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抗争の狭間に揺れる白  作者: 小屋隅 南斎


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第113話

「んじゃ、私もこいつを『不可侵の医師団』に連れていく」

 二人の厚底の音が廊下の奥へきこえなくなった時、ソラはそう言ってカイの首から腕を解いた。一度大きく伸びをする。

「しっかし、『レッド』の長かあ……。お前、人を殴ることすら出来ないのにね」

 ソラはそう言って、たまかを見上げた。その顔は不満そうだ。

「力はすべてだ。何をしようが殴り殺せば動かなくなるし、どんなことを言おうが殴り殺せば皆黙る。結局、金も権力も正論も、全部力の前では無意味。自分の望むことをしたいのなら、強くなるしかない。……って、思ってたけど」

 ソラは弧を描くサイドテールの黒髪を跳ねながら、胡坐の上に頬杖をついた。

「……力って、腕っぷしだけじゃないのかもしれないね。初めて、そう思った」

 そう言う顔は、既に不服さが抜けていた。彼女の心のどこかで理念や常識が変わり、そしてたまかのことを僅かに認める余地が生まれたのかもしれなかった。すべては彼女の目に映る、新しい『レッド』の長のせいである。ソラの細められた瞳に、たまかはなんとなく友誼の情を垣間見た。

 ソラの拘束から解かれたカイは、それでも微動だにしていなかった。彼女の腹の上で、すやすやと眠っている猫のせいである。カイはその猫を起こさないように、一生懸命そのままの体勢を維持していた。

「カイ、行くよ」

 ソラがカイへと声を掛ける。カイは猫へと視線を向けたままだった。穏やかな眠り顔は、なんだか幸せそうだ。呼吸に合わせて身体が小さく動いている。カイはその様子を無言で見続けていた。見かねたミナミが小さくため息をつき、二枚歯を鳴らしてカイへと近づいた。

「てめえは『ブルー』の裏切り者だった。きっちりけじめはつけるべきだ」

 ミナミは長い袂を垂らし、両手を伸ばした。寝ている猫の腹の下へ入れると、ゆっくりと持ち上げる。

「ただし、てめえは敵組織の長を討ち取る偉大な成果をあげた。だからまあ、ある程度は処分を軽くするべきでもある」

 猫を片手で持ち直し、胸元で抱く。跳ねた群青色のショートカットの下、猫はその宝石のような瞳を開いたが、すぐに閉じた。新たな寝床を気に入ったようで、再び眠りにつく。ミナミは空いた手を腰にあて、胸を反った。

「最終的な判断は縹様がするだろう。とりあえず……それまで、こいつは『ブルー』預かりとする。いいな」

「……世話をして、くれるのですか?」

 カイは瞳に戸惑いを乗せて、そう言った。

「勘違いするな。こいつは人質だ。……人じゃないが」

 手元の柔らかな生き物を一瞥し、ミナミは厳しい口調のまま続けた。

「こいつのことが心配なら、足の治療が終わり次第、必ず『ブルー』へ帰ってこい。逃げるなよ。いいな」

「はい。……ありがとう、ございます……」

 カイは深く頭を下げた。体勢的に難しいようだったが、それは誠心誠意のお辞儀のようだった。やがて顔をあげたカイは、水面へとその顔の向きを変えた。水面は何も言わなかった。ただ、唇を結び、冷たい双眸でじっと見返した。カイは黙ったまま、小さく首を垂れた。言葉のない一礼には、彼女の真情が込められているように感じた。そして、撃たれていない方の膝を立たせ、立ち上がろうとした。ソラが肩を貸す。ソラの手を借りたカイは、その両足で緩慢に、しかししっかりと立ち上がった。そして、背を向ける。二人はゆっくりとした足取りで、部屋を出て行った。

 二人の姿が消えた後、ミナミはたまかを振り返った。二枚歯をかたんと鳴らす。

「……てめえには感謝してる。縹様が撃たれそうになった時、てめえの顔を見て突入の合図を計れたんだ。少しでも遅かったらと思うと……ぞっとする」

 ミナミは水面の怪我だらけの身体を見て、僅かに眉を下げた。そして、改めてたまかへと向き直る。

「てめえを信じて良かった。……ありがとう。……まさかてめえがこれから敵になるとはな」

「……敵じゃありませんよ。組織が違うだけです。必ず近いうちに、手を取り合う未来がきます」

 強い意志を宿すたまかの瞳に、ミナミは八重歯を見せて小さく笑った。

「やっぱ、てめえは『ブルー』向きの性格だな」

 胸の中の猫を一撫でし、ミナミは水面へと視線を移した。

「それじゃ、もう行く。あっしは縹様を『不可侵の医師団』へ……」

「待ってください」

 たまかの制止の声に、ミナミは目を瞬かせた。

「なんだ?」

「水面さんを『不可侵の医師団』へ連れて行くのは……姫月さんに任せて貰えませんか?」

 ミナミはたまかの提案に呆けた。そして理解出来ないというように顔を歪め、猫を抱えたまま身を乗り出す。

「な、なに言ってるんだ? そんなの……」

「大丈夫。……私を信じてください」

 たまかは全く動じていなかった。近くなったミナミの顔へ、笑みを浮かべたままだ。ミナミは躊躇いを滲ませたが、やがて渋々と顔を離した。

「…………わかった。縹様に何かあったら、てめえの命はないからな」

「わかっています」

 不本意だと顔に貼り付けていたが、ミナミはたまかの提案を承諾した。水面へ向かって一礼すると、ミナミは猫を抱えたまま部屋を出て行った。


「……そういえば、姫月さん」

 場には『ブルー』と『ラビット』、そして『レッド』の長だけが残されていた。たまかは姫月へと、気になっていたことを尋ねた。

「パスワードの二月二十九日って……何かの記念日だったんですか?」

「いんや? 全然」

「え?」

 思ってもいなかった返答に、たまかはあんぐりと口を開けた。

「ただ……あいつならこれをパスワードにするだろうって、そう思っただけ」

 もうこの部屋にいない男を思い起こしながら、姫月は声を落としてそう言った。姫月の父親は姫月に全く関心が無かったようだが、姫月はきちんと父親のことを見続けていた。一人娘の幼いころからの父親への執心は、実を結びはしなかったが、決して裏切りはしなかった。

「たまか」

 姫月は、短くたまかの名前を呼んだ。

「ありがとう。あんたのお陰で、うちは正しい選択をすることが出来た」

 水面という友人を選択したのは、姫月自身だ。たまかは小さく首を横に振った。

「……資料とノートパソコンを入れられるものを用意してくるよ。ちょっと待ってて」

 姫月は淡く笑みを浮かべながら、ひらりと片手を振った。言葉通りたまか達に背を向け、のんびりとした足取りで厚底を鳴らす。黒と白のフリルの塊は、部屋を出て行き廊下の奥へと消えた。

 たまかは水面へと近づいた。彼女は支えを失い、床に腰をおろしていた。刃が刺さったままの足、血で染まる脇腹。しかしもう息遣いは荒々しいものではなかった。たまかは水面の前でしゃがみ込むと、自身のスカートのポケットから、封筒を取り出した。目の前の少女へと差し出す。

「……これは?」

「林檎さんから、水面さんに宛てた手紙です」

「……え、本気で言ってる?」

 水面の戸惑いは、旧友からの手紙に向けられたものではなかった。差し出された白の包みのほとんどが、雨でぐしょぐしょに濡れそぼっていたからだった。

「よ、読めるかな、これ……」

 水面は苦い顔で封筒を見下ろしたあと、片手でそれを受け取った。上部分を口に含み、思いっきり破る。水を含んだ紙は、乾いた音を立てなかった。ぼろぼろの切れ端を吐き捨て、中の便箋を口に咥えて抜き出した。彼女の脇腹を支える手は指があらぬ方向に曲がっていて、使えないのだろう。抜き出された手紙も、封筒同様、ほとんどが濡れてべしゃべしゃになっていた。くっついてしまった紙面は、開くのにも手間取る程だった。やっとのことで破らずに開くと、水面はそのボロボロの紙面へ視線を落とした。その瞳は、長い間恋焦がれてきた旧友との会話への期待が滲んでいた。

「…………」

 水面は手紙を、すぐに読み終えた。そして、もう一度読み込んだ。読み終わると、最後にもう一度だけ、初めから終わりまで視線を走らせた。

「……はあ」

 彼女はため息をつくと、あろうことかその手紙を放った。水を吸った手紙は、たまかの横へと真っ直ぐに飛んで着地した。気を遣って読まないようにしていたたまかからも、床に落ちたせいでその文面が見えてしまった。

「え……」

 手紙が濡れて文が読めるかの心配は不要だった。なぜなら便箋の真ん中に、たった一文しか綴られていなかったからだ。周りはほとんどふやけて皺だらけだったが、中央の部分は幸い濡れていなかった。

『あなたなんて大嫌い』

 短い、簡潔な一文だった。水面は落ちた手紙に視線を向けた。

「馬鹿だよな、お前」

 くしゃりと顔を歪める。

「それで、あたしがお前のこと忘れたり嫌いになったりするわけないのに」

 たまかは自身の持っていた疑惑に確信を持った。……やっぱり、林檎は人の気持ちを汲むのが下手くそだ。水面が前を向けるように書かれた文面が、まるで意味をなさないことに、彼女は気付かなかったのだから。

「……たまか」

 水面は捨てた手紙のことはもう忘れたと言わんばかりに、紙切れから顔をあげた。

「お前、『レッド』の新しい長になったんだろ?」

「はい」

「きっと、辛いことも悲しいことも沢山あるぞ。責任も、重圧も。お前が降りたいというなら、あたしが協力してやってもいい。……どうする?」

 それは思い掛けない申し出だった。水面はじっとたまかを見つめていた。たまかの答えを待つその顔は、探るような、しかしどこか答えを既に知っているかのような色をしていた。

 たまかはゆっくりと首を横に振った。

「……私は、林檎さんの遺志を継ぎます。やれるところまでやってみたいんです」

 窓の外で雲間の切れ目から、陽が差し込んでいた。水滴が落ちるガラス片の割れ目を縫って、光が水溜まりの残る床を照らしていた。その明かりは、たまかの瞳に映って輝きを放つ。

「誰も傷つかない、理想の世界を見てみたいんです」

 ポポや林檎のような犠牲の出ない、そんな世界を。

 水面は僅かに口元を緩めた。普段は研ぎ澄まされた鋭さを放つ瞳を、今は穏やかな色に変えている。そしてその瞳は、緩慢に閉じられた。

「そうか」

 短い返答は、とても満足そうだった。ミナミの言うような『ブルー向きの性格』ゆえの返答だったからなのか、はたまた旧友の後継として相応しい回答だと思ったからなのか。心中はわからなかったが、彼女は予測していた答えをたまかの口からきけて、どこか嬉しそうだった。

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