【レン(ミナ)】
早朝の厨房は、予想通り人けが無く静まり返っていた。
(なんか、食いもん無いかな~?
腹減った)
俺はキョロキョロとテーブルの上に視線を走らせる。
しかし食べ物は盗まれないように、鍵のかかった棚にしっかりしまい込まれている。
(クソッ)
グルグルと鳴りまくる腹をおさえる。
そんなことよりも、「帳簿」だ。
帳簿を探さないと。
厨房の奥。
いつもマーガレットが座っている丸椅子の近く、引き出しの中を探る。
前にマーガレットがこの引き出しの中の紙束を見ていたのだ。
(あった、あった......これが帳簿だな)
帳簿には業者の氏名、そして野菜や果物などの名称、さらに日付が書かれていた。
(モルタナ......モルタナはどこだ......。
あった、これだ)
帳簿に「モルタナ」と書かれた行を見つける。
そして供給している行商人の氏名と、次に来る日にちを素早く頭にインプットした。
(やったぞ!
あとはこの行商人をディルに捕まえてもらえば......)
そのとき、厨房の入口のほうから使用人たちの話し声が聞こえてきた。
「おはよう」などと言い合っている。
俺は慌てて帳簿を引き出しにしまった。
------------------------
午後になるとアリッサが北の塔へと現れた。
「アリッサさま......今日もお美しいわ」
使用人たちは、彼女のことを遠巻きに眺めている。
(アリッサはこの城のアイドルみたいだな)
ふとアリッサがキョロキョロと誰かを探しているのに気づいた。
やがて俺のことを見つけて、じっと視線を向ける。
そしてにっこりと笑った。
(俺のこと、探してたのか)
アリッサの様子に嬉しくなって胸が高鳴る。
(でも、アリッサが探していたのは「ミナ」なんだよな。
レン・ウォーカーのことなんか、すっかり忘れているのかも......)
そう思うと、なんとも言えない寂しい気分になったのだった。
----------------------
アリッサの両親の部屋に行くと、彼女は俺を待ち構えていたかのように椅子から立ち上がった。
「ミナ、会えて嬉しいわ。
でも今日はフィリップが城にいるの。
だからここに長居はできない......」
暗い声で言う。
「そうなのか。
アリッサ、大丈夫なのか。
あいつにひどいこと、されてないか?」
心配で胸が張り裂けそうだった。
今すぐにでもアリッサを連れ去りたい。
だが、ヤツを殺さないと、きっとどこまでも追いかけてくるだろう。
「あたしは、あと3ヶ月もしたら、あの男の妻にならなければならないの。
け、結婚したら......子どもをたくさん産めって言われているわ......」
アリッサはそう言うと、自分の身体を抱きしめて震え始めた。
「結婚するまでは、子どもを作るような行為はしないって言ってた。
でも触られたり、キスされたりするの......。
ミナ......あたしとても怖い」
彼女は涙目で俺を見た。
「アリッサ!!」
俺は彼女に駆け寄ると、ぎゅっと抱きしめた。
「あんなやつと結婚させたりなんかしない。
安心しろ」
「ミナ......」
アリッサは俺の背中に手を伸ばすとぎゅっと抱きついた。
彼女の頭をそっと撫でて、落ち着かせてやる。
するとアリッサは俺の顔をパッとみた。
「どうした?」
アリッサに聞くと
「ミナに頭をなでられると、不思議な気持ちになるわ」
と彼女は言った。
「なんだか......ミナは......あたしの大切な人を思い出させる」
(その大切な人って......もしかして......俺のことだろうか)
だとしたら、すごく嬉しい。
俺はアリッサの頭をなで続けた。
------------------------
アリッサは両親の髪を梳かし、体を拭いたあと俺の方に向き直った。
「ミナ......昨日の話の続きがあるの」
そういうと、背後に控えている兵士に目をやった。
「あなた......、悪いんだけど、厨房へ行って何か食べ物を取ってきてくださらない?」
「ハッ......しかし......」
「お願い」
アリッサが言うと兵士は渋々、部屋から出ていった。
「兵士がすぐに戻ってきてしまうわ。
モルタナのことよ?」
アリッサは低い声で早口で話し始めた。
「モルタナの供給を急に止めると、深い中毒症状を起こしている人間には命取りになるの。
少しずつ量を減らしていかないと、突然止めるとショック死を起こしてしまう。
ウィリアム公爵はとくに強い中毒を起こしているから、飲むのを止めると死んでしまうかもしれない」
「......そう......なのか」
「だから、モルタナを売りに来る行商人から、あらかじめ買い取って置くのがいいと思う。
そして、みんなに供給する量を、あたしたちが調整するの。
深い中毒をおこしている者には、少しずつ量を減らしていく」
「なるほどな。
行商人から、俺達があらかじめ買い取ってしまうのか。
それなら、商人の方も金がもらえるんだから、大騒ぎはしないだろうな」
「そうよ。
そのうえで」
アリッサは、俺に近づくとさらに低い声で言った。
「モルタナにそっくりな見た目の薬草があるの。
モルデンと言う名前なのよ。でも毒性が無い、無害なの。
そのモルデンにすり替えてしまうのよ」
「すごい、アリッサ、すごいぞ」
俺は彼女に感心した。
葉っぱをすり替えてしまえば、厨房の奴らにも気づかれないだろう。
なにもかもが、うまくいきそうだ。
「毒性のあるモルタナはハート型。
無害なモルデンは丸い形なのよ。覚えてね」
「アリッサ......頭が良いな。
だけど、あとは俺に任せてくれ。
アリッサがこれ以上、この計画に深く関わって、フィリップのやつにバレたら大変だ。
計画が丸つぶれになるし、アリッサがフィリップに何をされるかわからない」
「そうね......。
あの男は......人の心が読めるのよ。
信じられないかもしれないけど、ほんとなの。
だから私はあの男の前では、一つのことしか考えないようにしているの」
俺は深くうなずいた。
アリッサも、フィリップが人の心を読めるということに、気づいているんだな。
(アリッサの言う通り。
なにか一つのことに精神を集中させれば、考えを読まれにくい。
だが、それには高度な訓練が必要だ......。
アリッサは大丈夫だろうか)
アリッサのことが心配でたまらなかった。
北の塔にまん延している中毒を解消している場合じゃないのかも。
こんなことしてないで、すぐにでも城に乗り込んで、大蛇の心臓に短剣を突き立てるべきなのかも。
だがフィリップの周囲には何重もの警備がなされている。
失敗すれば俺はあの世行きで、アリッサは大蛇と結婚する道が待ち受けているのだ。




