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抗争の狭間に揺れる白  作者: 小屋隅 南斎


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第107話

 ……何処かで、きいた言葉だ。そう、確か三者会談で耳にしたのだ。それに該当する生物を、たまか、水面、林檎、そして姫月は知っているはずだった。

「ああ…………、猫さん!」

 たまかは叫んだ。……そうだ。猫は、財団にとって、重要な意味を持つはずだった。だからこそ、執拗に追いかけられていたのだ。

「猫、さん?」

 横でミナミが、首を傾げた。その半笑いは、ついにおかしくなったかと懸念しているようだった。たまかは横へと勢い良く振り向いた。

「そう、猫さんです。……財団が追っていた、猫さん。私を通して、執拗に追いかけられていた、猫さん。財団にとって重要な意味を持つ、猫さん!」

 たまかは頷いて、人差し指を天へと立たせ、身を乗り出した。

「猫さんが——きっと生体認証に使われている相手ですよ!」

 それなら、財団が血眼になって追いかけまわしていたのも頷ける。

「でもさ、その猫……最初、殺されかけていたんでしょ? その後だって、財団は猫を殺そうとしてた。生体認証の鍵に使っていたら、普通逆じゃない? 保護して大事にするんじゃ?」

 姫月がミナミの奥から顔を出し、難しい顔をしながらそう言った。たまかはその言葉に、壁を見上げて口を開いた。

「もしかすると、姫月さんのお父さんは……この部屋を、開かずの間にしたかったんじゃないですか?」

「開かずの間?」

「そうです。猫さんを生体認証に使っていて、その猫さんが死んでしまった場合、この部屋を開けることは出来なくなります。するとこの部屋の中にあるものはすべて、誰の目にも触れられることがなくなる。それを狙っていたんじゃないですか?」

「要は、この部屋の中身を封印したかったってわけか」

 ミナミはそう言って、横のたまかに倣って壁を見上げた。

「……なるほどね。それで猫を殺そうとしたら……その瀕死の猫があんたに治療されちゃったわけだ。そりゃ必死に行方を探すわけだよ」

 姫月がレースに包まれた手を、そっと壁へと当てた。ゆっくりと壁に這わせて下ろす。

「それで……、その猫は、今何処にいるの?」

 手を引っ込めると同時に、姫月はたまかを振り向いた。それこそが重要だと言わんばかりに。

「……。振り出しに戻っちゃいましたね」

 たまかは苦笑いを浮かべ、視線を逸らした。

「実は、猫さんの行方は、掴めていないんです……」

「え、でも……林檎と一緒に見つけたんでしょ?」

「その後、林檎さんが撃たれた時に見失ってしまって……。逃げおおせてくれていると信じていますが、最悪、財団によって……」

 最後は声を潜め、暗く言葉尻を濁した。姫月とミナミはやるせない顔で、再び壁を見上げた。

「え、じゃあ……この部屋を開くことは、不可能?」

「……」

 目の前にあるはずの隠し部屋を隔てた一枚の壁は、実際の厚さよりもはるかに途方もないくらい強大に、たまか達の前に立ちはだかっていた。

「そんな……」

 姫月の悲しさの滲む声が、小さく部屋に消えていった。壁は諦めきれない少女達の視線を、欲しいがままにしていた。

「いや」

 弱くなった雨の音だけが響く部屋に、通る声が響いた。三人は振り返り、横たわる水面へ視線を下ろした。

「まだ諦めるには早いぞ」

 彼女は満身創痍の身体で、笑みを浮かべていた。彼女の顔には、まだ希望が宿っていた。

「猫が鍵なんだろ? だったらきっと……カイが行方を知ってる。そうだろ?」

 水面は、ソラに捕まったままのカイへと視線を投げた。たまか、ミナミ、姫月、ソラの注目は、一気に財団のスパイへと集まった。

「……」

 止血処置の施された足へ視線を下ろしたカイは、何も言わずに口を噤んでいた。水面は構わず続けた。

「カイは小動物が好きなんだ。こいつに猫を殺すなんて、無理な話さ」

 水面は確かにそう言っていた。カイは甘いものが嫌いであり、辛いものが苦手であり、音楽が好きであり、そして、小動物が好きであると。

「林檎と一緒にたまかを殺さなかったのは、単に殺す余裕がなかったんじゃないか? ……猫を捕まえていたから」

 水面は自身の腕を持ち上げ、冷や汗を拭うように額へと乗せた。

「どうなんだ?」

「……」

 抑えた前髪のせいでクリアになった水面の視界は、唇を強く結んだカイの顔がよく見えていた。水面は静かに、カイの言葉を待った。部屋の者達も、ただひたすらに、カイへと視線を向けていた。

「……」

 やがて、ソラの腕の中で、小さいため息が零れた。

「縹様には……敵いません」

 カイの言葉は、とてもとても小さかった。それからカイは、顔をあげた。しとしとと降る雨を、割れた窓ガラス越しにぼんやりと見つめた。

「私は任務で『ブルー』に入りました。『ブルー』は……財団とは全く異なっていた」

 それは、自身が財団のスパイであると自白しているようなものだった。

「財団では、同僚は蹴落とす対象でしかありませんでした。上司はゴマすりの対象、部下は使えない駒でしかなかった。でも、『ブルー』は違いました。皆が、『家族』だった……」

 カイは『ブルー』での日々を思い起こすかのように、柔らかな声色でそう言った。

「私は、一日でも長く『ブルー』にいたかった。任務先で粛清対象であるはずの『ブルー』に、私は心地よさを感じてしまっていたんです。だからどうしても……どうしても私がスパイだと気付かれるわけにはいかなかった」

 だから、『不可侵の医師団』襲撃事件の犯人に辿り着いていた林檎を、殺すしかなかった。

「たまかさんも殺さなかった理由は……たまかさんの護衛に失敗して『ブルー』に居られなくなるのを避けるため、というのももちろんありましたが……縹様の言う通りです。私は猫を捕まえていたため、たまかさんを撃つ余裕がなかったのです。たまかさんの意識が死んだ朱宮に向いている間、私は猫を捕らえ、然るべき場所へ隠していました」

「え……!」

 たまかが、思わず声を漏らした。

「朱宮とたまかさんを『レッド』に運んだあと、私は猫を入れたケージを回収し、財団へと運びました。そして『ブルー』の皆さんの元へ向かい、いつものように縹様に報告をしました」

「つまり……猫はこの建物にいるの?」

 逸る気持ちを抑えるような声色で、姫月が問いかける。カイは小さく頷いた。顎が袖越しにソラの腕に当たり、首はほとんど動いていなかった。

「二階の奥の部屋に、空き部屋があります」

 カイは瞳を伏せた。

「そこの右の机の下に、隠してあります。財団からも隠す必要があったので、二重の箱の中です。大きな白い箱を探してください。……これは、良くしてくれた『ブルー』の皆さんへの恩返しです。……傲慢と思われるかもしれませんが」

 皮肉めいた最後の言葉は、自虐の笑みが混じっていた。ミナミは「あっしが行く!」と叫ぶと、その二枚歯を鳴らし、風を切るように長く垂れた袂をなびかせた。部屋を飛び出し、二枚歯の音が徐々に遠くなっていった。

「……それを言うなら、あたし達にじゃなくて、そこのたまかへの恩返しだろ」

 水面は腕を自身の両目の上へと下ろし、視界を隠しながらそう言った。

「お前が今死んでいないのは、たまかのお陰だ」

「いえ……その私も、カイさんが殺さずに生かしたからこそここにいるわけですから」

(……結局、全部巡り巡って還ってくるものなのかもしれませんね)

 カイを生かしていなければ、猫の居場所を把握することは出来なかった。そう考えると、随分と細い綱を渡ってきたものだ。針の穴を通すような選択の連続で、たまかは今ここに立っている。

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