第56話
たまかは四人を見送ったあと、ポポの遺体を軽く整えた。手を胸元に持ってきてやり、投げ出された足は真っ直ぐに閉じてやる。その死に顔を名残惜し気にしばし眺めたあと、立ち上がった。そして床に散らばった医療器具をかき集め始めた。もとはサイドポーチだった布の残骸も拾い集める。もう使えない器具もいくつかあったが、とりあえずナナやノアの応急処置をやる分には問題なさそうだった。
不意に、座りっぱなしだったナナがゆらりと立ち上がった。無言のまま、背を向けて玄関へと向かおうとする。未だに手首には労わるように片手が添えられていた。
「ナ、ナナさん」
たまかは思わず呼び止めた。ナナは立ち止まったが、背を向けたままだった。たまかからは、ナナの表情は窺うことが出来なかった。
「……ノアを治療してあげなよ。ナナはいい」
そう吐き捨てると、再び玄関に向けて足を動かす。亀のような遅さで、それでも足を引き摺ることを止めず、確実にたまかとの距離を広げていた。
「ナナさん」
たまかは、その背中に向かって再度ナナの名前を呼んだ。ナナは立ち止まらなかった。
「その……、『ラビット』の皆さんを騙すつもりはなかったのですが、結果的に裏切った形になってしまって、申し訳ありません。そんな相手からの治療を受けたくない気持ちもわかりますが、応急処置だけでもさせてください。骨関係は、このまま放っておいて癖になっては……」
「……裏切る?」
ナナが浅く振り向いた。レモン色の髪の間から、生気のない瞳が覗いた。
「嘘をつかれたと思っているでしょう? 蘇生のこと……」
たまかの言葉に、ナナはほんの少しだけ首を捻った。
「蘇生……? ああ、うん……」
(……あれ? 蘇生の件でショックを受けたから治療を受けたくない、っていうわけじゃないんですかね?)
たまかが困惑とともにナナの説明を待っていると、ナナはゆっくりとたまかへと向き直った。レースに包まれた小さい掌の間から見える手首は、赤く腫れあがっていた。
「もちろん悲しかったよ? 蘇生の力があれば毎日楽しくなると思ってたから。でも楽しみにしていたゲームが発売中止になったからって、別に違うゲームを楽しみにすればいいじゃない? 求めていた力がないって言われたときは悲しかったけど、別にそこまで深く考えてないよ……。隠し事だって、誰だってするし……」
「じゃあ……ポポさんの死の仇敵からは、情けは受けたくない?」
「別にポポが死んだのはたまかちゃんのせいじゃない。それに友達の死なんて日常茶飯事でしょ、悲しくはあるけどいちいちどうこう言ってらんない」
徐々に口調に力強さを取り戻しながら、ナナはたまかを真っ直ぐと見つめて続ける。
「たまかちゃん、何か勘違いしてる。別にナナはたまかちゃんが嫌だから治療を受けたくないわけじゃない。ノアの怪我が酷いから、そっちをちゃんと見てあげてって言ってるだけ」
「嘘」
ぼそりと小さい呟きが漏れた。長い間沈黙を貫いてきた、ノアだった。飾りが取れて破け、煤だらけになったボンネットを揺らし、顔をあげる。その弾みでリボンが一つ取れて床に跳ね、爆発であいた穴へと吸い込まれていった。煤に汚れ、所々が燃えて散り散りとなったチョコレート色の髪は、もう艶がなくなっていた。その髪を振り、ノアは首を横へと動かした。
「ナナちゃん、嘘つき」
「……何言ってんの。嘘なんてついてない」
突然の横槍に動揺したナナは、反射的にノアを咎めた。ノアは座り込んだまま、顔をあげた。見上げた先は、たまかだった。
「ナナちゃん、きっと悲しかったんだよ。たまかちゃんに拒絶されて」
「拒絶……?」
「一緒に遊んでくれなかったから」
財団、そして『ブルー』と『レッド』の乱入前。『不可侵の医師団』の少女達を人質にした『ラビット』の面々は、たまかと友達になりたい、遊びたいと言っていた。しかしたまかはその誘いを断った。そのことを言っているらしかった。
ノアはたまかからナナへと視線をスライドさせた。
「きっと、すごく、すごく悲しかったんだ」
「……っ!」
ノアの悲しそうな、憐れむような、瞳。同情するような顔を見て、ナナは唇を噛んだ。そして、叫ぶ。
「ノアに何がわかるの!」
その言葉に、ノアはびくりと肩を震わせ、一瞬泣きそうな顔をした。ナナは自身の瞳を閉じ、暗闇の中声を張り上げた。
「……確かに、たまかちゃんに拒否されたときはとっても悲しかった! すごくすごく悲しかった! でも、それが当たり前なんだよ。みんなナナと友達になんかなりたくないんだ。わかりきってた答えだったってだけ! たまかちゃんは悪くない!」
「……」
「嫌なの! ナナのせいでたまかちゃんが傷つくのは! だから傍にいたくないの! これ以上ナナのせいでたまかちゃんが何か嫌な思いしたり悲しい思いしたり怒ったりするのが嫌なの! だから近くにいたくないの! ……ノアには一生わからないだろうけど!」
開いたナナの瞳には、大量の涙が溜まっていた。頬を伝い、大粒の雫がポタポタと零れていった。半壊した床に、染みを残していく。
ノアは沈痛な面持ちで、その様子を見上げていた。ナナの言葉に反論するとしても、何と言えばいいのかわからないようだった。言葉を発することなく、俯く。そして、「……でも」と、ぽつりと零した。
「ボク……ナナちゃんと一緒にたまかちゃんの治療を受けて、元気になりたい」
「……」
「ナナちゃんと、一緒がいい……」
ナナにとって予想外の言葉だったらしく、言葉を詰まらせた。俯いたノアの言葉は、ナナに向けられた言葉ではなく、独り言のように虚空に向かって消えていった。ナナも無理に返事をすることを諦めたらしく、彼女は背を向け、ボロボロの黒と白のフリルとリボンとレースを靡かせ、部屋を後にした。そのまま力任せに扉を開き、出て行ってしまった。厚底の鳴る音が、段々と小さくなり、やがて消えた。
たまかはどうすることも出来ず、突っ立っていることしか出来なかった。ここで追いかけていいのかさえ、わからなかった。彼女の言っていたことが本心なら、無理に治療を断行するより、少し一人にしてあげた方がいいのではないだろうか。いや、彼女のせいで嫌な気持ちになんてならないと、無理やりにでも傍に行ってあげた方がいいのだろうか。たまかが一人悩んでいると、「たまかちゃん」と舌足らずな声が名前を呼んだ。ノアだった。
「ナナちゃんへの治療は、ボクの治療の後にしてもらってもいいかな? えへへ、たまかちゃんを独占だ~」
ノアは無邪気に笑った。元気づけようとしてくれているのだろう。たまかは頷き、ノアへ近づくとしゃがみ込んだ。
「……そうですね」
「後で一緒にナナちゃんのところに行こうね」
ノアは穏やかにそう言ったあと、冷たい仲間を振り向いた。
「それから、ポポちゃんのお葬式、しよう」
「はい」
「ポポちゃんと一緒に、いちごちゃんも一緒に燃やしてあげよう? そうしたら寂しくないよね。あ、いちごちゃんっていうのはボクのうさぎさんのお友達なの。ふわふわのおててしてるんだよ。きっとよく燃える……」
ノアは長い睫毛を震わせて目を閉じて、ふわふわとした口調で語り続けた。その間、たまかはかき集めた医療器具で彼女の血塗れの足を綺麗にし、応急処置を施す準備を続けた。彼女の囁くような言葉に耳を傾けながら、彼女の痛みを取り除くため、手を動かし続ける。ノアは「痛い」とは一言も言わなかった。
「お友達を燃やすとね、いつもその夜、その子達が遊びにきてくれるの。一緒にクッキーを食べたり、一緒に花火をしたり、一緒にケーキを作ったり……。皆笑顔なんだよ。ずっと楽しそうに笑ってるの。ボクもすっごく楽しくて……いつも、永遠に続けばいいのになって思っちゃうんだ」
「……」
「でもその夜っきり、もう燃やした友達とは会えないの。だからボク、思ったんだ。皆が寂しがらないように、皆のところへおもちゃを送ってあげようって。何を贈れば喜んでくれるかなってすっごく悩んで、ようやく素敵なおもちゃを思いついたの。それはね、『ブルー』とか『レッド』の子達だよ。名案でしょ? ダーツだって出来るし、花火にしてもいい。バラバラにすればケーキの材料にもなるし……」
「……」
「皆、場所は違ってもきっと楽しくやってる。だから、ボク達が寂しがる必要なんてたぶんないんだよ。ポポちゃんだって、きっとそう。今夜、元気な笑顔でまたボクに会いに来てくれる……」
夢へと誘うような語りは、治療中ずっと続いた。たまかはそれを無言で聞き続けた。ノアも相槌を求めていないようで、穏やかな顔で歌うように話していた。
部屋の隅で静かに佇んでいたミナミとアカリは、始終口を挟むことなく見守り続けた。ミナミは話の通じない地球外生命体に会った時のような目をしていたし、アカリは同情を寄せてはノアの言葉の端々に首を傾げる、という二つの感情の反復横跳びに忙しそうにしていた。
三組織のメンバーが一つの部屋に集っているという状況にも拘らず、ノアの声が優しく響くだけだった。半壊した部屋の中、三組織の三人、そしてたまかは、各々のやるべきことを全うしていた。窓の外では、遠くの空が薄っすらと橙色を帯びてきていた。
***




