【アリッサ】イリーナさまとレン
「話さなきゃいけないことがある」
レンはそう言ったあと「ふぅ」と深い溜め息をついた。
そして、黙り込む。
(よほど......言いにくいことなのね)
あたしは、ゴクリとつばを飲み込んだ。
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「女王の妹君のイリーナさまが......!?」
レンから聞いた話は驚くべきものだった。
イリーナさまは、たしかまだ10代.....。
あたしよりお若いはずだった。
そのイリーナさまが、レンの話では、ご病気であと数年の命だと言うのだ。
「そのこと、イリーナさまご本人は、知っておられるの?」
レンは首を横に振った。
「女王と、治療師、術師くらいしか知り得ない情報だ。
あと知っているのは、俺とエレナくらいかな。
本人には、とても言えないだろう」
「そうよね......。
女王陛下もお気の毒だわ。
夫君のルーベンさまも数年前に亡くされたばかりだと言うのに」
「そうだな」
レンは、遠くをみつめている。
彼の横顔をあたしは眺めた。
きれいな鼻筋に形の良いくちびる......瞳は暗く、不安そうに揺れ動いている。
風がふいて、彼の前髪が揺れた。
(どうして、あたしにイリーナさまのご病気のことを話すのかしら......)
あたしが訝っていると、レンがまた口を開いた。
次にレンが口にした言葉に、あたしは混乱してしまった。
「女王はリチャードの生き血を欲しがっている」
レンはそう言ったのだ。
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レンの話は、こうだった。
イリーナさまがいよいよ死の淵をさまよい始めたら......。
女王はリチャードの生き血をイリーナさまに与えるつもりでいる。
それしか、イリーナさまを救う方法は無いのだと......女王はそう考えている......。
「確かに大蛇の生き血には、死の淵にいるものを生還させる力があるわ。
でも待って......どうして女王は知ってるの。
リックが......この子が大蛇の子どもだということを」
リックが、大蛇とあたしの間にできた子どもだということは、限られた人にしか打ち明けていない。
知っているのはお父さまとお母さま.......それにレンだけだ。
レンの妹のニナやその夫のディルにさえ、話していないことだった。
「ウチの屋敷の内部に女王の手先がいるらしい。
女王はそこから情報を得ている」
「なんですって......」
ウチの屋敷の内部に女王の手先が!?
そんな......まさか......でも......。
確かに、出産の最中にあたしは痛みと辛さのあまりに口走ったことがある。
「レン......ごめんなさい。あなたの子どもじゃないのに」
お産の最中、励ましてくれたレンにむかって、そう言ったのだ。
その言動は、お産を手伝っていた産婆や、侍女たちが見聞きしている。
さらには、銀髪に灰色の目をしたリックの見た目......それに背中にあるヘビのウロコ......。
リックが大蛇の子どもだということは、そのあたりからも、推察できる。
乳母や侍女がスパイなのだろうか。
いいえ、そうとも限らないわ。
乳母や侍女たちが、うわさ話として別の親しいものに話せば、その話はどこかへと広まるだろうし。
「誰がスパイなのかは、わからないわね......」
あたしがポツリと呟くとレンは頷いた。
「スパイ探しをするつもりはない。
魔女狩りのようなものになってしまうし、今いる使用人や兵士を全員追い出すことは出来ない」
しばらく無言が続いた。
やがてあたしは、恐る恐る口を開いた。
「レンは......もちろん断ってくれたのよね?
リックの生き血なんて、だめに決まってるもの。
この子はまだ、赤ん坊だし」
レンは、リックの世話をしてくれている。
彼なりにリックのことを愛してくれているのだと最近は、感じていた。
だから、当然......女王の頼みを断ってくれているはず......。
あたしはレンの顔をじっとみた。
レンの表情は暗いものだった。
「レン......まさか」
あたしは震える声で彼に尋ねる。
「まさか、リックの生き血を差し出すつもり?」
「いや......。
女王にはアリッサと相談すると言ってあるんだ」
「相談!?」
あたしは大声を出した。
「相談なんかするまでもないわ!
リックから血を抜くなんてダメよ。
小さな子だもの、血が止まらなくなって死んでしまったらどうするのよ!!」
涙がボロボロと流れ落ちる。
レンに裏切られた気分だった。
やっぱり彼は、リックの実の父親じゃないから。
だから、「相談する」
なんていう軽い返答ができるんだわ!
本当の父親なら、即「断る」はずだもの。
「アリッサ、落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられない!
いやよ。リックを傷つけるなんて、絶対に嫌!!」
大声を出したせいで、スヤスヤと眠っていたリックが目を覚ます、
そして激しく泣き出してしまった。
レンが、慌ててリックを抱き上げようとする。
でもあたしは彼のことを、グイッと押して、リックに触らせないようにした。
「レン......ヒドイわ!
リックは絶対に女王なんかに渡さない。
女王は気狂いと呼ばれていて、何をするかわからないもの。
それはレンも分かっているでしょう!?
あなたは、あの女王に王宮に何ヶ月も足止めを食らわされたのだから......」
「ふわぁああーん、わぁああん」
リックが激しく泣き叫ぶ。
あたしは立ち上がるとリックを左右に揺らしてあやした。
「アリッサ、聞いてくれ......
イリーナさまは、王宮で俺を何度か助けてくれたんだ。
それにとても良いお方で......」
あたしは、レンの言葉にカチンときた。
エレナから聞かされていた。
レンは、あたしと離婚してイリーナさまと結婚するように女王に勧められていたということを。
なぜはっきりと断って、さっさとベルナルド領に帰ってこなかったのか。
そのことも、少し疑問に思っていたのだ。
「もしかして、レンはイリーナさまのことが好きなの!?」
「はぁっ?」
レンは目を丸くしている。
「何を言うんだ。
そんなわけないだろう」
あたしの目から涙がボロボロと止まらない。
リックも泣き叫んでいる。
「もういい!屋敷に帰るわ!」
あたしは、リックを抱いたままレンにそう言い放つと彼に背を向けた。




