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抗争の狭間に揺れる白  作者: 小屋隅 南斎


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第72話

「猫です!」

 大人びた話し方を作っていないソプラノの声は、年相応の幼さを滲ませていた。

「……え?」

 猫の話は、もう既に『レッド』できいている。瀕死状態の猫を助け、猫は一命を取り留めた。しかし、でっち上げにせよ勘違いにせよ実際に起こったにせよ、たまかに治療中の猫の死を否定することは出来ない。治療中に誰かに目撃されていたとして、蘇生の話はそこから出てきたのではないか。そういう話だったはずだ。

 ぽかんとしているたまかに、林檎はもどかしそうに続けた。

「だから……猫です。重要なのは蘇生能力でもたまかさんでもない。——財団が追っているのは、猫だったんですよ!」

 必死に説明をする林檎に反して、たまかの頭はついていっていなかった。

「ね……猫さん? なぜ?」

「財団はあなたに蘇生能力がないことを承知していました。それでもなお、あなたに蘇生能力があると言い張って追っていた。たまかさんは勿論蘇生能力なんてない、『不可侵の医師団』に所属するただの一般人です。そんなあなたが唯一持っている情報、それは猫の情報。猫が生きているという情報」

 興奮によるものか頬を僅かに紅潮させながら、林檎は捲し立てた。

「財団にとってその猫は重要な意味を持った。その情報が流出することは避けたい、だけどあなたを殺してしまったら、今の猫の居場所がわからなくなる。だからあなたを生け捕りにするように言ったの。水面と姫月まで使って」

 たまかはぱちぱちと緩慢に瞳を瞬いて、さらにもう二回程、瞬きを挟んだ。

「きっと財団は猫を殺して処分したかったんだわ。だけどたまかさんが治療して生き返らせてしまった。だからなんとかして猫を探し出して、もう一度殺す必要が出てきた。そのためには猫の行方を知るたまかさんの持つ情報が必要で、さらにそれを吐かせたあと口封じのために殺す必要もあった。だからたまかさんの身を求めていたのよ」

 段々と、思考が林檎に追い付いてきた。たまかの脳裏に、白い大きなガーゼを当てられて眠る、三毛猫の姿が想起された。

「つまり財団が本当に求めているのは、私ではなく、猫さんだと……?」

 林檎は『レッド』で話した時から、たまかが賞金首に選ばれたのには必ず何か理由があるはず、と言っていた。財団が初めから蘇生能力が無いことを知っていたならば、たまかを追い求めていた理由は蘇生とは別の何かだということになる。そして、平凡な一般人であるたまかだけが唯一持っているもの、それは猫の情報である。たまかにとっては数多の中の一匹の患者さんであって、患者自体は勿論大事ではあるが、情報としては取るに足らないものだった。だから財団が求めているのが猫の情報だとは、露程も思っていなかった。

「待て待て、一人で勝手に盛り上がるな。どういうこと?」

 水面が苦笑いを浮かべながら、静めるように両手を掲げて下げてみせた。そこでようやく自身が立ち上がっていたことに気付いた林檎は、素直にちょこんと椅子に座り直した。幾らか冷静さを取り戻し、再度口を開く。

「……財団が、あれだけ莫大な金額を掛けてまでたまかさんを追う理由を、ずっと考えていたのです。『ラビット』での一件で蘇生能力が目的でないことは確実となりましたが、結局明確な理由は分からずじまいだった。また、財団はあくまでもたまかさんを生け捕りにしようとしていました。きく限り『ラビット』に襲撃に来たときはたまかさんを殺す機会はいくらでもあったはずなのに、故意に殺すことはしなかった。借金返済をちらつかせて三組織に食いつかせるためのただの餌にしては、財団はたまかさんを殺すことを躊躇いすぎています。つまり、たまかさんが選ばれた理由が明確にある」

 林檎は、姫月へと僅かに顔を向けた。

「わたしがやったように、三組織を意図的に渡り歩かせ、内部の情報を引き抜きたいのかとも思っていました。ですが先程の桜卯の態度を見る限り、桜卯はお父様を少なからず信頼しているように見受けられました。駒として使うなら桜卯で充分のはず。ならばたまかさんを介するよりも桜卯を通した方が話は早いですし、たまかさんのリークの的も『ラビット』を抜くでしょう。桜卯という代用がいるならばたまかさんの価値も相対的に下がるはずですが、財団の者達は最期までたまかさんを殺さなかった。なので三組織の情報が目的ではありません」

 顎を僅かに引き、水面へと視線を向ける。

「三組織を同士討ちさせる着火剤にしたいのかとも思いました。財団は財力を以って三組織を潰しに掛かっていますが、別アプローチとして用意したのがたまかさんなのではないかという考え方です。たまかさんの身を巡ってわたしたちを争わせたいならば、たまかさんを不用意に殺すことは避けるでしょうし、生け捕りに拘った理由にも一応説明がつきます。ですが、それにしては財団自体がたまかさんに執着し過ぎていますし……客観的に見て『ブルー』がたまかさんを殺してしまう可能性も高かった。財団は縹の性格面に詳しいとは思えませんし、『ブルー』の野蛮さは周知の事実です。先程縹が言っていたように、たまかさんをメリットなしで守ろうとするなんて財団の筋書きに入っているわけがありません。つまり三組織の共倒れを狙う餌としては、そもそも成り立っていない」

 最後に、横のたまかを振り向く。少し顔を傾け、紅色の髪に彩られた肌が隠れる。

「では、一般人で力もないたまかさんが唯一持っているものは何か。三組織のメンバー、そしてわたしたち長ですら持っていないもの、それは彼女が治療した猫の情報です。わたしたちはその猫を見たことすらないですが、たまかさんは実際にその目で見て治療を行っています。財団が執心するとしたら、たまかさんが持つ唯一無二の情報、つまり猫の情報であると考えられませんか?」

 水面も姫月も無言だったが、その顔は林檎の言葉を頭でいろいろと考えている様子だった。やがて「んー」という小さい唸りとともに、水面が自身の紺色と瑠璃色のセミロングをかきあげた。

「たまかが唯一持っていそうな情報っていうのはわかった。だけど、そもそも財団は猫なんか殺して何がしたかったんだ? 猫一匹にそんな重要な価値があるように思うか?」

「桜卯は、何か心当たりはありませんか?」

「財団で猫なんて見たことないけど……。パパが猫好きとかもきいたことないし」

 姫月は肩を竦めた。そもそも殺そうとしていたのなら、猫好きなわけがない。

「誰も心当たりがないんだったら、猫を直接見てみれば何かわかるかもな」

 水面の提案は、極めて建設的だった。情報がないなら、その真のお尋ね者の姿を実際に見て得られる情報に頼ろうというものだ。林檎も姫月も、珍しく素直にその案に乗り気のようだった。内心冷や汗をかいていたのは、たまかだけだ。

「そう……ですね。そう、したいですね」

「その猫って、何処かに保護してたりするの? 『不可侵の医師団』に預けてるなら、襲撃される可能性もあるしやばくない?」

 揺れるミニハットを意味もなく目で追い、たまかは虚しい笑みを作った。三人の視線を一身に受けていたたまかは、横の林檎が僅かに眉を顰め、いちごミルクのペットボトルに手をかけたことに気付かなかった。

「猫さんは……ですね。実は——」

 私も行方を知らないんですよ。

 そう言葉を続ける前に、びちゃびちゃという水音にかき消された。場に不釣り合いな音、そして自身の腕に掛かった水滴に慌てて横を向くと、そこには桃色の滝があった。正確には、立ち上がった林檎が、ペットボトルを逆さにして、いちごミルクを机へ真っ逆さまに流していた。コポコポと音をたて、みるみると容器から自由になるいちごミルクに、たまかは思わずあんぐりと口を開けた。水面と姫月も、視界の隅で唖然としていた。

 林檎が宙でペットボトルの向きを戻したときには、容器の残りは二センチ程しかなかった。机にぶちまけられ、そこから床に零れて水溜まりを作る桃色の液体は、こうしている間もどんどんと広がっていった。

「失礼」

 林檎は無表情に一言、そう言った。言葉に反してちっとも悪びれのない口調だった。林檎はたまかを横目で見下ろした。

「手が滑ってしまいました」

 平然と言ってのける。そして、たまかへと小さく首を横に振ってみせた。何かを伝えるようだった。

(猫さんの行方……遮られたってことですかね)

 実際にはたまかも知らないためもとより言うことは出来なかったのだが、猫の居場所を言う行為を良しとしなかったのだろう。彼女の行動は不自然極まりなかったが、それはこうしてたまかに視覚の情報があるからだ。恐らく、たまかや水面、姫月に向けての行動ではない。そうだ、林檎はこの会議がイロハに盗聴されていることを知っている。盗聴はお手の物の『レッド』の長張本人だからだ。例えば聴覚のみだった場合、飲み物を零したことにより自然に遮られた形にきこえるだろう。どのような深意があるかはたまかにはわからなかったが、盗聴している相手に自然にきこえるようにたまかを止めたかったのだろう。

「たまかさん」

 林檎は声量を落として、囁くように言った。

「わたしの推理が正しかったとして……猫の行方は、今やあなたの命を保障する情報です。財団があなたを生かす唯一の理由。あまり軽率に口に出すものではありません」

 猫の居場所は、今やたまかの生命線なのだ。……実際には知らないのだが。

「は……はい」

 たまかも小さい声で返し、頷いた。林檎は僅かに微笑んだ。

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