【レン(ミナ)】
北の塔の入口に到着。
そびえ立つ塔を見上げた。
タダール城全体に、まん延している陰鬱なオーラ。
それが北の塔にはとくに色濃く現れているようだった。
小さな蛇が塔の周りに密集し、ニヤニヤと笑いながら舌を出している。
塔の内部に足を踏み入れると、カビ臭くよどんだ空気が流れていた。
(暗黒街、レザナス並みの邪気を感じる......)
塔の内部にある厨房でマーガレットと名乗る女が、俺のことをジロジロと眺めると言った。
「お前が今日から働く下女だね。
まだ若いしキレイな顔の女じゃないか。
売春婦にでもなったほうが稼げそうなのに」
「売春なんかするか。
そんなことより何をすれば良いんだ?」
俺はマーガレットを見上げた。
「乱暴な口の聞き方するね。
スラムの出身かい?
お里が知れるよ。
お前は、狂人の部屋の掃除をしてもらうよ。
昨日までは【掃除はしなくて良い】と領主さまからのご命令だったんだ。
だが最近になって急に【掃除をするように】とのご命令に変わったんだ」
「狂人の部屋の掃除?
分かった」
「狂人の姿を見たら、お前はショックを受けるだろうよ。
掃除すべき部屋はたくさんある。
お前のその細っこい身体じゃ、体力が持たないだろうね。
いつまで続くか見ものだねぇ」
マーガレットは意地悪く、そんなことを言いながらヒッヒッヒと笑った。
マーガレットのいる厨房をあとにし、俺は長いホウキを手に塔の中央階段へと向かった。
(一番上の階から順に掃除していこう)
螺旋状の階段を最上階まで登ってみる。
かなりの階数で息があがった。
最上階に到着、
小汚い部屋がいくつもあった。
ベッドに机だけの薄暗い部屋。
窓はあるが、小さくて陽の光も入りにくい。
各部屋は外側からかんぬきで施錠できるようになっていた。
「なんだ?この部屋も空き部屋?
空いてる部屋は掃除しなくて良いんだよなぁ」
俺は、隣の部屋へと入る。
「うぐぐぐ」
部屋に入ったとたん、男の低いうめき声が聞こえてきた。
「なんだ?」
簡素な木のベッドに腰掛けた男が、頭をかきむしっていた。
「あぁあああ」
俺はそっと男の前に回り込んで、その表情を見つめた。
男の目はうつろで、ぼんやりしている。
口の端からはヨダレが糸を引き、顔は真っ青。
額には脂汗がでている。
(これがウワサの狂人か。
ひどいありさまだ。
一体なんの呪いにかかってるんだ?)
俺は大蛇に「火の魔法使い」としての能力を奪われたが、簡単な呪術ならまだ使えた。
呪いの種類を調べてみよう。
なんの呪いなのかが分かれば、癒す方法も見つけることができる。
「汝のなかに隠されし呪い......姿を表せ」
俺は男の額に手をかざして素早く「調呪の印」を切った。
執着、空虚、妄想、恥......どの呪いだ?
男の頭の周りを飛び交う淡い色に目を凝らす。
(あれ......呪いが引き出されてこない。
これは呪いのたぐいではない......!?)
そのとき、狂人と俺の目がとつぜん合った。
それまでうつろな目をしていた男は、目の前にいる俺に突然気づくと、カッと目を見開いて言った。
「お願いだ......あれをくれ」
「......あれ......?あれってなんだよ」
俺は男の目を覗き込んで、たずねる。
「あぁああ......。うう」
男は苦しそうに唸ると、ベッドに横になって布団をかぶってしまった。
狂ってる。
一体、この男に何が起きたんだ?
部屋をササッと掃除すると、次の部屋へと移った。
隣の部屋にも同じように取り憑かれた女が一人収容されていた。
ガリガリに痩せて、骨と皮ばかりになったその女は、やはり苦しそうに震え呻いている。
(まずは、この狂人たちに何が起きたのか。
それを調べなくては)
俺は掃除をしながら考えていた。
部屋を出て廊下に出る。
回廊から激しい風がザァッと吹いて、思わず足元がふらついた。
塔の最上階からは遥か彼方、北方の地方までが見渡せた。
おそらくこの回廊は戦時中は物見台の役目も果たしていたはずだ。
(あぁ、良い眺めだな。
闇の森はあの方角だ......屋敷は無事だろうか......)
遠くの方から小さな光がこちらに向かってくるのが視えた。
(ん?あれっ?
何かが近づいてくる)
俺は外の景色に目を凝らした。
「ご主人様ぁ~。
やっと見つけました。
なぜ女体になっているのですか」
遠くから飛んできたのは、闇の森......俺の屋敷で暮らす妖精のモリィだった。
「モリィじゃないか。
よく俺のこと、見つけたな」
「匂いをたどりました。
決めては御主人様がさきほど使った呪術です。
調呪の印を切りましたよね?
御主人様の呪術は格調高く品があるので、私にはすぐに分かるんです」
モリィは鼻の穴をふくらませて、ドヤ顔を俺に見せる。
モリィは女の妖精で、大きさは手のひら程度。
「わざわざ来たということは......闇の森になにかあったんだな?」
俺は恐る恐るモリィに聞いた。
「いえ、闇の森は平穏そのもの。
子鬼たちが当番でうまく見張ってくれています」
「じゃあ、なぜ来たんだ」
俺が尋ねるとモリィはモジモジしだした。
「さ......寂しかったからでございますぅ。
もう御主人様がおられなくなって5年以上経つんですよ。
お顔を見たくなって当然じゃないですか」
そう言いながら、「会いたかったんですぅ」とシクシクと泣き出した。
モリィとは、もうだいぶ昔に暗黒街レザナスで出会った。
彼女は、レザナスのバザールで小さな檻に閉じ込められて、売りに出されていたのだった。
そのときも檻の中で、シクシクと大粒の涙を流していた。
俺はその泣き顔になんともいえない哀れみを感じた。
彼女は極悪人で有名なノーザンスカイのリーダーに買われるところだった。
だが俺が倍の金額でヤツから買い取ったのだった。
「ありがとうございます。
あの極悪人に買われていたら、生きたまま火にあぶられ、夕飯のテーブルに上っているところでした」
あのとき、モリィは檻から出してやると泣きながら、そう言ったんだっけ。
当時、精力がつくとして妖精を食べることが一部の金持ちの間で流行していたのは事実だった。
その一件以来、彼女は俺を「命の恩人」として慕ってくれていた。
彼女は自ら希望して俺の屋敷で元気に働いてくれた。
「モリィ、俺はもう火の魔法使いでもなんでもない、分かってるよな。
なんの力もないんだ」
彼女を手のひらに乗せて、小さな瞳をじっとみる。
「そんなの関係ございません。
モリィは死ぬまで御主人様をお慕い申し上げます」
モリィはわんわんと泣きながらそう言った。
「モリィは今までよくやってくれた。
もう俺のもとを離れたって良いんだぞ」
モリィはブンブンと首を勢いよく横にふる。
彼女の涙が飛び散った。
「後生ですからそんなこと言わないでください。
嫌でございます。
なにか手伝わせてください」
「そうか。
正直、助かる。
俺はこの塔での悪事を暴かなければならない。
モリィには各部屋の掃除をお願いしたい」
「お役に立てて、ありがたき幸せ」
モリィは魔法が使える。
彼女は指先でホウキをピンと指すと、ホウキはいくつもの小さなホウキに分裂。
小さなホウキは踊るように勝手にあちこちを掃除し始めた。
「ひとつだけ言っとく。
他の使用人や兵士には魔法が見つからないようにしろよ」
「わっかりましたぁ」
モリィはそう叫ぶと、嬉しそうにウィンクした。




