第34話
姫月は片眉を跳ね上げた。微塵も予想していなかった話題だったらしく、そのマスカラのたっぷり塗られた長い睫毛をパチパチと瞬かせた。
「襲撃? 『不可侵の医師団』を? ……いつの話?」
水面や林檎の時同様、まるで覚えがないというように、たまかの言葉を繰り返した。どうやら、初耳のようだった。
「数日前です。……その様子、姫月さんは御存じなかったのですか」
「そんな話、全くきいてないよ。うちが指示したものでもない。……うちは『ラビット』の子達の行動を全て把握しているわけじゃないけど、少なくともここ最近の『ラビット』内では、誰もそんなこと話してなかったよ。『ラビット』がやったものではないんじゃないかな」
「そうですか……」
(これで、三組織すべての長が否定したことになりますね。つまり……どこかが、嘘をついている?)
たまかは俯き、険しい顔をした。らんとすずの顔が脳裏に過り、ひざの上に置いた両の拳をきゅっと握った。
ちらりと姫月の顔を盗み見た。彼女は何かしら考え込んでいるようだった。
「そんな情報、どこにも出てないけどね。あんたの虚言とかじゃなくて、マジなんだよね?」
「嘘だったらどれ程良かったことか……ですが、事実です」
「気を悪くさせたならごめん。……うーん、『ブルー』とかじゃないかな? 一番やりそうなのはあいつらだと思うけど」
姫月なりに考え抜いたらしい結論は、らんの言葉と同じものだった。しかし、水面の様子からしてどうにも『ブルー』の仕業には思えない。それは林檎も同じ考えのようだった。
「でも『ブルー』なら情報規制にまで頭を回すとは思えないかあ。……じゃあ、『レッド』と『ブルー』が手を組んでいる線は?」
「え?」
予想外の説に、たまかは目を丸くした。
「実行犯が『ブルー』で、その尻拭いをしているのが『レッド』って可能性だよ。どう?」
「……限りなくゼロに近い、と思います。そもそも水面さんが襲撃のことを本当に知らなそうでしたので、『ブルー』は噛んでいないかと」
「え、そうなの? わけわかんないな。朱宮がそんなこと指示するとはとても思えないし……」
姫月は腕を組んで唸った。
「……もしかして、マジで『ラビット』の仕業なのかな? あの子達、ついにうちに内緒で行動する楽しさを見出したのか?」
「……」
一転して自分の組織を疑い出した姫月に、「長ですよね?」とも「もう少し組織員を信用しては?」とも言えず、たまかは押し黙った。如何せん、『ラビット』は常識でははかれない集団である。姫月にもその自覚があって、相対的に見て他組織の長の行動や考えの方が根拠に値すると感じているのかもしれなかった。
しかし、水面も林檎も『ラビット』の仕業とは思えないと言っていた。姫月は可能性があると考えてはいるようだが、愉悦を共有しそうな『ラビット』内で『不可侵の医師団』の話が出ていないとなると、やはり『ラビット』が襲撃したとは考えにくいだろう。
どの組織も自分の組織の仕業ではないと言い、さらに他組織の仕業とも考えにくいと言う。自分がやったと豪語するでもなく、あの組織の仕業だと罪を擦り付けることもしない。とても、異質な状況に思えた。だからこそ、依然として『不可侵の医師団』の襲撃者達の尻尾は闇の中で、掴むことが出来ないでいる。
「まあ、うちも『ラビット』内を探っておくよ。今の段階じゃ、はっきりと答えられないかな」
「わかりました。……ありがとうございます」
『不可侵の医師団』の襲撃の件の話は、これで一区切りついた。姫月は、ソファから緩慢に腰を浮かし、立ち上がった。零れ落ちていた二つ結びの長い髪の毛が、まるで側近の兵士のように彼女の横へと戻っていく。パニエにより膨らんだ制服のスカートが、ふわりと揺れた。厚底を一度カツンと鳴らし、座ったままのたまかを見下ろした。
「おしゃべりはこんなところかな? さ、虹達に見つからないうちに、早く帰りな」
「え」
たまかはソファに身体を埋めたまま、目を瞬かせた。
「……このまま帰らせてくれるんですか?」
「あんたはあの性悪女に土産を渡さないとでしょ? 帰るまでがおつかいだよ。ここで引き留める意味もないし」
「いいんですか? ナナさん達を見る限り、『ラビット』は蘇生を一番求めている集団だと思っていましたが……それに、お金もいるんですよね? 私を財団に引き渡さないと、借金に潰されてしまうんじゃ」
姫月は、たまかの心配を他所に、一笑に付しただけだった。
「あんたに蘇生能力があるなんて、本気にしているわけがないでしょ? そんな夢物語、現実になってたら今頃毎日がハッピーじゃん」
毎日飴が降ってきて、甘い綿雲をお腹いっぱい食べて、空を思う存分飛べているはずだよ。
姫月は歌うようにそう続けた。どこよりも夢見がちな『ラビット』のリーダーは、意外にも誰よりも現実的なようだった。
「……でも、ナナさんやノアさんはそう思っていないようでしたよ? 蘇生の力を、喉から手が出る程欲しているようでした」
「あの子達はそうでしょうね、無邪気に蘇生の話が本当だと信じている。うちは本気にはしていないけど、あの子達が信じていることを否定する権利だってない。言っておくけど、あの子達があんたを捕まえて蘇生の力を使ってほしいとせがんでも、うちは助けないからね」
……だから、『虹達に見つからないうちに』帰れと言ったのか。たまかは腑に落ちたと同時に、姫月なりの『ラビット』の統治の仕方をある程度理解し始めた。彼女は『ラビット』の者達を、常識で押し付けたりはしない。自由に楽しさを探求させ、それを止めることもしない。楽しさを求める方法が、どんな手段であろうとも、だ。それが『ラビット』の長としてのやり方なのだろう。
「ナナさん達に捕まらないよう、注意しておきます。……では、お金の件は?」
「うーん、お金はどうしようかねえ……まだ考え中かな。いい案がない。でも、少なくともあんたを財団に差し出す気はないよ」
「どうしてですか?」
「『ラビット』の皆が悲しむからね。蘇生して貰いたかったのにーって。あんたと友達になりたいって子も多いし。だから、あんたを他に渡すことはしない」
あくまでも、『ラビット』のメンバーの気持ちを優先するらしい。お金がなくて、『ラビット』が潰れる心配などはないのだろうか。たまかは姫月の顔を窺ったが、彼女の顔には不安や心配が微塵も浮かんでいなかった。もう、心の中で決めたことなのだろう。もしくは、単に楽観的なのかもしれなかった。
たまかは姫月の意思が固まっていることを悟り、自身も立ち上がった。見下ろされる形だった二人の位置は逆転し、たまかより僅かに低い姫月の顔を改めて見つめた。彼女はお別れの前に何かを思いついたらしく、「あ」と声をあげた。
「そうだ。最後に少しいい?」
唐突に声を弾ませると、姫月はフリル塗れのスカートに手を突っ込み、掌より少し大きめの四角く薄い機械を取り出した。スマートフォンだった。
「あっ、それ知ってます。スマホって奴ですよね」
「そうそう。あんたも持ってる?」
「持ってるわけないじゃないですか、そんな高級品」
たまかはあくまでも一般人なのだ。『不可侵の医師団』に所属する、ただの医療従事者の一人。本来、こんなところにいる者でもない。庶民らしい貯金しかないたまかに、スマートフォンのような高級品は手が出せるわけがなかった。
姫月は機械を慣れた手つきで操作した。レース越しに反応するように設計されているらしく、指が忙しなく画面上を動く。彼女は上機嫌だった。
「一緒に写真撮ってくれない?」




