第50話
「『ラビット』が先にたまかちゃんと遊んでたんだから、横取りしないでよ!」
「そーだよ! ひどいよ!」
血の流れる足を投げ出し、床にへたり込んだままのノアも加勢した。怒りに眉を寄せ、口をへの字に曲げていた。
手首をもう片方の手で抑え蹲るナナを置いて、ソラがすっくと立ちあがった。ぶーぶーと不満を垂れるポポとノアへ、二枚歯を鳴らして近づく。ポポの前で立ち止まったかと思うと、一瞬の内に彼女の肘が金髪の頭へと落下していた。長く垂れた袂をもう片方の手で捲り、覗いた白く健康的な腕がポポの頭へ激突する。ゴツンと鈍い音が響き、ポポは涙目になって頭を抑えた。
「~~~っ!」
「あーっ、楽しくない暴力は反対だよー!」
ノアの抗議は無視された。ソラは立ち上がり、再び元いた場所に戻ると、落ちたチェーンソーを片手で持ち上げた。まるでボールを投げるように、割れた窓の外へ放り投げる。割れた窓の先に激突し、粉々のガラス片を巻き込みながら、重い機体は窓の奥へと落下していった。
(ここ、三階……)
投げ出されたチェーンソーの落下地点に人がいて当たった場合、間違いなく大怪我を負うだろう。しかしたまかの心配を他所に、悲鳴は聞こえてこず、ガチャンという鈍い音のみがきこえてきただけだった。どうやら大事には至らなかったようだ。
「も~、じゃあこうしよう?」
ノアはそう言うと、フリルの折り重なるスカートからリボルバー式の拳銃を取り出した。
「じゃーん、ロシアンルーレット~」
チョコレート色の斜めに切られた髪を揺らし、彼女は楽しそうに両手を天へと広げた。彼女の足は痛々しい傷が広がり、今も血が止まることがないのだが、まるで痛みなど感じないかのようにいつも通りの声色だった。
「はー、くだらな」
ソラはノアの前までやってきて、座ったままの彼女の胸倉を乱暴に掴んだ。掴まれたままで、ノアはソラに拳銃を突き付けた。……正確には、突き付けようとしたが、直前にソラに手首を回転させられ、滑るように拳銃を奪われた。ソラは奪った拳銃を、躊躇いなくノアのボンネットのサイドリボン越しに当てた。そして、流れるように人差し指で引き金を引いた。カチ、と空虚な音が軽く響いた。
「……セーフ!」
ノアはにっこりと微笑んだ。ソラは片眉を跳ね上げた。
「次はキミの番だよ?」
「……誰がやるか」
ソラは銃口をノアの頭から離した。そして、それを勢い良く伸ばし——サクラの頭へと照準を合わせた。
「『レッド』の奴とやるなら、止めないけど」
「わー、キミはやってくれるの? やってくれるよね?」
胸倉を掴まれたまま、ノアは嬉しそうに両手を合わせた。銃口を向けられたサクラは、怯むことなくため息をついただけだった。
「ロシアンルーレットなんですよね? 撃つ前に、シリンダーを回転させてください」
「お、売られた喧嘩は買う主義?」
「貴女達と一緒にしないでください。たまかさんと脱出するのに、言葉で説得するより早いかと思っただけです」
サクラはぐるぐると巻いたピアノ線を持ったまま、ピンと指を立てた。
「こうしましょう。『ラビット』の御二方、次に『ブルー』の御二方、最後に『レッド』の二人が順番に引き金を引くんです。もうそちらの方は引きましたから、次は『ラビット』の他の方が引いてください」
早く終わらせて怪我人を連れていかないとなのでさっさとしてくださいね、と付け加えられる。銃を向けられても微塵も恐怖に震える様子はなく、それどころか既に『不可侵の医師団』の者達を連れていく算段をしているらしかった。ちなみにロシアンルーレットを毎回シリンダーを回転させて行う場合、先に挑戦するほど不利に、そして後になるほど弾が出る確率は低くなる。しかしそれを指摘する者などいない。サクラの言葉に、ノアが嬉々としてソラから拳銃を取り上げた。
「わーい、次もボクがやる~」
シリンダーを回転させると、躊躇いなしに自身の頭へと銃口を近づけ、黒いレースに包まれた指を動かした。笑んだままのノアの頭から血が咲き乱れることはなく、軽い音が鳴っただけだった。
「はい、キミの番」
「……なんで巻き込まれてるわけ?」
シリンダーを回し差し出された拳銃を、ソラは忌々し気に見下ろした。乱雑に引っ手繰ると、銃口を目の前のノアに向けた。
「誰が素直に遊んでやるかよ!」
ソラの人差し指が動いた。引き金が引かれるが、不発だった。びっくりしたような表情の目の前の少女には、新しい傷一つつかなかった。舌打ちをし、続けて発砲をしようと指を動かす——しかし、シリンダーを回す前に、ソラの指はピタリと止まった。
玄関の方から、どたどたと騒がしい足音がきこえてきたためだった。ソラが警戒するようにすぐさま扉へと顔を向けた。遅れてノアがきょとんとしながら後に続く。ミナミやサクラ、アカリ、アカネも突然の不審な音に警戒心を滲ませ、各々玄関へと続く室内の扉へと意識を向けていた。蹲っていたナナさえも、目線だけを扉へとあげていた。
(もしかして、『ラビット』の応援ですか? だとしたら、脱出がより難しくなってしまいます……!)
たまかは絶望に顔を染めた。『ブルー』や『レッド』の者達がいるとはいえ、流石に大人数を相手取っては分が悪いだろう。部屋の三組織の者達、そしてたまかの視線を一身に浴びていた扉は、時間をあけずに乱暴に開け放たれた。三人の少女達が雪崩れ込み、銃を構えながら部屋へと広がる。訓練された、キビキビとした無駄のない動きだった。——彼女達は、黒白のフリルとレースに身を包んではいなかった。
「えっ?」
たまかは思わず声をあげた。『ブルー』の長い袖と太い帯も、『レッド』のふんわりと広がる生地も見当たらなかった。彼女達は、グレーカラーの無地のスーツに身を包んでいた。臙脂色のネクタイはしっかりと首元で結ばれ、くるぶしまであるパンツの下はヒールのある黒いパンプスが見えていた。三組織の、どこの制服でもなかった。三人の髪型は統一されたように、後ろで一つに結ばれている。三組織の制服のように飾り気がないが、しかし三人とも同じ格好をしていることからして、少女達も何処かしらの組織に属する者なのだろう。
三人は銃を部屋の少女達へと向けつつ、すぐさまに発砲することはなかった。
「なるほど。……あんた達、財団の奴らだね?」
三人を警戒するように視界に捉えたまま、構えた体勢でアカネが呟いた。確信したような声色だった。たまかはアカネの言葉にはっとして、改めて乱入者達を見渡した。
(えっ、財団……? でも確かに、三組織ではない組織で、『ラビット』の本拠地に乗り込める程の力を持っており、そして乗り込む理由がある組織って、自ずと絞られてきます)
そんな組織は、ほぼほぼ一つしかない。
……たまかをなりふり構わず求めてきた存在。その組織の人間が、今、目の前に現れたのだ。
たまかはきゅっと拳を握った。未だに財団は謎が多く、蘇生の話などわけの分からないままの事も多い。警戒するに越したことはないだろう。
スーツ姿の少女達は、誰一人としてアカネの問いかけに返事をしなかった。三人とも両腕をピンと伸ばし、部屋にいる少女達をいつでも撃てるように銃口を向けていた。
(ソラさんやミナミさんが無闇に襲い掛からないことからして、相手方は戦闘については手練れのようですね)
『ブルー』の二人も、他の者達同様息を潜めて乱入者達の動向を窺っている。あの二人が無闇矢鱈に手を出さないということは、それだけ戦闘慣れしている相手だということなのだろう。たまかには見た目や動きだけで判別は難しいが、体術に優れ、幾度となく戦闘を繰り返してきた者達にとっては、相手の動きを見るだけでわかることがあるはずだ。
乱入者達は銃を構え、三組織の者達は相手の動向に目を光らせながら各々構えている。隙を見て武器を手にしたい、隙を見て殴りかかりたい、そういう思惑が少女達にはあったが、捉えて離さない銃口がそれを良しとしない。誰も何も言わず、チャンスを窺い続ける。膠着状態となっていた。
たまかも銃口に目を奪われながら、どうすればいいのかと考えあぐねていた。
(財団の人、ということは……やはり、私の身柄が目的なのでしょうか?)
……ならば、余計な負傷者を出さないために、ここは大人しく名乗り出た方が良いのではないか。
そういう気持ちもあり、しかし財団に身柄を捕らえられれば確実に殺されるだろうという恐怖もあった。足が竦み、ごくりと唾を呑み込む。でも、誰かがこれ以上目の前で傷つくのは……!
「お前達は愚かだった」
葛藤するたまかを他所に、沈黙を破ったのは乱入者の方だった。皺ひとつないグレーのスーツに身を包んだ少女が、厳かに言葉を放った。
「九十九たまかの身を差し出せば、お前達の借金は消えたというのに」
三組織に所属する少女達は、誰も口を開かなかった。スーツ姿の少女が、冷めた眼差しと共に淡々と吐き捨てる。
「お前達には失望した。役立たずどもめが。地獄で反省するんだな」




