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抗争の狭間に揺れる白  作者: 小屋隅 南斎


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第89話

 アカリに言われた通りに進み、突き当たりの、一番奥の扉の前で止まった。一度深呼吸を挟み、扉を三回ノックする。

「……どうぞ」

 中から真面目さの滲む、しかし暗く沈んだ声が返って来た。サクラの声だ。たまかが扉を開けると、そこは小さい会議室のようだった。中央に大きい机が鎮座し、それを挟んで六脚の椅子が規則正しい距離で囲っていた。三脚並ぶうちの真ん中に座っていた少女が、黒いおかっぱを揺らして来訪者をじっと見つめていた。少し疲れが滲む顔だった。たまかは部屋へと入ると、扉を静かに閉めた。

「心は決まりましたでしょうか」

 サクラは用件は察しているとばかりに、入ったばかりのたまかへ矢庭に問いかけた。たまかは「はい」と言いながら、サクラの対面へ向かった。三脚あるうちの中央、サクラの正面の席を選び、腰を下ろす。机を挟んで向かい合い、視線を絡めながら口を開く。

「私は『レッド』の長になります」

「そうですか。重畳です」

 サクラは淡泊に言って、頷いた。薄く浮かべた笑みは、少し林檎に似ていた。

「では、再度幹部を集めましょう。宣言はたまかさんにお任せします」

 事務的に次の段取りについて話しながら、サクラは腰を浮かしかけた。たまかは「待ってください」と声を張り上げて、それを遮る。

「なんでしょう?」

「これを。……林檎さんから、サクラさんへ宛てた手紙です」

 残り一つとなった封筒を、たまかはサクラへと差し出した。

「……朱宮さまから? たまかさんへ、ではなく……?」

「はい。これは私宛てとは別の、正真正銘サクラさんへの手紙です」

 『桜へ』と書かれた場所を指差す。サクラは立ち上がりかけたままの状態で、茫然とそれを見下ろした。亀毛兎角の類を差し出されたような顔は、徐々に困惑に染まっていった。

「……そう、ですか。受け取っておきます」

 おそるおそるというように手を伸ばして掴むと、彼女は椅子を引いて立ち上がった。

「たまかさんは朱宮さまの柩のある部屋に、再度向かっていてください。わたくしは皆に声をかけてから……」

「読まないのですか?」

 サクラの説明に被せるように響いた純粋な疑問の声に、サクラは一度息を詰まらせた。

「……。いずれ読みます。今の状況が一段落した際にでも」

 サクラは一度封筒に視線を下ろしてそう言った。影のある表情に、たまかは心配するように身を乗り出した。

「林檎さんの遺言なのにですか……?」

「……」

 サクラは僅かに眉を寄せた。

「貴女には関係ないでしょう」

 事務的な声色が鳴りを潜め、感情が滲む。睨んでしまったのを誤魔化すように、彼女は重い瞼を閉じた。

「さあ、早く行きますよ。今『レッド』は混乱に陥っています。早急に指針を示して動乱を静めないと……」

「……」

「……たまかさん?」

 座ったまま俯いたたまかに気付き、サクラは説明する口を止めた。

「わかっていますよ」

 たまかは俯いたまま、太ももの上の拳を握った。自嘲気味の笑みは、サクラからは見えないだろう。

「本来、『レッド』の長の席はサクラさんのもののはずでした。それをよそ者の私が突然掻っ攫ってしまった。当然、サクラさんが私のことを憎んでいることも見当が付きます」

 でも、と続けて顔をあげる。口を開けたままのサクラへ、悲痛な感情を乗せて訴えた。

「林檎さんのことを恨むのだけは、止めてあげてください。林檎さんはサクラさんを邪険にする意図は絶対になかったはずです。それに——」

 自分のせいで、林檎とサクラの関係に亀裂が入るのは嫌だった。出会って間もないよそ者のたまかですら、サクラの林檎への忠義は痛い程伝わってきていた。彼女達の絆はきっと、自分が壊してしまっていいものではない。

「……何か勘違いしているようですね」

 サクラは静かにそう言って、ため息を零した。「え」、と呆けるたまかの前で、ゆっくりと封筒を持った手をあげる。

「わたくしは朱宮さまのことが嫌いになったから手紙を読まないわけではありません。恨んでもおりませんし、邪険に扱われたとも思っておりません。朱宮さまは常に完璧な采配をなされるお方ですから」

 サクラは封筒からたまかへと視線を移す。

「たまかさんに不満があるわけでもありませんよ。これは本心です」

「では、どうして手紙を読まないのですか……?」

「……」

 サクラはじっと手にしたものを見下ろしていたが、観念したように、ぽつりと零した。

「……怖いのです」

「怖い?」

「きっとこの中身は、譴責の嵐でしょうから……」

 真面目な声色は、少し震えていた。

「林檎さんは、いつもサクラさんに厳しい言葉をかけていたのですか?」

「いえ。断じてそのようなことはありませんでした」

「では、どうして……?」

 困惑するたまかの前で、サクラは俯いた。重い黒髪が、彼女の表情を隠した。

「……わたくしの不徳のせいなのです。わたくしが、……未熟だから」

 いつも努めて事務的に、無機質に作っている声色が、感情に染まっていく。まるで必死に覆い隠していたものがさらけ出されるかのようだった。

「わたくしが未熟なせいで、わたくしには『レッド』を預けられないと朱宮さまは判断なさいました。彼女は常に正しい決断をされるお方です。……わたくしが未熟なせいで、わたくしは、朱宮さまのお力になれなかった」

 小さい二つの拳が握りしめられた。中の封筒がくしゃりと歪む。

「朱宮さまは失望なさったでしょう。わたくしは彼女の期待に応えられませんでした。わたくしが未熟なばかりに……彼女を悲しませてしまったことが、一番悔しいです。自分のことが許せません」

 俯いた彼女の頬から、大粒の涙が床へと零れていった。彼女の身体は震えていた。その小さな身体に懸命に押しとどめていたのであろう悲しみが、雫に形を変えてどんどんと溢れ出す。彼女の想いの大きさを表すかのように、それは流れ続けて止まることはなかった。悽愴流涕はしばらく続き、その間会議室には泣き声だけが響いていた。

「……以前、わたくしは死亡状況の報告の任を任されていました」

 しゃくりあげながらの言葉に、たまかは悲しそうな顔のまま、口を挟まずに耳を澄ます。

「しかししばらくして、朱宮さまによってその任を解かれました。わたくしはどうしてなのかと朱宮さまに尋ねました。もう一度チャンスが欲しいと、そう訴えました。ですが朱宮さまは、二度とその任にわたくしをつけることはありませんでした」

 嗚咽を挟んで、サクラは続けた。

「『あなたはただ咲き、散ることが出来ないから』。朱宮さまは少し困ったように、そう、答えました。わたくしにこの名前を授けてくださったのは、朱宮さまです。わたくしは朱宮さまが期待を込めて付けてくださったこの名前に恥じる、相応しくない人間なのです。それから、わたくしなりに必死にもがいてまいりました。朱宮さまが安心して任せられるような人間に成長しようと、常に努力をしてきました。多種多様な任に出て、様々な本を読んで、武器の扱いを学んで……。一秒たりとも無駄にしないよう、常に知識を吸収し、訓練に励んできました。その結果、作戦を指揮することも増えましたし、殺害数が一番多い機会も増えました。それでも……まだまだ全然、足りなかった」

 「わかっているのです」と、悲痛な言葉を漏らす。

「わたくしは……感情のコントロールが上手く出来ないのです。どうしても自分の気持ちが言葉に乗ってしまいます。頑張って抑えようとしても……どうしても、朱宮さまのように上手く隠すことができません。状況を報告する時、朱宮さまのお言葉を伝える時、自分の感情は不要だって、頭の中ではわかっているのです。それでも、言葉の端端に気持ちが滲んでしまいます……これではとても、長なんて務まりません。自分でも、わかっているのです」

 涙の雨は、止むことはなかった。ずっとせき止められていたものが決壊したかのようだった。

「わたくしは、朱宮さまの望む駒になれなかった。彼女を失望させてしまった。そしてずっと理想としていた場所に立っているのは、たまかさん、貴女でした。わたくしはずっと、貴女が羨ましかった……。引き摺り下ろしたいほど、羨ましかった……!」

 何事も完璧にこなし、『レッド』を導き、なにより林檎の期待を一身に浴び、それに答え続ける。そんなサクラの追い求めていた姿は、幻となった。そして現実では、その位置にいるのはたまかだった。何より、林檎に失望され、その眼差しがたまかへと向かっていることがサクラにとって一番苦しかった。手紙の中に認められた言葉の数々でそれを突き付けられるのが、物凄く怖かった。

 激情が乗せられた言葉の最後には、嗚咽ばかりが続いた。口を挟むことなく静かに聴いていたたまかは、泣き声が落ち着いてきた頃、久方ぶりに口を開いた。

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