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抗争の狭間に揺れる白  作者: 小屋隅 南斎


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第86話

「あ」

 四角いガラスへ、水滴が打ち付けられた。

「雨……」

 白い靴を止め、窓へと寄る。空は相変わらず雲が支配し、どんよりとした灰色に変わっていた。再び雫が窓を打ち付ける。遠く下を歩く人々は、傘を差していなかった。丁度降り始めたところなのだろう。

(銀行強盗の作戦……少し修正が必要になりますね。『ブルー』の二枚歯は特徴的なので、雨に濡れて銀行内に跡が残ったら、すぐにばれてしまいます……)

 ——雨は流れ落ちるものというイメージが強いですが、逆です。

 突然、あの時の林檎の鈴のような声が脳内で反芻された。大人びた上品な口調。淡々とした、一定間隔で紡がれる言葉。口角をあげた、完璧で優し気な笑み。

 ——わたしは、むしろ雨は形跡を残すものだと思っています。

 紅色の前髪から覗く、細められた瞳。

「形跡…………」

 ……あれ?

 たまかはその場でぴたりと動きを止め、窓の外の天を一心に見上げた。その目は、窓ガラスの先を映していない。

「あの日は雨が降っていて……。『ブルー』の方達が『不可侵の医師団』を襲撃してきて……」

 違和感。

「なんで私、らんにきくまで『ブルー』の仕業だってわからなかったんだろう……?」

 『ブルー』の制服の履き物は独自の形をしている。特徴的な二枚歯は、他に類を見ない。

 普段は清潔に保たれている白い床は、あの日ばかりは泥や雨水、そして血によって汚されていた。数多の靴跡が乱れ、本来の白が見えないくらいに塗り潰されていた。

「靴跡……」

 林檎が横で、満足そうに笑みを強めた、気がした。

「そうです……あの時、床には沢山の靴跡がありました! 二枚歯の跡ではありません。だから、『ブルー』の仕業だとは思わなかった……!」

 『ブルー』としては暴力を好んでいて、他組織への襲撃を隠す理由がない。彼女達はむしろそれを誇りに思うくらいだ。そんな彼女達が、なぜ制服の履き物を脱ぎ、自分達の痕跡を消すことをしたのか。制服は着用したままだったというのに。

「理由は簡単です。襲撃者が、彼女達ではないから」

 隠し立てする必要のない『ブルー』が、わざわざ履き物を変えて襲撃するのは違和感がある。それよりも、他の組織が『ブルー』の制服を着て、『ブルー』に成りすまして襲撃したと考えた方が自然だ。不完全な変装のせいで、履き物まで用意することが出来なかったのだろう。晴れの日なら問題はなかっただろうが、その日はたまたま雨が降っていた。襲撃者たちの普段使っている靴が、痕跡として床に残ってしまった。

「水面さんは、正しかったんですね。いや……ですが、『ブルー』の制服を入手できる時点で、確実に『ブルー』とは繋がりがあることになります」

 どこの組織も自身の制服は厳重に管理しているはずだ。その組織に所属する証明に等しい衣服なのだから。

(怪しまれずに持ち出せるのは……イロハさんくらいでしょうか。彼女は『ブルー』に潜り込んだ『レッド』のスパイです。……でもそれなら先導したのは『レッド』、つまり林檎さんということになりますが、それなら私にヒントをくれるような真似はしないでしょう……)

 ……つまり、イロハ以外に、『ブルー』に他組織のスパイがいる。

(三者会談の最後、林檎さんは盗聴されている人に自然に聞こえるように、私の猫の行方の発言を遮りました。あれはつまり、盗聴しているイロハさんの周りに別のスパイがいると見越していたから、情報が洩れるのを避けたかったということだったのですかね)

 本人が口を開くことはもうないため、真相は闇の中だ。

「林檎さんは、一体どこまでわかっていたのでしょうか」

 ……なぜ、彼女は自分が死ぬかもしれないと思いながら、ヒントだけを残すような真似をしたのだろうか。

「次期総長のお手並みを拝見したかったから、ってことなんですかね」

 あるいは、たまかの頭脳を信じていたのだろうか。自分が明確にすべてを言葉にしなくても、たまかなら真相に辿り着くだろう、と。

「うーん、わからない……。やっぱり私は林檎さんのようにはいきませんね……」

 苦笑を漏らす。再び窓を打ち付ける音がほんの僅かにきこえてきて、顔をあげる。ガラスにつく水滴は、両手で数え切れない程に増えていた。

「とにかく、皆に林檎さんからの封筒を配って、長になるかの回答をして、早めに『ブルー』へ作戦変更の旨を伝えにいきましょう」

 腕の中の封筒を抱えなおし、足早に部屋を後にする。扉を閉めようとして、風が起こったことによって花の香りがふんわりと香った。一瞬デスクに林檎が座っているように錯覚して、しかし一度瞬きを挟むと、その席は空席だった。誰もいない。たまかは動きを止めていた手を再開させ、扉を閉じた。ぱたん、という小さい音とともに、書斎はたまかの視界から消えた。




 開けた共用スペースの一角、観葉植物と流れ続ける小さな噴水が目を引く休憩スペースに、探していた顔を見つけた。観葉植物を囲っている大理石の端に腰を下ろし、不愛想な顔のまま遠くを見つめている。左右の耳の下で小さく三つ編みにされた珊瑚朱色の髪は、本人の表情とは反して今日も可愛らしく跳ねていた。周りには誰もおらず、静かだった。緊急事態の只中である現在の『レッド』では、人は皆何処かに固まっているようだ。

「アカネさん」

 声をかけると、アカネは僅かに顔をあげた。三つ編みを揺らして、大仰にため息をつく。歓迎する気はないらしい。それでもたまかは彼女の横へと腰を下ろした。お尻の下の大理石から、ひんやりとした感覚が伝わってきた。

「腹は決まった? 朱宮さまの指名を断る」

「はい。……受けようと思います」

 会話のキャッチボールは出来ていなかった。アカネはしばしその返答に動きを止めた。

 サクラが林檎の意向を皆に伝えた時、部屋の者は恐らく全員がその耳を疑っていた。サクラは林檎の忠実な部下であり、側近でもあった。『レッド』の誰もが、次の長はサクラだと思っていたのだ。その中でも、恐らく一番耳を疑っていたのはたまか本人だった。たまかはサクラへ、何も返すことが出来なかった。何をどう言っていいのかわからなかった。しかしサクラも、こうなることは重々承知していた。そのため、彼女は返事へ二時間の猶予を設けた。そして林檎からたまかへの手紙の在処を教えた。それを読んでよく考えて欲しい、と彼女は言った。そしてその場は解散の流れとなったのである。

「……そう」

 緑と水に囲まれた休憩スペースで、アカネは短くそう答えた。そして、遠くを見つめる。数多の照明が大理石に反射して、辺りは眩しいくらいだった。

「朱宮さまが画策したんなら、そりゃそうなるか」

 しみじみとした呟きは、噴水の流れる音に混ざっていった。

「でも……」

 アカネはたまかへと顔を戻し、目を細める。

「お前に朱宮さまの代わりが務まるの?」

 鋭い視線には、非難の色があった。

「私はそうは思えない。あのお方だからこそ『レッド』は一丸となって行動出来ていた。全てを意のままに操れるあのお方だからこそ、私達はついていこうって気になったんだ。朱宮さま以外が統治する『レッド』に、価値なんてない」

 強い口調は一度止まり、少し落ち着きを取り戻した声色でアカネは続けた。

「……別に、あんたが力不足って言っているわけじゃないよ。ただ……あのお方に代われる奴なんて、この世にいない。それだけ」

 たまかは黙ったままだった。アカネは、意味もなく両手を摩った。そして少し声を落として、打ち明けた。

「私、『レッド』を抜けようと思う」

 その声色は、しっかりとして迷いがなかった。既に意思を決めたかのように、彼女は言い切った。

「私は『レッド』に忠義を感じていたわけじゃない。朱宮さまについていこうと決めたから『レッド』に入ったんだ。彼女がいないんなら、残る意味がない」

 観賞用の小さな噴水の音が、さらさらと小さく響く。溢れ続ける透明な液体が、光に照らされてきらきらと輝いていた。やがて四辺に空いた溝に吸い込まれ、容量を超えた水が姿を消す。そして再び中央から勢いよく飛び出し、華麗に登場して脚光を浴びる。

「……アカネさんが尊敬して止まないその朱宮さまが、直々に指名した長の統治する『レッド』、傍で見届けたくはありませんか?」

 久方ぶりに口を開いたたまかの言葉は、アカネの予想したようなものではなかったらしい。彼女は一瞬狐につままれたような顔をした。

「林檎さんは偉大な人物です。彼女が指名したということは、その相手は林檎さんの思惑を以って采配されたということ。そんな人物がこれからどんなことを仕出かすのか、興味はありませんか?」

「……ないね」

 彼女は理解を超えたというような顔をしたあと、短くそう返した。はっきりと拒否の意思を示される。

「お前……相変わらず、馬鹿なんだね」

「え、失礼ですね」

 口を尖らせたあと、たまかは腕に抱えた封筒を横の大理石の上へと広げ、そのうち一つを持ち上げた。横のアカネへと差し出す。『茜へ』と達筆で記されていた。

 アカネが手を伸ばして受け取りかけた時、たまかは「……取引」と小さく零した。

「え?」

「あの時の取引。……食糧だったのでしょう?」

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