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抗争の狭間に揺れる白  作者: 小屋隅 南斎


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第81話

 捜索は隈なく行われた。猫が入り込みそうな隙間や高い屋根の上、さらにはごみの集積所までも丹念に探した。一時間余りに及ぶ入念な探索の結果は、芳しくないものだった。あの時の猫はおろか、野良猫一匹すら見かけなかった。野良猫の食事の形跡やマーキング、爪とぎや喧嘩の形跡なども存在しなかった。誘き出すために用意した餌も、微塵も減っていない。当初の予定より範囲を広げて見ても、結果は同じだった。

 たまかは溝の奥を覗き終わり、ゆっくりと立ち上がった。手を当てたニーハイソックスは、捜索中にコンクリートに擦って破けてしまっている。

「……猫さん、見つかりませんでしたね」

 誰かが声を掛けなければ、永遠に捜索が続きそうな雰囲気だった。そのため、たまかは二人に聞こえるよう、大きめに終止符の一言を放った。たまかの言葉に、カイと林檎は猫を探す手を漸く止めた。

「これだけ探して見つからないのならば……この辺りにはもういないのかもしれませんね」

 あるいはもう……とカイは続けたが、その先の言葉は、口に出さなかった。林檎は口を結んでいた。その目は二人を見ておらず、地面に視線を下ろしている。何やら頭の中で勘案しているようだった。

「きっと……、きっと場所を変えて元気でいます。私はそう、信じています」

 たまかはそう言った。信念が滲んだ、きっぱりとした口調だった。その目の純情さに、カイは何も言わず、ただ頷いた。何やらいろいろな思考に脳を支配されていたであろう林檎も顔をあげ、「そうですね」と柔らかな笑みを浮かべ、たまかに同調してくれた。

「……探索はここまでに致しましょう。実際にこの目で見て、財団に繋がるような情報を得られなかったのは残念ですが……。その内また、ひょっこり現れるかもしれません。また機会を見つけて会いに来ましょう」

 林檎はそう言って微笑んだ。たまかは「はい!」と嬉しそうに頷いた。それを優しく窘めるかのように、少し声を落として林檎は続ける。

「たまかさん。今のあなたが財団に生かされているのは、猫の行方を知っている……と、思われているからです。猫の行方を知らず、さらには再度会うことが不可能と財団の者に知られてしまっては、あなたは財団にとって用済み。消されてしまいます。そのことを、努々お忘れなきよう」

「は、はい」

 たまかは気を引き締めて頷いた。林檎は淡く笑んだままだった。

「では……帰りましょうか。たまかさんは外に出ていると狙われるリスクが高いでしょう。朱宮様も」

 カイが不愛想な表情のまま、事務的な口調でそう言った。そして餌の入った小皿を回収し、車に戻ろうとその二枚歯の向く先を変える。林檎も異論はないようで、その後に続こうとふんわりとしたスカートの裾を広げた。

 『レッド』による猫探しの任務は、ここまでだ。あとは各々帰るだけ。次に会えるのはいつか、わからない。

「……。あの」

 二人の背中に、声を張り上げる。カイと林檎が揃ってたまかを振り返った。

「少し……林檎さんと二人で話がしたいです。その、個人的なことで」

 たまかは胸元に握った掌で、自身の早打つ鼓動を感じた。カイ、そして手前の林檎は、目を丸くして見つめ返していた。二人共、予想だにしていなかった言葉らしかった。少しの間を置いて、カイが困惑したように前の紅色の頭を見下ろした。背中に視線を浴びながら、林檎は思案するような素振りをみせたあと、すぐにたまかに向き直った。

「……構いませんよ」

 いつもの貼り付けた笑みを浮かべ、カイを振り返る。

「先に車に戻っていて頂けますか? すぐに参りますので」

 カイはぎこちなく頷き返し、そして背を向けた。二枚歯の音が遠ざかり、角を曲がって薄群青色が見えなくなる。カランコロンという音が小さくなり、さらには住宅街の先へ消えたのを確認してから、漸く林檎は口を開いた。

「……驚きました。たまかさんから何かお話があるのですか?」

 淡く微笑み、風に靡く紅髪を耳に掛ける。すべてを掌握しているように見える林檎にも、予想出来ないことがあるらしい。たまかは『レッド』の長と二人きりでの対面という重圧に、ごくんと喉を鳴らした。しかしそれ以上に、伝えたい言葉がある。毅然と口を開いた。

「……水面さんのことです」

「水面?」

 林檎は僅かに首を傾げ、ぱちぱちと瞬いた。たまかは真剣な表情のまま、頷いた。

「御三方にいろいろと思う所があるのは、重々承知しています。それでも……、水面さんから対話の要請があったら、応じて頂けないでしょうか。この前の三者会談のようなものではなく……個人的なものも」

 たまかはその大きな瞳を、誠意を以って真っ直ぐと見つめた。林檎は口を小さく開け、たまかをじっと見つめ返していた。

 水面は、一歩を踏み出したようだった。ずっと抱えていた不安や苦しみを掻き分けて、なんとか光射す方を向こうとしている。ならばたまかに出来ることは、それを支えることだ。三人に接触出来て、三人の都合を知っている者は少ない。たまかにしか出来ないことが、きっとあるはずだった。

「何かと思えば……」

 ぼそっと漏れた言葉の通り、彼女の顔に貼り付けた笑みは浮かんでいなかった。

「財団への恐怖の吐露とか、新しい発見の共有とかだと思ったのに」

 彼女の顔に表情は浮かんでいなかった。そのため、彼女がどんな気持ちでその言葉を吐いたのか、たまかにはわからなかった。林檎はわずかに顔を上げ、たまかと目を合わせた。

「言われるまでもありません。組織のためになることであれば、断る必要もなし」

「では組織のためにならない、些細なことは?」

「……」

 たまかと林檎の間を、風が吹き抜けていく。林檎の紅い髪と髪飾り、ふんわりとした長いスカートが風に揺らされて揺れ動く。

「それも、断る必要はないでしょう。第一……あの三者会談を提案したのはわたしです。対話の重要性は、三人の中で一番理解しているつもりです」

「姫月さんは、三人での対話を一番嫌がっているのは林檎さんなのではないかと言っていました」

「……そうですね」

 林檎はたまかから視線を逸らし、遠くを見つめた。雲の覆う白の下の住宅街は、とても静かだった。

「わたしは対話の重要性を理解している一方で、対話を嫌がっておりました。たぶん……怖かったんだと思います。現実を直視するのが」

 林檎が何かに恐怖するところなど、たまかには想像がつかなかった。彼女は目を細め、閑静な街並みの先を見つめた。

「わたしが唯一『友人』と呼べたのは、あの二人だけだったから。あの二人を前にして、憎しみの視線が交錯し、糾弾が飛び交っているところを見るのは、わたしにとって塗炭の苦しみに等しいものでした」

 林檎は遠くを見つめていた視線を、たまかへと戻した。

「それでも三者会談を提案したのは……たまかさん。あなたの存在があったから」

「……」

「完全中立で渦中の人物であるあなたがいれば、抗争に発展することはありません。会談の場でわたし達が殺し合いに発展するようなこともない」

「殺し合い? ……そんなこと、本当に起こり得たのでしょうか?」

 林檎は薄く笑みを浮かべた。影のある、ぞっとするような笑みだった。それをたまかの疑問の答えとしたのか、それ以上この質問に言葉を尽くすことはしなかった。

「それだけではなくて……たまかさん、あなたの性質を考慮した結果でもあります。あなたの希望は、誰も傷つかないこと。であるならば、あなたは抗争のない話し合いの場を望むはず」

「はい。私にとって、願ったり叶ったりの展開でした」

「わたしはあなたの意志に従う必要がありました。あの三者会談は、あなたの存在が……半ば強制的に開かせたものなのですよ」

 まるで殺人の共犯者に囁くように、林檎はそう言った。

「でも結果として、それは未来に向けての大きな一歩だったのかもしれません。……水面の心境に、何らかの変化が訪れたのならね」

 最後は少しお道化たようにそう言って、林檎は肩を竦めた。

「わたしはいつだって二人の話をきくわ。二人のくっだらない話に付き合うのには、昔から慣れているもの。……。……機会があったら、そう伝えて頂けませんか?」

 林檎は小さく微笑みを浮かべた。少しぎこちなさの残る幼げな笑みは、いつもの作りものの笑顔ではない。

「はい。……もちろんです」

 たまかもはにかみを返した。林檎も、水面の一歩を後押ししている。好意的な返事に対しての、心からの感謝の印だった。

 その笑みを受けて、林檎は口角を下ろした。そして小さく口を開く。

「たまかさん。……お伝えしたいことがあります」

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