【レン】救わない決断
イリーナさまは、ここ五年くらいのあいだ病のため床に臥せりがちだった。
そして今…………いよいよ、命が危ないという。
イリーナさまのことについては、アリッサと何度も話し合い、お互いの考えを確認し合っていた。
俺とアリッサの出した結論。
それは......。
このまま.....女王からも身を隠し続ける。
誰にも知られないように、静かに暮らす。
イリーナさまの命を助けない……
俺たちが出したのは、そういう結論だった。
………………………
「驚いたよなぁ。
ベルナルド家を捨てて、宿屋を始めると聞いたときは、冗談かと思ったけど……今やここは、町一番の人気宿だ」
ディルはニヤリと笑った。
「前にも聞いたけど。
レンとアリッサは、闇の森の屋敷で暮らそうとは、思わないのか?
いくら繁盛していても、宿屋の仕事は重労働だ。
俺たちと一緒に暮らすか......俺たちが、あの屋敷から出ていったって良い。
もともとあの屋敷は、レンのものだし」
「そうよ、お兄ちゃん。
ディルとあたしは、何処に行っても幸せに暮らせるわ」
「いや。……闇の森は、魔力のあるものが統治すべきだ」
俺は首を横に振った。
「それに、俺たちは、この宿屋で幸せに暮らせているよ」
テーブルの上でアリッサの手を握った。
アリッサは俺の顔をじっと見つめる。
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食堂の外は漆黒の闇夜だった。
フクロウの鳴き声が遠くに聞こえる。
「......それで」
ディルがチーズを口に放り込むと言った。
「イリーナさまのことは......このままでいいのか」
俺とアリッサは黙ってうなずいた。
「この街に来てから.......。
病気で苦しんでいる人や、若くして事故で亡くなっていく人たちを何人かみたわ」
アリッサが遠くを見ながら言う。
「でもそう言う人たちを、リックの力で全て救うわけにはいかないと思うの。
それと同じように、あたしたちが勝手に、この人は救う、この人は救わない......。
そんなふうに決定する権利はないわ」
「たしかにそうよね」
ニナがアリッサの言葉にうなずく。
「考えるだけでも、怖いけど.......。
もしもサラに何かあったとしても.......。
リックの力は使わない。あたしたちは、そう思っているのよ」
アリッサはそう言うと、テーブルの上で俺の手をぎゅっと握り返した。
「イリーナさまを救えば、たちまちウワサは広がり、収拾がつかなくなるだろう。
このまま身をひそめているのが一番かもしれないな」
ディルもうなずいた。
救える目の前の人を救わない。
それはとても残酷なことだ。
でも、俺たちは、あえてそうすることを選択したのだった。
その決断は、とても罪深いことだった.......。
(リックの能力は、呪いのようなものなのかもしれない)
10年前。
リックは自らの意思で腕の傷を開き、瀕死の俺に血を飲ませた。
俺はその血の力で、致命傷を負いながらも生きながらえたのだ。
あのとき、リックは赤ん坊だった。
それなのにまるで自分の能力を理解しているようにふるまった......。
いつの日かリックの持つ「力」について、リック本人と話し合わないといけない。
「誰を救って、誰を救わないのか」
彼に大きな「重荷」を背負わせることになるだろう。
俺たちはイリーナさまを救わない。
言ってみれば、見殺しにするという選択をした。
リックに「救うか、救わないか」決めさせればいいのでは?
「力」をもっているのは、リックなのだから、彼に決めさせるべきだ。
そうなのかもしれない。
だけど、俺たちはリックに「救うか、救わないか」の重い選択肢ができることを、まだ、教えたくない。
リックがもっと大人になってから......そう考えていた。
自分たちは、大蛇の生き血の力で生き延びたのに。
それなのに、イリーナさまを見捨てるのか?
この点についてはそのとおりだ。
俺とアリッサは罪深い。
神が許してくれることを願って、毎日祈りを捧げていた。
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「やっと見つけたぞ。レン・ウォーカー」
ある日のことだった。
吐く息が白い、朝の冷たい空気の漂う森のなか。
俺は薪割りをしていた。
斧をゆっくりと振り上げ、体の重心を移しながら一気に振り下ろす。
「カーン!」
鋭い音が辺りに響き渡った。
そのときふいに背後に人の気配がした。
「やっと見つけたぞ。レン・ウォーカー」
聞き覚えのある声。
女の声だった。
覚悟していたことだった。
いつの日か、誰かに見つけられてしまうかもしれない。
俺は、そっとふりむいた。
あろうことか......そこにいたのは、ベールを深く被った「女王」本人だったのだ。
とうとう……見つかってしまった。
罪深い選択をしたことで……罰せられるときがきたのだと思った。




