第61話
毅然とした態度で止まる事なく論じていたアカリは、急に言葉を引っ込めたかと思うと、軽く舌を出した。
「えへへ、ごめんなさい。最初からたまかさんの案に反対するつもりなんてないわ」
「……えっ?」
「少しね……その、釘をさす必要があると思って」
何に対して、とは明言されなかった。無意識に『ラビット』に利のあるように行動しないように、という発破なのかもしれないし、『レッド』を甘く見るなという忠告なのかもしれなかった。
「概ね、たまかさんの案に賛成です。ただ先程言ったように、その条件にはいくつか大きな穴があります。そこを埋める必要があります……うちがいくつか提案してもいいですか?」
「は、はい。もちろん」
アカリは本来のおっとりとした話し方に戻ると、柔らかな笑みを浮かべてそう言った。たまかはほっと胸を撫で下ろした。
「……何言ってるか半分くらいわからなかったけど」
身も蓋もないことを言って、ミナミは跳ねた群青色の髪をがしがしと掻いた。
「圧は凄かったな」
「はい、それはもう」
「え、ええ……? 怖がらせてしまったかしら?」
アカリは困ったように笑顔を作り、親しみを込めて両手を振ってみせた。
「とにかく、これで……たまかちゃんの案は全員賛成、ってこと?」
ナナが確認の意味を込めて全員の顔を見渡す。異議は出なかった。
「では……細かいところはこれからアカリさんに修正を入れてもらう形になりますが、大筋は先程の案で行きましょう。今から適用開始です」
今、『ブルー』、『レッド』、『ラビット』の三組織のメンバーは、その手を血に染めることなく、一様にたまかを見つめ返している。
「この案は……みなさんを守るためのものです。他の組織の手から、そして不要な疑心暗鬼から。……私が立会人です。三組織のどこにも属していない、私が」
たまかは、片手を自身の胸に当てた。
「私がいる限り、先程の条件は破らせません。リーダーの明確な次の指令がない今、私と敵対するのはどこの組織も避けたいはずです。私の身が、この案の担保です」
ノアの拍手が部屋に響いた。黒のレース越しに鳴るくぐもった音は、暫く止むことはなかった。ミナミは少し呆れたように、そしてナナは目の奥を輝かせて、たまかの宣言を聞き終えた。アカリは皆の影で、その顔から笑みを消していた。その目は、何かを思い起こすように過去を見ていた。
「……朱宮さま……一体どこまで……」
ぼそり、と呟いた声は蚊の鳴くような小ささで、誰の耳にも入らずに消えていった。
***
二日後。
『ラビット』に捕らわれた『不可侵の医師団』の少女達を救うべく『ラビット』に乗り込み、財団の襲撃を受け、怪我をしたナナとノアを治療し、五人で一つの部屋で過ごすよう説得し、ポポの遺体を火葬して埋葬したのが二日前。昨日は特に何も起こらず、三組織の少女達が部屋に集って過ごすという異様な光景が広がっただけだった。皆会話をせず、なんとも言えない気まずい空気がひたすら漂っていた。ただ誰も条件を破ろうとする者は出ず、警戒態勢ながらも争いに発展することはなかった。ミナミとアカリは敵陣の中ということもあり、一睡もしていないようだった。二日経った今、二人の疲弊感は見てわかる程に増していた。一方ノアは空気などお構いなしに頻りに「皆でトランプしよう」「皆でしりとりしよう」などと騒いでいたが、結局パーティゲームが遊ばれることはなかった。ナナは始終居心地が悪そうにしており、それは敵対組織の人間がいるからというより、単純に人と一緒にいることに慣れていないようだった。そして五体満足、傷のない人間がずっと目の前にいることに対しても慣れていないらしく、チェーンソーか何かを手繰り寄せようとして虚空を掴んではっとする、という行動を一日五回くらいの頻度で繰り返していた。
たまかはというと、この珍妙な光景の発起人ということもあり、ずっと気を張って皆のことを見守っていた。とにかく怪我人や死人を出さないというのが何よりの目標であるが、裏を返せば目の前にあるものは誰かが一殴りでも始めてしまえば瞬時に崩れてしまうような儚い平和である。そしてこの平和を支えている細い一本の糸は、自分である。それを常に意識しながら、平和を崩してしまうようなきっかけを見逃さないよう、慎重に皆の行動を観察していた。気を抜くとすぐにポポのことを考えて涙が浮かんでしまうため、それを避けるためでもあった。
椅子に座ったまま鼻歌を歌うノア、制服のリボンを指でくるくるとすさぶナナ、あぐらをかき、仏頂面で頬杖をつくミナミ、後ろに回した両手で窓の傍を掴み、背中を預けながら全体を見渡し続けるアカリ。その中央に位置するように床に座り込むたまか。二日目となり定位置と化してきた各々の場所から、他の人間へ警戒する視線を投げるみんなの姿は、もう見慣れたものとなっていた。静かな部屋には、ノアの鼻歌だけが小さく響いていた。陽気で明るい曲調は、相変わらずたまかの知らない曲だった。
不意に、コンコンコン、と扉が叩かれた。この部屋に居始めてから、五人以外の来訪者は初めてだった。今まで姫月はもちろん、『ラビット』のメンバーさえも来ることはなかった部屋に響くノック音。部屋の緊張感は一気に高まる。
「は~い」
一人だけ緊張感を全く感じさせないゆるい返事をし、声の主は椅子から立ち上がろうとした。足を怪我しているノアを制し、ナナが扉へと近づいていく。……この二日間、他の『ラビット』のメンバーに後を任せて『不可侵の医師団』に治療を受けにいくように勧めてはみたが、二人はそれを断固拒否した。他の組織の奴らが帰った後に行くから、の一点張りだった。そのため、二人の怪我はまだ応急処置が施されているのみである。
ナナは一応襲撃出来るような位置取りをして、扉を開けないまま警戒した声をかけた。
「誰?」
「『レッド』の桜です。『偶然』、一緒になった『ブルー』の方もいます」
扉の外から、真面目そうな、淡々とした声がきこえてきた。サクラの声だ。
「よー、ミナミいる? 縹様の伝言、持ってきたよ」
続けてソラの大きな声が扉の奥から響いた。『ブルー』と『レッド』、二組織のリーダーの言伝を持った使者が帰って来たらしかった。
(お二人は、私に対して一体どんな扱いを命じたのでしょうか)
二人の持って来た指令の内容次第で、たまかの運命も変わる。たまかはごくりと唾を呑み込んだ。




