表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
抗争の狭間に揺れる白  作者: 小屋隅 南斎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

74/115

第74話

 静かに語り始められた言葉に、水面が僅かに顔をあげる。

「あの時……『ブルー』の子を殺した『ラビット』の子達は、桜卯の命に従ったわけではなかったのではないでしょうか」

「……え?」

 小鳥の囀り程の声で、水面は疑問を口から出した。林檎は淡々と続ける。

「『ラビット』の子達は、精神的にとても不安定な者が多い。桜卯がその子達の受け皿となることによって、『ラビット』は成り立っている」

 机に広がった桃色の液体は、ようやく自身のあるべき場所を見つけたかのように動きを少なくしていた。一定の間隔を以って、たまにテーブルの端から雫が滴り落ちるだけだ。ぴちょん、という小さい音をききながら、たまかも黙って耳を傾けた。

「ですが、桜卯にも限界というものはあります。彼女だって、一人の人間に過ぎないのですから。彼女が囲った狂気は、やがて彼女の抱えられる量を超えた。彼女の手綱を離れた『ラビット』の子達の狂気は、桜卯の制止から溢れ、他の組織へ影響し出した。……少し考えれば分かる事。抑えきれるわけなんてないのに」

 林檎はため息交じりに、扉を一瞥した。

「世の中には、欲望や衝動、感情や交流を狂気を通じてでしか発散出来ない人達がいるものです。それは彼女達の性と歩んできた環境がそうさせたことなので、彼女達を責めるのはお門違い。ですが、それを最初に向けられた相手が不幸にも『ブルー』の子であったのなら、大事な仲間を殺された『ブルー』が黙っているわけにもいかない。復讐は感情の連鎖を生み出し、抗争を生み出した。それだけの話なのではないですか」

 林檎は水面への冷たい視線を、僅かに哀憐のそれに変えた。

「わたしに復讐の協力要請をしてきたのを断ったのは、桜卯が明確な敵意を持っていないと判断したからこそです。縹について復讐に加担しては、それこそただの殺戮になってしまう。二つの組織を見て修復不可能と判断したわたしは、自分の組織一つで理想の世界を築き上げることに舵を切った」

 たまかは痛切な顔で静聴していた。横でぴちょん、と桃色の雫が跳ねた。

「『ブルー』は既に獰猛な獣と化していました。わたし達も、手段は選んでいられない。結果、三組織は殺し合う他なくなってしまった」

「……なんで姫月も林檎も説明してくれなかったんだよ。『ラビット』の奴らが勝手にやったってんなら、そう一言——」

「桜卯も言っていたでしょう。説明したところで、現実は変わらない」

 殺された『ブルー』の子は、戻ってきたりしない。それにより復讐の名の下殺された『ラビット』の子だって、生き返らない。蘇生の力など、現実には存在しないのだから。

「桜卯が謝ったところで、抗争が終わったりもしない。もうわたし達三人がどうしたところで、三組織の争いが終わることはない。縹だって、桜卯の説明があったところで死んだ子の憎しみが消えたりはしなかったでしょう」

 水面は口を閉ざした。きゅっと唇を噛む。否定出来ないというのが見て取れた。

「……わたし達はもう元のようには戻れないのよ、水面」

 林檎は、最後に語り掛けるようにそう付け足した。彼女にしては珍しく、感情に溢れた言葉だった。悲嘆の色に染まり、しかし水面を慮る憐憫の情に満ちているようにも聞こえた。水面は言葉を返す事はなかった。俯いている水面の表情は紺色の艶やかな髪に隠されて、たまかには見ることは出来なかった。

 返事がないことを確認すると、林檎は長いふんわりとしたスカートから足を出し、一歩後退させた。そして扉へと身体の向きを変える。小さい花々の中から細長い装飾が垂れる髪飾りが室内の光を反射し、きらきらと揺れた。スカートを緩やかに翻し、林檎はたまかの横を通り過ぎると、扉へと歩いていった。彼女は一度も振り返らなかった。

 その時突然、ガラスが割れる音が甲高く響いた。バリンバリンという音に混じって風の轟音が耳を劈き、身体に圧し潰されそうな風圧を感じた。背中から身体が宙に浮きそうになる程強い衝撃に、たまかは思わず足を踏ん張る。振り返ると、窓の砕けた破片が夜空の星のように輝いて、そして床へと落ちていくところだった。カーテンはバサバサとはためき、まるでオーロラのようだった。大きく割れて障害のなくなった窓から何かが猛スピードで流れていき、たまかは慌ててその先を目で追った。建物の上等な白い壁にいくつか黒い穴が開けられていて、埋め込まれた弾丸が建材の粉を煙のように立ち上らせていた。……襲撃だ。しかしたまかがそう思い当たったときには、既にもう弾丸は飛んでこなくなっていた。水面も林檎もその場を微動だにせず、突然の攻撃にも全く動じていないようだった。間もなく、俄かに窓の外の下界が騒がしくなった。叫び声、銃声、機材の音、何かの崩れる音……。三組織の抗争が始まったようだった。『ブルー』と『レッド』の長がいる場面、さらには二人を明確に狙ったようには思えない攻撃をしている点で、恐らくこの襲撃は『ラビット』の『サプライズ』なのだろう。それに気付いた『ブルー』のメンバーか『レッド』のメンバー、あるいは双方が、それを止めに動いたらしかった。

「一丁締めかしら? なかなか乙なものね」

 足を止めていた林檎は、手を口元に当て、くすりと微笑んだ。窓へ向けていた顔を戻し、今度こそ扉へと到着すると、優雅な所作で扉を開け、部屋を後にした。扉を閉まる音はとても小さく、たまかや水面の耳には届かなかった。

 二人になった部屋は、しんと静まり返った。窓の外の遠くの喧騒が、嫌に響いた。俯いたままの水面へ、たまかは心配そうな目を向けた。暫くそのままの体勢で二人は突っ立っていた。大部分の窓が割れたせいか、たまかはなんだか肌寒く感じた。冷たい空気が、心情のように重く付き纏う。そうしていると、やがて水面は明るい瑠璃色のインナーカラーをはためかせ、その髪を振り上げた。勢い良く顔をあげた水面は天井を見上げ、全ての感情を吐き出すかのような深いため息をついた。

「……ずっと知りたかったこと、知っても結局何も変わらなかったな」

 諦観の滲んだ言葉は、頭上に消えていった。水面は顔を戻し、たまかへと向けた。

「あたしは頭が良くないからさ、真実を知れば、また三人で笑い合えるかなって期待してたんだ」

 水面は悲しそうに笑った。自虐的な笑みだった。

「そんなわけなかったな。あたしがあいつらを憎んでいたのも本当だし、そりゃそうだって感じなんだけど」

 たまかの手前、軽やかな口調で笑みを零す。たまかはなんと声をかけていいかわからず、ただただ悲痛な表情を浮かべていた。

「そんな顔するなって。……とにかく、あたしら三組は今まで通り。そんでもってこれからは財団との抗争になる。たまか、お前がターゲットだ。気合入れていかないとな」

 一番感情の整理がついていないであろう水面は、たまかを励まして明るくそう告げた。たまかも感情を押し込め、強く頷いて見せた。水面はその反応に、満足そうに口角をあげた。一度窓の傍まで寄って外をしばし凝望した後、二枚歯でガラスを踏み割りながらたまかの元へ戻った。水面の様子から、もうこの部屋に危険性はないようだった。

「まずは『ブルー』のアジト以外でお前を匿える場所を確保して、そこに移るぞ。そこで、お前は銀行強盗の策を考えなくちゃならない。策が完成したら、姫月を再び呼んで作戦会議だ。忙しくなるな」

「はい」

 水面の顔には、長らしい精悍さが戻っていた。それが作り物だとしても、彼女の顔からは悲しみが一切消えていた。上に立つ者が持っている、瞬時に取り繕うことの出来る紛い物の顔だ。それでも、その顔はとても頼もしかった。

 その長い脚を動かし、颯爽と扉へと歩み始めた水面へ、たまかも後に続いた。廊下へ出ると、扉を隔てた外界の騒音は小さくなった。小奇麗な廊下の先を見渡すと、遠くに薄群青色の制服が見えた。ウェーブがかったアイボリーのショートカット、すらりとした高めの身長……イロハだ。水面もそれに気付き、たまかに先んじて彼女のもとへと向かう。たまかも静かにそれに続いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ