第95話
「……『レッド』としての、財団への報復。いかがなさいますか?」
「え……」
「長が殺されたのです。黙っているわけにはいきません。皆、同じ気持ちです。財団が敵だとわかった以上、我々は敵を討たなければ」
「……」
三人の瞳は、静かに怒りに燃えていた。それはきっと、先程まで部屋にいた少女達すべてに通じる気持ちだ。
ここは、財団に乗り込むべきだ。長が銃で撃たれたのならば、武力を以って反撃すべき。……しかし、その言葉は林檎でも口に出来る。そのように考えない人物だからこそ、彼女は次の長にたまかを任命した。
「……財団への襲撃は、禁止します」
これは長としての言葉だった。毅然とした態度で、三人を見据えて厳かに宣言する。
「どうして……っ!」
アカネが声を荒げる。
「我々の武器は、情報なのです。銃ではありません」
たまかは動じなかった。ゆっくりと首を横に振り、そして顔をあげた。
「サクラさん。『不可侵の医師団』が襲撃された件について、再度裏取りを行って頂けませんか。アカリさんはマスコミにいつでも情報を流せるよう、接触と裏回しをお願いします。アカネさんは財団の接触した相手とお金の動きについて、可能な限り情報を探って頂けませんか」
三人の顔を順に見渡し、たまかは淡々と指示を出した。まるで前の長のように。
「私達なりの流儀で反撃しましょう。誰も傷つける必要はありません」
三人はたまかの顔を見つめ返した。誰からも反論はあがらなかった。
「わかりました」
やがて、サクラが三人を代表するかのように、真面目な声を響かせた。その口元には、僅かに笑みが浮かんでいた。
「たまかさんの、御心のままに」
***
空きテナントばかりの、一つの建物。大通りに面しているため立地はいいが、通りを歩く人は少ない。賑わうはずの昼時であるのにこの人数だ。だからこそ商いをする者達はこの場所を避けてきたのだろう。何より、『ブルー』の所有する建物である。暴力沙汰に巻き込まれることは目に見えているため、いくら条件が良くても買い手がつくことはほぼないと見ていいだろう。たまかはそんな建物へと息を切らせて駆け込んだ。ここは銀行強盗の作戦に召集された『ブルー』の面々が集まる待機所に設定されていた。大通りに面して対角線上、角を曲がって少し進めば財団の所有する銀行がある。その銀行の警備の者達と対峙する準備が、この建物の中で着々と進んでいるはずだった。
建物は階層が多いだけでなく、一つの階層の広さも立派なものだった。会社時代ならば、商業ビルとしてだけでなく、いくつもの会社が入ったオフィスビルとしても機能していただろう。たまかは綺麗に磨かれた床を、濡れた白い靴で蹴り上げ続けた。広いフロアを見渡しながら、人影を探す。そのまま角を曲がった時、危うく薄群青色の制服と衝突しかけた。
「わっ」
相手は驚いたように声をあげたが、その身を俊敏に動かし、たまかとぶつかることを避けた。長く垂れ緻密な模様が彩る袂が捲られ、たまかの知った顔が姿を現した。
「イロハさん……」
彼女はアイボリーのふんわりとしたショートカット、そしてフリルが縁取る短いプリーツスカートの揺れが収まると同時に、たまかを認識したらしかった。それから何かに思い至ったようにはっとした後、恥ずかしそうに顔を覆った。
「……見られたのがたまかさんで良かったー。トイレで声を押し殺してたんだけどね……どうしても、目の腫れはすぐには収まらないからさ~……」
イロハは手を半分下ろした。彼女の目は赤く腫れあがっていた。
「林檎さんの訃報、きいたのですね」
「うん……」
林檎の死亡をきいて泣くという行動は、『ブルー』の人員として明らかにおかしい。今のイロハにとって、表立って彼女の死を嘆くことは許されることではない。
(林檎さんからの手紙も、イロハさんの分はありませんでした。きっと、『レッド』との繋がりを示す物証が残ることを避けるためでしょう)
恐らくイロハは林檎へ多大な忠義を感じている。林檎だって、イロハを誰より信頼して『ブルー』に送り出している。それなのに二人は、自分達の置かれた状況ゆえにその思いを伝え合うことが出来ないのだ。
「……わかってたんだけどね。いつかこうなるんじゃないか、って」
「え?」
暗い顔のまま、それでも笑みを浮かべ、イロハは視線を落とした。
「三者会談のときさ。朱宮さまが一足先に出てきたでしょ? その時に言われたの。縹とたまかさんのことをお願い、って」
「……」
「なんとなく、察しがついた。あの方は長から身を退こうとしているんじゃないかって。それに、最悪の事態だって……。でも、そんなの認めたくなかったし、私の勘違いなんじゃないかって自分に言い聞かせてた。……私には覚悟が出来ていなかったんだよね」
最後の言葉は、寂し気に廊下へと溶けていった。悲しい話は終わりだとばかりに、イロハは顔をあげた。
「実はさー、『レッド』って組織名、私がつけたんだ」
「えっ!?」
突然降って来た告白に、たまかは思わず大きな声をあげた。イロハは壁へと帯の結び目ごと上半身をもたれかけた。
「縹が『ブルー』を名乗っていたでしょ? だからそれに朱宮さまの『朱』を準えて、『レッド』。ぴったりないい名前でしょ」
真っ赤な目を細めて、得意気に笑う。そしてたまかから目を逸らし、俯いた。
「……朱宮さまは秘密を知った私を殺すことなく、自分の組織へと迎えてくれた。私はそれに、言い尽くせない程感謝しているんだ。……少しは恩返し、出来てたのかな」
彼女は淡く笑みを浮かべたまま、天井へと視線をあげた。当時を思い返していたらしい言葉は、たまかに向けたものではないようだった。
「さて。朱を失った『レッド』だけど……それを次に導くのは、一体誰なのかな?」
勢い良く身体を起こし、二枚歯を器用に回すとたまかへと振り向いた。そして振袖から伸びた手で人差し指を立て、たまかへと身を乗り出す。
「当ててあげようか! ……君でしょ?」
たまかは目を瞬かせ、思わず呆けた。
「……なんでわかったんですか?」
「んー、朱宮さまが考えそうなこととか、状況的にかな?」
立てた人差し指をくるくると回し、イロハはいたずらっぽく笑った。
「応援してるよ。……今更言う事でもないかもしれないけど、私は『レッド』のスパイなんだ。『ブルー』の内部情報の抜き取りは、任せて」
小声でたまかの耳元で囁くと、その身を戻す。
「……はい」
「ああ、『ブルー』の一員としては、敵になるってことなのかな。お手柔らかにね」
お道化たようにそう言って、赤い目のまま笑った。たまかも心強い仲間に、笑みを返した。
「……ところで、君はなんでここに?」
「水面さんに会いに来ました。あとは作戦に変更があるので、それも伝えに」
「なるほどね。皆この階にはいないよ、十一階の一番奥の部屋が待機所。たまかさんの護衛役だったカイが報告に戻ってきた時、私も上に向かおうとしていたところでばったり出会って、朱宮さまの訃報をきいたんだ。私はそのままトイレに籠っていたから、上が今どうなっているかは全然知らないんだよね……」
天井へ視線を向けたあと、決まり悪そうにイロハは頭を掻いた。それから二枚歯をかたんと鳴らす。
「あっエレベーターはこっちだよ。ついてきて」
そのまま走り出したイロハについていくと、彼女の言う通りにエレベーターの並ぶフロアへ辿り着いた。待機していたエレベーターの扉を開け、イロハは扉を抑えながら『十一』のボタンを押した。一度外に出ると、扉を抑えていない方の手でたまかの背を優しく押した。
「さ、乗って乗って。悪いけど、私は目の腫れが引くまで上に上がれないから……不審に思われていたら、適当に誤魔化しておいてくれると助かるな」
たまかは頷いて、一人エレベーターの隅へと乗り込んだ。笑顔で手を振るイロハの顔が、閉まる扉の奥へと消えた。やがてエレベーターは目的の階に辿り着き、その出入口を開いた。たまかは険しい顔に戻ると、廊下へと飛び出した。そのまま曲がって、一番奥へ行こうとして……走ってきた人物と、危うくぶつかりそうになった。イロハの時と同じ轍を踏まないとばかりにたまかは大きく身体を反ったが、やはり今回も相手の俊敏な反応によって衝突は免れたので意味はなかった。体勢を戻して確認した目の前の人物は、これまた見知った顔をしていた。
「……ミナミさん?」




