はっきりと通る声だった。

「水面を助けに行こう」

 その目は、たまかではなく遠くを見ていた。彼女の瞳に何が映っていたのかは、たまかにはわからない。

「あんたの言う通りだね。……これ以上、失っちゃだめだ」

 手紙の端が、くしゃりと歪んだ。

「失ってから気づくなんて……馬鹿みたいだ」

 たまかは小さく首を横へと振った。

「大丈夫、まだ全部失ったわけではありません。今ならまだ、間に合います」

 姫月は、ゆっくりと頷き返した。その顔は強張っていたが、その瞳はきちんと前を向いていた。

「財団へ急ごう。……車がある」

 目的を定めた長の行動は早かった。姫月は踵を返し、『ラビット』の敷地の奥へと走り出した。水溜まりが跳ね、彼女の白いニーハイソックスに染みを残した。たまかもその背中を追うように後に続く。傘の隙間から雨が打ち付けて、たまかの身体を冷たく濡らした。

 姫月の案内した先には、言葉の通り一台の車が鎮座していた。車は辺りの景色を反射するほどピカピカに磨かれていて、傷一つついていなかった。普段あまり使われていないらしい。姫月は運転席に乗り込んだ。たまかも傘を閉じ、後部座席へと身体を滑り込ませた。姫月は何やら車に取り付けられた機械を操作すると、車は緩やかに発進した。彼女は足や手をブレーキやアクセル、ハンドルへ置いていたが、操作はしていなかった。自動運転機能のついた車らしかった。

 『ラビット』の建物から出た車は、目的地へ向かって走り続けた。雨が降りしきる中、ワイパーが水を掻き分け、移り行く景色を映し出していた。

「財団まで遠いから、ちょっと時間が掛かるよ」

 運転席から、たまかへと声が掛かった。たまかは「はい」と言って頷いた。姫月は、徐に自身の制服のポケットからスマートフォンを取り出した。ハンドルから完全に手を離し、スマートフォンを黒い人差し指で操作していく。

「……何か気になることがあるんですか?」

 たまかは後部座席から身を乗り出して、運転席へと尋ねた。

「いや、そういうんじゃない」

 姫月はスマートフォンを操作しながら口を開いた。指のスライドは止まることはない。

「写真を確認しているんだ」

「写真……ですか?」

 財団へ向かう時の行動にしては、些か不自然だ。思い出に浸りたくなったのだろうか、とたまかが思案していると、姫月は手元に視線を落としながらも続きを口にした。

「林檎の手紙の中で、昔に言及している部分があってね。でも、あいつはそんな感傷的な奴じゃないから……何か裏があるって思ったんだ。あいつのすることには、必ず意味がある。それで言及されていた当時の写真に、何か手掛かりがあるんじゃないか……って」

 指がスライドする距離が、徐々に縮まっていった。その動きが、ゆっくりとしたものとなる。

「うちは写真を撮るのが趣味だから。……つまりそれは、第三者が閲覧可能な証拠を保持している、ってことだ」

 指が止まった。

「懐かしい……いつだっけ、これ。一度だけ、二人と財団に遊びに行ったんだよね。もちろん一般向けに開放されているところしか入れなかったけど」

 しみじみと呟かれた声色は、懐古によって柔らかかった。

「特に違和感はないけどなあ。念のため、あんたにも見せておくか」

 運転席から後ろ手に、四角い薄い機械が差し出される。たまかはそれを両手で受け取った。画面を見下ろすと、そこには真っ白い空間を背に、三人の少女が映っていた。写真の中央には、本革の弾力のありそうな椅子に座る水面が鎮座している。彼女は今より少し幼さの残る顔を得意気なものに変え、見せつけるように胸を反らしていた。両手は腰にあてられ、セーラー服から覗く曲線美の極みのような脚を組み、自分が主役だといわんばかりに存在感を主張していた。その少し奥から彼女へと振り向いているのは林檎だ。当時は結ばず垂らしていたらしい紅色の髪を靡かせ、何やら口を開いて水面へ言葉を掛けていたようだ。彼女は背を向けていて、振り向いたことにより見えた手元には、本や紙の束が広がっていた。それらはどうやら財団のもののようだった。壁に沿って本棚が写っており、その中にびっしりと本や資料が仕舞われているのが確認出来るため、どうやら林檎はそれを読んでいる途中だったらしかった。最後に林檎とは反対側からひょっこりと顔を出し、至近距離で小馬鹿にしたような笑みを浮かべるのは姫月だ。彼女はカメラ目線で、水面を指し示すように指を向けていた。三人のいる部屋は椅子と机、奥の本棚とシンプルに構成されており、それゆえに白一面の壁や床、天井が目立っていた。

「水面がさ、『お嬢様ごっこだ!』とか抜かして、椅子でポーズ取りやがってたときのやつ。ふざけんなって話だよね」

 運転席から声が掛かる。もちろん、たまかからは姫月の顔は確認出来ない。

「うちは普段そんなとこに座ってないっつーの」

「……ふふ」

 思わず笑みを零してしまったのを隠すように、たまかはスマートフォンを運転席へと返した。レースに包まれた手が伸びて、受け取っていった。

「写真には特に変なものは写っていないように見えましたが……。林檎さんが単に思い出を書いただけの線はないのですか?」

「ないね。手紙の内容も、『ラビット』の今後についてとか『レッド』との関係性についてとかそんなんばっかりだったし。『レッド』の長としての手紙みたいなもんだったのに、これだけ個人的な事が書いてあったんだ。やっぱり違和感がある」

「『レッド』の長としての、手紙……」

 結局最後まで、姫月と林檎は旧友として会話をすることが出来なかったのだ。たまかは眉尻を下げ、その顔に影を落とした。

「それと、嫌にうちの身を案じてたな。パパに対しての忠告も。自分が死にそうなときに、なんで他人の心配してるんだか」

 きこえてきたため息は、本当に呆れているわけではなさそうだった。それから、「そういえば……」という呟きが前から漏れた。

「林檎が殺された時、あんたも一緒にいたんでしょ? もしかして会議で言ってた猫探しって、今日だったの?」

「はい。猫さんは見つけたのですが、その後に財団によって林檎さんが……」

「ふうん……。財団に繋がりそうな情報は何かあった?」

「いえ、何も……」

 野外で見かける、何の変哲もない普通の猫だった。強いて言うならば、毛並みが野良にしては綺麗だったことと、人懐こかったことくらいだ。

「そっか……。林檎は全部財団のせいだと思ってたみたいだけど、本当なのかな……? 猫に政治的な価値があるとは思えないし、それに『ブルー』が関わっている余地だってあると思うけど……」

「林檎さんを殺したんですよ? 『ブルー』が関わっているなんてとても思えません」

「林檎の殺害以外の件に関与している可能性はあるでしょ?」

 現実主義の『ラビット』の長は、自身の感情や過去の関係を抜きにして現状を考察出来るらしかった。しかしたまかには、やはり姫月の考慮している案には同調出来なかった。そのため、その案をこれ以上追うことを避けたのだった。

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