第45話
木製の素朴ながらもしっかりとしたクリームベージュの額縁の中。木製の小物入れの屋上、白いレースの敷かれた上に、二つの写真が並んでいた。たまかは吸い寄せられるように前まで来ると中腰になり、その一つにじっと顔を近づけた。幼いながらも姫月の面影のある少女が、上品なワンピースに身を包んで立っている。その隣に映るのは、見たことのない男性だった。四十代くらいだろうか。スーツ姿で、厳格な顔つきをしていた。しかし、目元と口元が姫月に似ているように感じた。
(もしかして、お父さんでしょうか。これ、家族写真ですか? ……ってことはもしかして、この部屋の主って……)
思わず部屋を再度見渡した。木製のアンティーク調の振り子付き掛け時計、素朴ながらも皺のないシルクの包むベッド、ブランド品らしいテーブルと椅子。飾りっ気のないシンプルな装飾ながらもその素材に拘り抜き、おしゃれなあしらいが方々に散っているインテリアは、確かに姫月好みに思えた。たまかは再度写真を見下ろした。
(……家族写真なのに、お二人とも笑顔じゃありませんね)
幼い姫月はこちらに一種の諦めの視線を向けており、その横の男性も厳めしい顔付きをしている。ふくよかながたい、白髪交じりの髪と髭。高圧的で、近寄りがたいオーラが写真越しにも伝わった。
(ん? この写真の背景って……)
姫月と父親らしき人物に目線を奪われていたが、よく見ると二人の並ぶ後ろには白い建物が写っていた。画角からいって、かなり巨大な建物のようだった。大きな建物といえば『ブルー』や『レッド』の組織がすぐに思い浮かぶが、どちらの建物でもなかった。たまかは実際に赴いているため、判別を確実にすることが出来る。
小さく建物の名前が写っていた。辛うじて、『財』と『団』の文字を読み取ったたまかは、思わず口元を手で抑えた。
(えっ、ここ、もしかして財団ですか? 私を欲しているという、あの?)
二人の後ろに広がる大きな旧式の建物は、一角のみが写っていて、全貌は掴めなかった。白い壁は汚れや傷から所々年季が入っているのが透けている。見えている自動ドアも前時代的なものだった。その奥には観葉植物が鉢植えの上に高々に収まっている。
前回、『ラビット』を訪れた時を思い起こす。あの時は、姫月へと尋ね事をして欲しいという林檎の命を受けてやってきていた。そう、財団に関することである。
(林檎さんが訊くということは、必然的に姫月さんの方が財団に詳しいということだろうとは思っていましたが……。もしかして姫月さん、財団の関係者なのでしょうか)
それも末端ではない、家族写真を財団の敷地内で撮るような身。だからこそ、林檎も姫月の意見を欲していたのではないだろうか。
(ですがあの時意見を頂いた時も、この写真の中の姫月さんも、どちらも嫌な顔をされています。あんまり財団とはいい関係ではないんですかね)
だとすれば、姫月がたまかの身を財団に渡さないのにも頷ける気がした。完全な財団の側の人間であるなら、迷うことなくたまかを財団へと送っていたはずである。
写真に釘付けになっていたたまかは、そこではっとして現実に引き戻された。本来の目的を思い出す。
……いや、考えるのは後です。
姿勢を戻しかけ、ふと凝視していた写真から、横へと視線をスライドした。仲良く並んだ写真立ての、もう一方へと不意に目線が動いたとき、動こうとしていた身体は完全に固まってしまった。
(……え!?)
目の前の光景に脳が追いつかず、瞬きをいくつか挟む。新たに視界に映りこんだ写真に吸い寄せられた目は、どうしても他へと動かすことが出来なかった。
(この写真……。……合成……?)
クリームベージュの額縁の中には、三人の少女が写っていた。隣の写真とは異なり、こちらは眩しい笑顔だった。財団で撮った家族写真より成長しているが、今より若干あどけなさが残っている。現在と同じ桃色と紫色のメッシュの入った長い二つ結びを靡かせ、満面の笑みでカメラにピースを向ける姫月。見慣れたフリルとレースとリボンはなく、シックなセーラー服姿だった。その横には、敵組織のトップであるはずの、林檎の姿があった。紅色の内巻きの髪とその後ろに伸びた長い髪の先を靡かせ、口元に上品に手を当てて、幼い笑みを浮かべている。横の少女達の行動に呆れ混じり、と言った様子だが、その瞳には間違いなく友愛の情が宿っていた。その二人を抱くようにして、同じく敵組織の長であるはずの水面が、花が綻ぶような笑みを咲かせている。明るい瑠璃色のインナーカラーを艶めかせ、セミロングの紺色の髪が舞い上がっている。彼女の恐れさえ感じさせる、獲物を狙う豹のように研ぎ澄まされた目は鳴りを潜めており、心の底からの笑みを浮かべて楽しそうにしている姿が躍動的に写し出されていた。彼女はカメラへ、というより、腕の中の二人へ笑い掛けているようだった。何も知らない人間が見たら、幸せそうな親友三人が写る、最高の瞬間の写真と認識するだろう。
しかし、たまかは異なる。三人の立場だって、事情だって知っている。混乱する頭を必死に回転させ、目の前の写真を理解しようと努めた。しかし浮かび上がるのは、疑問ばかりだった。
(この写真、一体なんですか? そもそも、お互い悪態ばかりついていた御三方が、一緒にいるところなんて想像つきません。仮にこれが合成だとして、なんでこんなものが姫月さんの部屋に……?)
この写真が現実だとすれば、このように笑い合う仲だった三人が敵対組織になっているとはとても思えない。つまりこれは紛い物であり、作り物。所謂、合成写真である可能性が高いことになる。
(そんなものを作って、姫月さんに一体何のメリットが?)
確かにこの写真が世に出回れば、全ての者を震撼させるであろうことは間違いない。三組織でないたまかだって度肝を抜かしたのだ、三組織に関係する者が見れば目を回すであろうことは容易に想像できる。
(もしかしてこの写真って、姫月さんにとっての切り札なのでしょうか? 他組織を混乱させて、戦意を喪失させるための)
答えを求めるように、じっと写真を見つめる。もちろん、写真は答えない。ただ、写真の中の三人は、眩しい笑顔でたまかを見つめ返していた。とても、合成とは思えないくらいの。
(……いえ、意味不明な写真に気を取られている暇はないんでした)
たまかは完全に背筋を伸ばし、中腰を解いた。『不可侵の医師団』の者を見つけるために、他の部屋も探さなければならない。
部屋を後にしかけ、最後にもう一度だけ、後ろ髪を引かれるように写真へと振り返った。破顔する三人の少女は、無言でたまかを見つめ返している。
(姫月さんはあの紛い物を、一体どんな気持ちで日々眺めているんでしょうか)
現実であって欲しいと願わずにはいられない程の、少女達の平和な青春の光景。しかし現実は、命を奪い合う敵対組織の頂点に立つ者同士。お互い憎み合い、日々そのタマを狙い合っているはずである。
こちらに集う愛らしい瞳達から視線を逸らし、たまかは今度こそ部屋を出て行った。静かに扉を閉め、玄関で純白のリボンのつく真っ白い靴を履きなおす。外へ出ると、マスターキーを差し込んで逆方向に回した。
隣の扉へ向かい、先程と同じ様に三回ノックをする。中から返事がないのを確認し、マスターキーを錠前へと入れて回した。中を確認すると、姫月の部屋同様、人の気配はなく留守のようだった。一応奥の部屋へと入って、監禁されている人がいないか確認をする。隣の部屋と同じく、ここももぬけの殻だった。恐れていた相手がいないことに内心緊張を緩め、桃色に染まった部屋を後にした。
そのような地道な確認作業を、扉の数だけ繰り返していった。中には部屋にいる者も一定数いたが、彼女達は揃って珍しい制服姿に好奇の目線を送った。誘拐の情報を得ようと聞き込みをするものの、誰も情報を持ってはいなかった。たまかを知る者もいて、彼女達からはなんとか逃げ出す羽目になった。
その間も、頭の中はまだ姫月の部屋で見た写真の衝撃から抜け出せずにいた。地に足のついていない気分に叱責を入れながら、足と手、目を素早く動かす。時間が経つ分、誘拐された者の心身的負担も増しているはずだ。一刻も早く見つけなければならない。
幾度繰り返したかわからない。一階と二階を確認し終わり、三階を確認している時だった。これまで通りノックをして不在を確認して扉を開けたあと、奥で人影が動いたのが見えた。居留守自体はこのご時世別に悪いことではないし、珍しいことでもないだろう。たまかはそう思い、声を大きくして投げかけた。
「すみません、失礼します。人を探しているんです。入ってもいいでしょうか?」
返事はなかった。たまかは少し躊躇したあと、靴を脱ぎ、廊下へと上がった。
「すみません、お邪魔します。人命が係っているんです。『不可侵の医師団』の……」
たまかは言い掛けていた言葉を途中で飲み込んだ。血の匂いが、鼻をつんと過ったからだった。
(! 『当たり』、ですか……!)




