【レン(ミナ)】
(あと少し......。
あと少しで......アリッサの部屋の隣のバルコニーに着くぞ)
筋肉を酷使されてプルプルと震える腕をゆっくりと伸ばす。
血まみれになった指を、激痛に耐えながら煉瓦の隙間にさしこんだ。
(ついた......!)
体重を支え続けて、ようやく疲れ切った腕を休めることができる。
俺はバルコニーによじ登ろうとした。
......そのとき......。
カタカタッ。
という足音とともに、誰かが部屋からバルコニーの外へと出てきたのだ。
(くそっ。誰だ?
そもそも、この部屋は誰の部屋なんだ?)
今、バルコニーに上がってしまったら、部屋から出てきた人物に見つかってしまう。
俺は壁に張り付いたまま、その場で耐えた。
部屋からバルコニーに出てきた人物が誰なのか......確かめるために隙間から目を凝らした。
だが、俺の位置からでは、相手の足首しか見えなかった。
(大臣の誰かだろうか)
次の瞬間......謎の人物が独り言を呟いた。
「いよいよ.....明日はアリッサとの結婚式だ」
(......フィリップだ!)
その声は、間違いなく大蛇、フィリップの声だった。
このバルコニーはヤツの部屋だったのか。
壁に張り付いたまま、俺の心臓は凍りつく。
(それにしても......明日が結婚式!?そうだったのか)
「ハハハ......アリッサが俺のものになる。
俺の子どもをたくさん増やして、その子たちの一人を、やがて人間の王に育てよう」
フィリップはそんなことを呟いている。
(この、クソ野郎......)
以前、アリッサが言っていた......。
フィリップは「自分の視界に入った人間の心が読める」と。
どうやら、それは間違いのない事実のようだった。
俺は今、ヤツのことを心のなかで罵っている。
だがやつは、俺の存在に気づいていないからだ。
(いま、こいつをナイフで殺せば、すべて解決なんだが......)
腰の剣に視線を送る。
しかし、どう考えても無理だっだ。
俺の体力もう底をついている。
今、フィリップに戦いを挑んでも、まともに戦えるとは思えない。
不意をついて忍び寄るにも、この体勢からでは難しいだろう。
(早く部屋にもどれ......ヘビ野郎!!)
俺はフィリップの足をにらみつけた。
「ハハハ」
フィリップは楽しそうに笑うと、聞いたこともないような言語で歌を唄いだした。
古代の言語かもしれない。
突然、フィリップの足が、変化し始めた。
2本あったはずのヤツの足は一本に合体した。
そして、ツルツルした肌に変化しはじめ......やがてウロコのようなものがたくさん見え始めた。
(蛇だ......!!
ヤツは蛇の姿に戻っている)
思わず興奮して声が出そうになったが、押しとどめる。
ヤツは、一人きりになるとああやって、ときどき蛇の姿に戻っているのだろう。
しばらく、ヤツは蛇の姿のまま歌を歌い続けたあと、満足したのか人間の姿に戻った。
そして、部屋にようやく戻っていったのだった。
(あぁ......俺の腕はもう限界だ)
俺は大蛇フィリップがいたバルコニーに、最後の力を振り絞ってよじ登った。
バルコニーに仰向けに倒れた。
ハァハァと息が荒い。
腕がプルプルと震え、指先はじんじんと痛んだ。
だがなんとかここまで生きて登りきったのだ。
体力が回復したら、次はアリッサの部屋のバルコニーに飛び移らなければならない。
......休んでいる時間は無い......。
俺はゆっくりと立ち上がった。




