第51話
その言葉を合図に、少女の持つ拳銃から発砲音が放たれた。一瞬で、突然だった。たまかはワンテンポ遅れて発砲されたことを悟り、驚愕を以って顔を強張らせた。その僅かな間に、既に三組織の少女達は動いていた。『ブルー』のミナミとソラは弾の軌道を正確に捉え、目で追って避けていた。『レッド』のサクラは発砲と同時に壁際に走りだした。そして、同時に手に持っていたピアノ線の先を投げていた。言葉を交わすでもなく、それに反応して手を伸ばしたのはアカネだった。投げられた透明な細い糸の先を掴み、サクラとは逆方向へと走る。そして、スーツ姿の少女達の背後へと回った。それに気付いた乱入者の一人が、執拗にアカネを狙って発砲を繰り返した。アカネに気を取られているジャケットの背後から、近づいていたミナミが首に腕を滑らせ、締め上げる。他のスーツ姿の少女がミナミへ発砲しようとしたところで、大きな斧が横から突き刺さった。血しぶきが飛ぶ中、ポポはその小さい両手に力を込めた。その隙に、部屋の隅ではアカリが倒れた『不可侵の医師団』の少女のもとへと駆け寄っていた。血に塗れた彼女の脇の下から両手を入れ、しっかりと身体を固定させる。長いスカートの裾を踏まないよう注意しながら、素早くその身体をもう一人の横たえた少女のもとへと移動させた。それは乱入者達の銃に囲まれた範囲外であり、気を失っている『不可侵の医師団』の者達の安全確保のための動きだった。乱入者の銃口がアカリを捉える隙を与えないように、サクラはピアノ線を引っ張りながら乱入者達のもとへ突っ込んでいった。ミナミが反応して距離を取る。サクラに気を取られている乱入者へ、アカネが素早く線の先をスーツに包まれた腕へと巻きつける。先程ノアへしたように相手の動きを封じると、サクラは空いた方の手で拳銃を取り出し、乱入者へと突き付けた。それと同時に、まるで鏡合わせのようにアカネも同じく拳銃を取り出し突き付けていた。そこから距離を取っていたもう一人の乱入者は、素早い動きでその場を離れた。その直後、足元に投げ込まれた黒い塊が爆ぜ、床に穴を増やして煙をあげた。
ノアの爆弾を避けたスーツ姿の少女は、たまかを一瞥した。そして、仲間達へ向けて叫ぶ。
「九十九たまか以外は全員殺せ!」
斧を身体にめり込ませたままの財団の少女は、足を怪我して動けないノアへと銃口を向けた。それに気付いたポポが、すかさず斧から手を離し、拳銃を構える腕へと力いっぱいタックルする。銃弾の軌道は逸れ、ノアのボンネットの横を通り過ぎていった。一方、爆弾を避けて指示を出した少女は、ソラへと照準を定めた。乾いた発砲音が響いたが、ソラは即座に頭を下げ、銃弾を避けた。そしてスーツ姿の少女へと一気に距離を詰め、殴りかかる。スーツ姿の少女はそれを機敏な動きで避け、再び発砲した。ソラはそれを頭を振って避けると、フリルの縁取る薄群青色のスカートを翻しながら、目の前の敵を蹴り上げた。スーツ姿の少女は即の所でそれを避け、再び拳銃を構える。ソラはそれを見て、愉しそうに嗤った。そこから距離を少し取り、腕をピアノ線に雁字搦めにされた少女と『レッド』の面々は膠着状態となっていた。腕を動かせないスーツ姿の少女に対し、サクラもアカネも警戒を緩めず、拳銃を突き付けたままだった。二人とも、発砲はしない。『レッド』にとって、情報は武器だ。このまま殺すよりも、知っている情報を吐かせる方が遥かに価値があることを、二人は知っていた。
しかし財団の者も黙って縛られてはいなかった。一瞬の隙をついて、ヒールのある黒いパンプスをカツンと音を立てて蹴り上げた。しかし、それはサクラやアカネを狙ったものではなかった。靴の先から刃が飛び出し、腕とサクラの手元を繋ぐピアノ線を切り裂いた。サクラもアカネも息を呑み、即座に発砲音が鳴り響いた。スーツ姿の少女はそれらを華麗に避け、自由になった手で引き金を引いた。照準はサクラやアカネに対してではなく、手首を負傷して床に倒れ込んでいたナナに向けられていた。ナナは脱臼した手首を庇いながら、くるりと床を転がった。銃弾は床へとめり込んだ。
スーツ姿の少女は、続けて発砲を繰り返した。正確には、続けようとして——直前に横から首元へピアノ線が絡み、そして彼女の手へと銃弾が当たった。部屋の隅から彼女へ発砲したアカリ、そして首にかけたピアノ線を思いっきり引っ張ったサクラによって、その銃弾の軌道は、本来のものから大きく逸れた。デスクランプの照明部分が音を立てて爆ぜ、壁に黒い円形を象ってめり込んだ。その首が細い透明な一筋の線によって切断される直前、銃弾の当たった手とは逆の手がその糸を掴んだ。手首にも仕込まれていたらしく、ジャケットの袖から飛び出した刃がピアノ線を切り裂き、無力なゴミと成り果てた糸が床へとはらりと落ちていった。
ミナミがポポへと加勢し、体勢を崩したスーツ姿の少女の隙を見て身体ごと倒し、押さえつけた。その頬へと、渾身の一撃をお見舞いする。殴られた少女は押さえつけられた腕の先、銃口の向きを即座に変え、発砲した。ミナミはそれを避け、二発目を繰り出す。そして斧が食い込むよう、斧のめり込んでいる部分へ重心を預けて少女へと乗った。
何も出来ず、ただただ戦況を見ているしか出来なかったたまかは、自分へと殺意が向かないよう、ただ息を殺すしかなかった。三組織と財団の者達の戦いを注視しながらも、たまかは『不可侵の医師団』の二人へと不安そうな視線を向けた。先程アカリが彼女達を比較的安全な場所へと移動させてくれたが、最早乱闘の様相を成し、充分射程圏内に入ってしまっているのだ。二人にこれ以上傷がつくのは見ていられないし、何より流れ弾が胸や頭に当たる可能性だってある。なんとかして、二人をもっと安全な位置へ移動させたかった。
(三組織の方々に加勢したいのは山々ですが、私が割って入っても足手纏いになるだけですからね。せめて、これ以上の被害が出ないように食い止めないと)
三人の乱入者は、各々三組織の者達を相手取っていて、たまかを気に掛ける余裕がないようだった。……動くなら、今だ。たまかは『不可侵の医師団』の横たわる少女達に向かって、ニーハイソックスに包まれた足を一歩、踏み出した。
その瞬間、発砲音が響いた。たまかは驚き、そちらへと顔を向ける。ミナミに馬乗りにされ、背中に斧を突き刺したままのスーツ姿の少女が持つ拳銃。その銃口は、しっかりたまかの方を向いていた。煙が昇り、なにやら銃口からこちらへ向けて発射されているのが、スローモーションのように映った。——銃弾だ。
本来、財団の者にたまかを殺そうという意思はなかったのだろう。先程の指示でも、たまか以外を殺せ、と明言していた。しかし身体にめり込んだ斧による痛み、そしてミナミとポポの猛攻が、財団の少女の考える余裕を奪っていたのかもしれない。視界の隅で動いた影に、ミナミに乗られたまま、少女は見向きをする前に即座に発砲した。誰かを確認する余裕は、当然なかっただろう。きっとその相手が、たまたま生け捕りにする予定だった『不可侵の医師団』の少女だったというだけなのだ。
たまかは迫りくる銃弾に、為すすべがなかった。ただ、その影を大きくする金属の塊に目を奪われるしか出来ない。避けなければいけないと心では思うのに、身体は一ミリも動いてくれなかった。
(あ……。ここまで、ですか?)
頭が真っ白になる。この地において、三組織の誰でもなく、まさか自分を欲しているという財団の者の手によって殺されるとは露程も思っていなかった。なんだか状況にそぐわないそんな他人事のような感想ばかりが浮かんでは消える。逃げなきゃ、という警告が頭で鳴り響いているのに、相変わらず強張った身体はうんともすんとも言わない。今更恐怖がたまかの胸を満たし、眉が寄った。
「たまかちゃ……!」
その時、劈くような叫び声がきこえてきた。舌足らずながら、緊張感の滲む声色。続けて、乱れきった金髪が突如、視界に入り込んだ。小さい背丈が、立ちふさがるように前に現れる。大きな斧を振り回していたとは思えない、小柄な背中だった。たまかの目の前で、スローモーションのように小さい黒白のフリルが躍った。まるで薔薇の花びらのように、紅をまき散らして。
「……ポポさんっ!」
たまかの叫びも虚しく、目の前の少女は床へと倒れ込んだ。たまかは震える手を、小さい身体へと伸ばした。血が床に流れ出し、焦げて剥き出しになった木材を伝って、穴の奥へと落ちていった。
財団の者達も三組織の者達も、その手を止め、倒れたポポと駆け寄るたまかへと意識を向けた。全員の視線を浴びているのを意にも介さず、たまかはポポの容態の確認に必死だった。銃創は胸部で、深く抉れ血だらけだった。呼びかけに応答なし。呼吸、脈拍なし。ポポが死んだ事実を突きつけられる度、たまかは焦燥感に駆られ、言いようのない絶望感に支配された。




