表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
抗争の狭間に揺れる白  作者: 小屋隅 南斎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

105/115

第105話

 室内には、打ち付ける雨の音が響いていた。カイの叫び声の余韻が消えた頃、水面は一度、豹のような瞳を閉じた。窓の遠くが白く光る。そして水面は、ずっと沈黙を貫いてきた重い口を開いた。その口調は、場にそぐわない程穏やかだった。

「……お前は、甘いものが嫌いだよな。あたしと、おんなじだ。辛いものも苦手だ、そこは、あたしと違う……」

「……え……」

「それから、お前は、音楽が好きだ。小動物も、好きだ」

 突然の水面の言葉に、カイは戸惑ったようにそのベリーショートを揺らした。

「あたしにとって、『ブルー』の皆は、家族なんだ。それくらい、わかる……家族なんだから」

 水面は瞳を薄く開いた。自身から滴り落ちて床に出来た血だまりに、視線を下ろした。

「二十一号通り。あそこには、ペットショップがある。お前は任務が終わると、遠回りになろうが、いつもあそこを通って帰ってきていただろ……。お前はこの国唯一の、ペットショップの前を通って、その中にいる犬や猫やうさぎを見ることを、日々の楽しみにしていたんだ……」

 ペットショップは、『動物愛護保護団体』という小規模組織が経営している。水面の言う通り、この国唯一のペットショップだ。

「なのに、最近は、そこを通って帰ることが、減った。日々の楽しみだったはずなのに……お前は、違う道を通って、帰ってきていた。その道には、いつも人がいた。お前は、その道で誰かと、会っているようだった。あたしは、それはお前の友達なんだと、そう思っていた」

 カイはその両の瞳を見開いた。

「それと、お前は、お気に入りの曲があった。『時計台の果て』って曲が、好きだろ? そればっかりきいていたはずなのに、最近は、イヤホンを付けたまま、再生画面に他の曲が表示されたり、曲を流していないことが、嫌に増えた……。あたしは、聞き飽きたのかって、思ってたけど。……全部、見てたよ。お前のことは、ずっと、見てた」

 水面は途切れ途切れに、そう言った。

「あの友達は……財団の奴、だったんだな。イヤホンは……財団の指示を、きいていたんだな。……そうだろ? 違うか?」

 カイはその顔を歪めた。絶望に染まった顔だった。

「……たまかを、放せ」

「~~~っ」

 水面の地の底から鳴り響くような声色は、明確に敵意を持っていた。凄んだ両目は、標的の獲物を前に捉えた、肉食獣のそれだった。カイは泣きそうな顔をし、その口を力の限り開いて、叫んだ。

「こいつが……財団のスパイなんです。縹様が信じないなら……私が殺します!」

 カイの人差し指が、動いた。引き金が引かれる。ミナミ、ソラ、姫月、水面——四人の瞳が、衝撃に揺れた。部屋の空気が一瞬にして止まった。雷が近くで落ち、激しい明滅の後、轟音が鳴り響いた。

 轟音に埋もれた銃から響いた音は、空虚だった。カチン、と空回りした音が、小さく乾いて漏れた。それだけだった。銃声も、銃弾も、硝煙も、何も出なかった。たまかの頭は西瓜のように割られることはなく、薄桃色のさらさらとした髪を内巻きに跳ね上げ、彼女の顔を彩ったままだった。カイはもう一度引き金を引いた。結果は同じだった。カイの持つ銃は、細工を施されていたのだ。

「この銃を用意したのは——、……イロハ様か!」

 カイは状況を察し、舌打ちをしそうな勢いで、口元を歪めた。

 それを認めたミナミの行動は早かった。彼女はその二枚歯を鳴らし、瞬時にカイとたまかへと接近した。たまかを素早く抱き寄せると、カイを力の限り突き飛ばした。伸ばされた長く垂れた袂が、緻密な模様を揺らしていた。カイの薄い身体は、地面へと思い切り叩きつけられた。走る勢いとミナミの力の限りを乗せたその衝撃をもろに受けたカイは、すぐに立ち上がることが出来なかった。衝撃に震えるその身体へ、銃口が突き付けられる。その銃を持つ手は、水面のものだった。たまかはその顔を驚愕に染め、ミナミに抱えられたまま止めるように手を伸ばした。

「林檎を殺した報いを受けろ」

「駄目…………っ」

 たまかの制止の声も虚しく、銃声が響いた。部屋を劈くような、でも雷の音ではない。水面の銃から硝煙が立ち上り、辺りに赤が飛び散った。

「え……」

 たまかはミナミから半分身を乗り出したままの姿勢で、固まった。ミナミとソラ、そして姫月も、その光景に茫然としていた。

 倒れたままのカイは、水面の銃によって撃たれていた。……その右足、重要な血管や腱を避けた場所を。

「本来なら……ここで撃ち殺すべきだ。林檎のことだって、許すことなんて、絶対に出来ない」

 水面は肩で息をしながら、たまかへと振り返った。そしてその口角を、僅かにあげた。

「でも……真実を明らかにしてくれたお前に敬服して、致命傷は避けた。殺したい、殺したい程憎いけど……でもお前は、殺すのを嫌がるだろ?」

 水面の顔を、怪我による冷や汗が伝って落ちていった。彼女は、目を細めてたまかを見つめた。たまかは半泣きのまま、ゆっくりと笑みを咲かせた。

 苦痛の声を漏らすカイの首へ、腕が回された。力は手加減されているが、決して逃がすことのないように囲っている。その腕は、ソラのものだった。

「なんでお前もそこのおっさんも、弱いくせに変なことしようとするわけ? 縹様に歯向かうなら、せめてもう少し強くなりなさいよ」

 ソラは理解出来ないとばかりに、呆れ混じりに吐き捨てた。最後に「逃げるなよ」と自身の腕の中へ忠告する。カイはうめき声を漏らすだけだった。

 ミナミはたまかから両腕を離し、一歩後退した。

「怪我は?」

「ありがとうございます。……大丈夫です」

 ミナミは群青色のショートカットを揺らして頷くと、すぐさま自身の長へと向かった。そして荒い息を繰り返す水面へ肩を貸し、その場へと仰向けに横たえた。たまかもカイのもとへ駆け寄り、右足に止血の処置を施した。出来れば怪我も負わせたくはなかったが、逃げるのを防止するためには足の負傷は必要なことだと水面は判断したのだろう。それに無傷で水面を生かした場合、カイは財団からあらぬ疑いをかけられ、始末されることになるかもしれない。怪我を負ったからこそ任務に失敗したというポーズを取れることは、カイにとっても利点になるはずだ。そこまで考えて水面が行動に移したのなら、たまかに止められるはずもない。応急処置を終え、たまかは立ち上がった。そのまま後退し、再びカイから距離をとった。

「……あー。横になったら大分楽になった。もう平気だ」

「そ、そんなわけないじゃないですか」

 水面の頓珍漢な言葉に、たまかは困惑を漏らした。このままだと、出血多量で死ぬのではないだろうか。彼女はカイや姫月の父親と同じく、早急に治療が必要だ。

「んじゃ、早く『不可侵の医師団』に縹様を連れて行かなきゃ。財団のスパイも捕まえて、一件落着って感じでしょ?」

 ソラがカイを腕で固定したまま、たまかへと顔をあげた。ミナミも、水面を早く治療したいようで、気が気でないようだった。

「……駄目だ」

 声をあげたのはたまかではなく、姫月だった。彼女は険しい顔で、ソラへと告げる。

「このままじゃ、そこの財団のスパイがただ蜥蜴の尻尾切りされるだけで終わる」

 たまかも、それを懸念していた。姫月と同じ面持ちで、拳を握った。

「例え『不可侵の医師団』を襲ったのがそいつだって証拠が見つかっても、財団の指示だという証拠には繋がらない。……何か、財団が三組織を潰そうとしていたことを示す証拠でも見つかれば……」

「……探しましょう。ここは姫月さんのお父さんの部屋なんですよね? 何か証拠が残っているかも」

 たまかの言葉に、姫月は重い動きで頷いた。険しい顔は、それでも証拠を掴んでやるという明確な意思が滲んでいた。たまかは姫月の顔から、横になったままの水面へと顔の向きを変えた。

「ミナミさんは水面さんを『不可侵の医師団』へ送ってあげてください。ソラさんは——」

「いい、いい」

 水面は片手を宙にあげ、ひらひらと振った。

「ミナミは証拠探しを手伝ってやりな。人手が必要だろ」

「で、ですが……」

「ソラはカイをしっかり見張ってな。あたしは悪いけど横になってるから、お構いなく」

 片手は力なく下ろされた。水面は言いたいことは言ったとばかりに、その瞳を閉じた。ミナミはなおも何か反論しようとして、しかしその言葉を飲み込んだ。代わりに、たまかへと顔をあげた。

「……縹様はこう言っている。あっしも手伝う」

 彼女の顔は、覚悟が決まっているようだった。たまかもそれを受け止め、黙って頷いた。

「とりあえず、この部屋にある資料を片っ端から確認しよう。もしかすると財団の奴が来るかもしれないから、なるべく急いで」

 姫月はそう言い終わらないうちに、本棚へと駆けていった。たまかとミナミもそれぞれ別れ、手当たり次第に資料を確認し出した。言葉はなく、資料を捲る音だけが部屋に響く。外の雷鳴は、止んでいた。雨が割れたガラスの奥から降り注ぎ、たまか達を嘲笑うように床に散った資料を濡らしていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ