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抗争の狭間に揺れる白  作者: 小屋隅 南斎


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第73話

「拭くもの、なんかあるか?」

 水面は慣れたようにそう言って、姫月へ尋ねた。林檎の奇行に、深入りはしなかった。林檎の不審な動きの裏には必ず理由があることを、水面はその身を以って知っているようだった。

「ないけど、ここは使われてない建物だし……このままでいいんじゃない。あとで『レッド』の部下にでも掃除させといたら」

 姫月も水面と同じ様子で、大袈裟に肩を竦めて見せた。

「丁度課題は全部話し終わったところだったし……大体情報交換は出来たでしょ。お開きにしよ」

 姫月がそう言って椅子から立ち上がった。黒と白のフリルとレースが、ふんわりと膨らみを取り戻す。二本の長い白髪が、地面の重力に従ってすとんと落ちた。

 奇跡の三者会談にしては、あっけない散会宣言だった。まるで友達の家で遊んでいて、門限の時間がやってきたかのような気軽い口調。次があるかのような言いぶりだが、恐らくもうこのような機会は二度とやってこないだろう。

 解散への反対の声は、誰からも出なかった。姫月は軽く伸びをした後、「んじゃ」と敵対組織の長達へと片手をひらりと振った。パニエを揺らし、丸テーブルへ背を向ける。この部屋唯一の扉へと一歩を踏み出したのを、林檎は突っ立ったまま静かに見送った。たまかにも止める権利はない。その小さい背を、黙って送り出した。たまかの横で、テーブルからは桃色の液体が零れ落ち続けていた。

「待てよ」

 さざ波一つない湖に石が落とされたかのように、澄んだ声が木霊した。よく通る声に、姫月の厚底の靴はぴたりと動きを止めた。二つ結びを躍らせて振り返ると、立ち上がった水面が豹のように研ぎ澄まされた目を以って真っ直ぐと姫月を捉えていた。細められた瞳には、いろいろな感情が混じって燃えているように見えた。眉を寄せて険しい顔をしている水面は、なんだか怒っているようにたまかには感じられた。

「まだ何か……議題が残っていたっけ?」

「そうじゃない」

 のんびりと言う姫月へ、水面が低い声色で否定した。それから水面は一瞬、躊躇うかのように視線を逸らした。それから意を決したように唇を結んだ。たまかが困ったように横を窺うと、林檎はいつもの澄ました顔のまま、じっと水面を見つめていた。

「ずっと……ずっと、言いたかったことがあるんだ」

 水面はそう言葉を絞り出した。苦し気な表情だった。たまかの初めて見る顔だった。そして、その真剣さからたまかは察した。水面はこの会議が始まったときから、この時を待っていたのではないか、と。ずっと彼女なりに我慢していて、何か二人へ言いたいことがあったのではないか、と。そして水面の言う『ずっと』は、会議が始まってからという意味ではなく、三人が別れた時からの長い時間を指すのではないか、と。

 水面は獲物を射殺せるのではないかという視線で、姫月を真っ直ぐと見つめた。彼女は顔を歪めて、激情を吐き出した。それでも本人は感情を押し殺そうと努めてはいるらしく、くぐもった低い声色となって出力された。

「なんで『ブルー』の子を殺したの?」

「え?」

 常人なら尻尾を巻いて逃げ出すような視線を浴びながらも、姫月は全く動じずにきょとんと首を傾げただけだった。

「何の話?」

 彼女は本当に心当たりがないようで、不思議そうに尋ねた。

「『ラビット』に来た子なら、生きて帰したはずだけど——」

「違う」

 水面は厳かに、ぴしゃりと短く言い放った。

「……最初の話」

「最初?」

 水面は少し悲し気に声量を落とした。姫月は訊き返したあと、話が見えてきたようで、その口を閉じた。たまかは何の話なのか訳がわからず、ただ見守ることしか出来ない。横の林檎も、静観を貫いているようだった。

「あの頃、あたし達はお互いに仲間を作った。あたし達に賛同してくれる、大事な友人達を持った。それでそれぞれの組織を立ち上げて皆で協力して、あたし達三人の理想を実現させていこうって……そういう話だったのに。そのはずだったのに」

 水面は、その両の拳を握った。彼女の有り余る力が込められたせいで、爪が食い込んで血が出そうな勢いだった。

「お前は『ブルー』の子を殺した」

「……」

 憎しみの籠った瞳。怒りに染まった表情。対する姫月は感情を見せず、静かに見つめ返して水面の言葉に耳を傾けているだけだった。

「なんであたしの仲間を殺したの? 協力しようって……理想の世界を目指そうっていう話も、あたし達の友情も、全部嘘だったの?」

「……」

「なんであたしじゃなくて、『ブルー』の子を……アオイを殺したの?」

「……」

「あたしを殺せば良かったのに。あの子はもう帰ってこない」

 水面は泣きそうな顔をした。その表情を受けてなお、姫月は沈黙を続けたままだった。

「復讐されるってわからなかったの? あたし達が袂を分けて、もう元の関係に戻れなくなるって思わなかったの?」

「……」

「あの時まで、あたしは姫月のことを心の底から親友だと思っていたのに——あたしの勘違いだったの?」

 縋るような言葉に、返事は返ってこなかった。水面はその無言を肯定と受け取ったらしく、口を閉じ、小さく項垂れた。泣きそうだった悲しい表情は仕舞われ、苦しそうに変わった表情は、前髪によって隠されてしまった。

「……そう。説明する気はないってわけ」

 声が若干震えていた。それは悲しさによるものではなく、怒りによるものだということが、押し殺した声色によってたまかにも伝わった。

「……林檎だってそう。あたしの姫月への復讐の協力要請を断って、お前は独自に動き出した。結局、お前らは他の組織を潰して、自分の理想を掲げたいだけだった。友達だと思ってたのは、あたしだけだった」

 林檎を睥睨しながら、水面は吐き捨てるように言った。そして、獰猛に叫ぶ。

「最初から裏切る気だったんなら、なんで仲良しごっこなんてしてたんだよ!?」

「——違います!」

 水面の感情に任せた叫びよりさらに大きな声が出るように、たまかはお腹の底から叫んだ。被さった部外者の声に、水面は思わずたまかを振り向く。姫月と林檎も、予想外の介入の声に視線を向けた。三人の視線を浴びたたまかは、胸に当てた拳をきゅっと握って続けた。

「私は外部の人間で、水面さんの言う当時の詳しいことは何もわかりませんが……。姫月さんが水面さんや林檎さんを良く思っていなかったとはとても思えません」

 だって……と言いながら、姫月へと曇りのない視線を向ける。

「姫月さんは、今も御三方の写真を部屋に飾っているんです。部屋に入ったら、すぐに目につくような場所に」

 あの写真を、姫月は毎日見ているはずなのだ。上質な写真立てに、大事そうに入れられている一枚を。

「憎んだり恨んでいる相手の写った写真を、あんなところに大事そうに飾っているはずがないんです」

 横の林檎が少し驚いたように、「たまかさん、わたし達の関係を知って……」と小さく漏らした。姫月は、一瞬決まり悪そうな顔を見せた。それから床へ視線を投げ、観念したように肩を小さく縮めた。しかし、一貫して口は噤まれたままだった。

「それなら……一体どういうことなの?」

 水面は困惑しながら、言葉を求めるかのように語尾を強くした。

「姫月はなんでいきなり……アオイを殺すような真似をしたんだよ」

「……」

 深閑とした部屋は、姫月の言葉を待つばかりだった。暫くして、耐えかねた姫月が漸くその重い口を開いた。最初に肺臓の奥底から息を吐きだし、不本意だと言わんばかりに渋々とその濃い睫毛に彩られた瞳を水面へと向けた。

「説明したところで、事実は変わらない」

 毅然とした態度で、そう告げる。

「『ラビット』が——当時はそんな名前もまだついていなかったけれど。うちが最初に手を出して、『ブルー』の子を殺してしまったことは事実」

 姫月の顔には、何の表情も浮かんでいなかった。ただ、淡々と言葉を紡ぐだけだ。

「今更謝ったところで、その現実はひっくり返らない。組織間の抗争が止むことはないし、うちらの仲だって元に戻ることはない」

 感情のない言葉は、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。姫月は言うべきことはすべて言ったと言わんばかりに、水面、そして林檎の顔を瞥見すると、再び背を向けた。厚底を鳴らして、黒と白のフリルが扉へと歩みを再開させる。今度は制止の声は入らなかった。やがて扉が閉まる音が、無機質に部屋に響いた。久方ぶりに入った外の空気が、部屋の温度を下げていく。

 一人減った広い室内は、静けさを取り戻した。水面は項垂れて、唇を噛んだ。行き場のない感情が、その顔を悲しみに染めていた。たまかは心配そうに窺うことしか出来なかった。声を掛けるべきなのだろうが、言葉が見つからなかった。横の林檎はいつもの澄ました表情で、姫月の出て行った扉を見つめていた。やがて、その顔を水面へと向けた。表情のないまま、小さな口を開く。

「……これは、憶測ですが」

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