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抗争の狭間に揺れる白  作者: 小屋隅 南斎


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第101話

「…………え?」

 姫月は呆然と、男の顔を見つめ返した。

「何をしている」

 固まったままの姫月に、男は語気を強めた。非難の色を帯びた目は細められ、責めるように相手を詰った。

「お前の敵だろう。手負いの者も殺せないのか?」

 地の底から沸き立つような声。その威圧感は、全ての者をひれ伏させる気迫があった。

「……」

 姫月は水面へと視線を動かした。肩で息をする血だらけの少女を、一心に見つめる。黒と白のフリルから伸びた手は、一向に銃を持とうとはしなかった。姫月は何度も瞬きを挟み、唾を呑み込み、そして唇を噛んだ。

 姫月は苦痛と葛藤に苛まれた表情で、水面のその揺るぎない意志のもと立つ背中を見つめた。やがて震える口元を放し、叫んだ。父親に向けてだった。絶対的存在に逆らう恐怖を掻き分けて、その言葉は部屋に木霊する。

「お……お父様。僭越ながら……それは出来ません。彼女は、何か誤解をしているのです。誤解を解けば——」

「役立たずが。情けない」

 姫月の言葉を最後まで待たず、男はそう吐いて捨てた。心からの落胆を乗せた言葉だった。それから短いため息を挟み、その髭を揺らした。

「仕方がない。計画変更だ。お前は生かしてやろう」

「……へ?」

 突然の理解出来ない言葉に、姫月は声を漏らした。水面から流れ出る血がまた一滴、床に落ちてぴちょんと跳ねた。

「縹を殺せ。そうすればお前を生かしてやる」

「……ど、どういうこと……?」

 戸惑う姫月に対して、男はどこまでも淡々とした口調で続けた。

「……この国は、近いうちに他の国のものになる」

「え?」

 静観していたたまかが、思わず声を上げる。水面は肩で息をするのに精いっぱいで、反応はなかった。だがどんなに苦し気でも、その銃口の先は決して男の頭から動かなかった。

「売ったのだよ。私がね。気前のいい取引相手で、地位と金を約束してくれた」

「……」

「この国は外交を全て絶ったとはいえ、長らく他の国たちも注目は寄せていた。人口は減少の一途をたどり、そろそろ更地になりそうな今、辺りの海域も含めてこの国の価値はあがっている。後は私が管理役に名をあげれば、食いつかないわけがなかった。そして管理する都合上、その前に掃除が必要だ。この国で今巨大な力を持つのは、『ブルー』『レッド』『ラビット』の三組織。私がこの国を動かすには、邪魔となる。だから私が掌握するまでに全て潰す手筈だったのだが……」

 男の瞳が、娘を捉えた。

「仕方がない、お前も生かそう。この国の五分の一の土地をお前に譲る。破格の待遇だろう。まだ悩む余地が?」

 男はまるで地獄に蜘蛛の糸を垂らすかのように、空いた方の手を掲げた。

 姫月はそのぱっちりした睫毛に彩られた瞳を見開き、茫然と突っ立っていた。時が止まったかのようだった。自身の『父親』の言葉に、悠久の時間、身体を縛られているようだった。やがてレースに包まれた手が、小さく戦慄く。口元が震え、乱れた呼吸が漏れていく。彼女は悲痛な面持ちを浮かべ、無意識に何度も小さく横へ首を振った。彼女の覚束無い手は、自身の制服の膨らんだスカートに伸ばされた。銃を取り出す。男に向けたままの瞳は、涙で潤んでいた。そのままレースに包まれた黒い手は、震えながら安全装置を外した。

「姫月さん!」

 たまかは制するように声を張り上げ、名前を呼んだ。必死の叫びにも、彼女の手は止まらなかった。

 彼女は、素早く両腕を真っ直ぐと伸ばした。その銃の先は、自身が父と呼び、どこまでも信頼を寄せていた相手だった。銃口は、その胸部を捉えていた。

 男は眉を僅かに寄せた。その目はあまりにも愚かで魯鈍だと言わんばかりで、ゴミに向ける目をしていた。彼の髭が動くことはなかった。言葉よりも先に、彼はその失望を行動で示した。

(——まずいです!)

 たまかはその顔を絶望に歪めた。男の人差し指の付け根、その筋肉の僅かな動き。たまかの頭の中で、人体解剖図の描かれた教科書の一ページが過った。その場所が動いたとき、その筋の先も動く。つまり人差し指を動かす直前の、予備動作。その人差し指が掛かった引き金を備える銃の先は、水面だ。

(水面さんが、殺され————)

 突然、爆発したかのような破壊音が、部屋に響いた。ガラスの割れた音が耳を劈き、風の轟音を混じらせ、雨の叩く音も連れてきた。男の両脇の窓が、同じタイミングで亀裂を走らせ、その身を瓦解させた。透き通った大小の鋭い欠片達が、輝きながら部屋を彩る。その向こうから降ってきたのは、薄群青色に身を包む少女達だった。突き出された腕の先を包む長い袖が、その緻密な柄を躍らせて高々とはためいていた。

 向かって右の窓ガラスを突き破ったミナミの方が、男を捉えるのが早かった。彼女の二枚歯の先は、銃を持つ大きく無骨な右手だった。空中で大きく身体を回転させ、その勢いを脚の先へと乗せる。二枚歯の先は皺の刻まれた指へ食い込み、その銃は投げ出された。同時に左側の窓を突き破っていたソラが、身体を回転させて床へと着地した。そのまま着地の衝撃を乗せて、足を蹴り上げる。男へ勢い良く身を近づけると、同時に握った拳を下から突き上げた。長く垂れた袂が舞い、そこから伸ばされた先は男の顎を攫っていった。顎を下から強打され、その衝撃に男の頭が強く揺れて反った。ふくよかながたいの男の身体が、後ろへと崩れていった。重い身体が倒れ、上半身が後ろの本棚にもたれかかる。風圧で散乱した資料が舞った。同じタイミングで、宙を落ちていた銃が遠くの床で資料の上に落ち、カチャンと音を立てて滑っていった。

 すぐさま、ミナミとソラが男から距離をとった。素早い動きに、彼女達の短いスカートと長い袖は対応出来ておらず、彼女達の身体に張り付いていた。

 姫月の持つ銃口は、倒れた男をきちんと追っていた。倒れた拍子に曲げられた膝が、男の胸部の前に立ちはだかっていたが、それでも膝越しにその胸部をしっかりと捉えていた。ミナミとソラは背中越しにそれを察して、射線上から離れたのだった。

「林檎を殺したのは、あんたの指示だね?」

 割れた窓の外から漏れる風の音も、雨の音も、全て姫月の苦衷の声にかき消された。

「水面までも——奪わないで!」

 雷のような叫びだった。それは銃声を連れてきた。たまかの横で、この場を切り裂くような破裂音が、大きく響いた。その銃弾は、一直線へと吸い寄せられるように男へと向かった。灰色のスーツから、赤黒い血がジャムのように飛び散った。姫月の持つ銃から硝煙が淡く立ち上り、その先を燻らせた。

 銃弾は、男の曲げられた膝を貫通しなかった。彼はズボンの灰色を血に染めていたが、ジャケットは膝から落ちるものでしか染まっていなかった。姫月は厚底を鳴らし、一歩、二歩と緩慢に歩みを進めた。水面が肩で息をしながら、前へ出てきた姫月へと僅かに顔を向ける。姫月は、その射線を膝に邪魔されることのない角度で止まった。その銃口は、今度は障害なく胸部を捉えることができていた。男は抵抗しなかった。彼はソラに脳を揺らされ、既に意識を失っていた。

「いけません!」

 叫び声が室内を支配した。その言葉は、真っ白いナース服の制服に身を包む少女から発せられたものだ。

「姫月さん。彼は貴方のお父さんです。家族なんです。殺しては、いけません」

 冷静に、語り掛けるように。たまかは黒白の少女の背中へと言葉を紡いだ。しかし、姫月は銃を下ろさなかった。真っ直ぐと目の前の男の胸部へと、突き付けたままだった。たまかは焦りを押し殺し、両の拳を握った。その声を低くする。

「それに……彼は林檎さんを潰そうとはしていましたが、少なくとも今日殺したことに関しては指示していません。林檎さんが猫さんを探す場に現れるなど、彼は想定していませんでした」

 姫月の背中が、ぴくりと揺れた。銃を伸ばした手はそのままで、ゆっくりと、後方を振り返った。その潤んだ瞳は、突然のたまかの言葉に僅かに見開かれていた。水面とミナミ、ソラの視線も、たまかへと向けられている。たまかは真っ直ぐと姫月を見つめ、静かなコンサートホ―ルへ真実を演奏するかのように、声を張り上げた。

「林檎さんを、殺したのは————」

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