【ディル】・【レン】
【ディル】
屋敷の玄関から、レンが出てきて自分の父親を出迎えた。
「父上、ご無沙汰しております」
「元気そうだな」
紳士はそう言いながら、目を細めレンに笑いかけている。
兵士や使用人たちは、遠巻きに彼らの様子をじっと眺めていた。
俺はミナにそっくりな女の子から目が離せなくなっていた。
「お綺麗な女性だな」
「レン様のご親類だろうか」
他の使用人たちも、彼女に惹きつけられているようだった。
「兄さん!会いたかったわ」
ミナにそっくりな子は、レンに向かって両腕を伸ばした。
「ニナ......よく来たね!」
レンは彼女を抱きしめた。
(兄さん!?
あの子は、レンの妹さんなのか!?)
俺はドキドキしながら彼女を見つめ続けた。
レンの妹......。
「ニナ」か......。
......名前までミナに似ているじゃないか。
侍従長がこちらに近づいてくるのが視界の隅に入り、俺はハッと我に返った。
侍従長は俺の耳元で小さな声で話し始めた。
「隊長......彼はアスラル王国で影の実力者といわれている、火の魔法使いトマス・ウォーカーです。
一国を滅ぼすほどの魔力を持っていると囁かれています」
「そう......なのか」
俺は再び、レンの父親に視線を戻す。
青白く痩せた紳士で、優しそうに微笑んでいる。
一見、それほどの強者には見えない。
だが、彼が油断なく屋敷のあちこちに目を走らせていることに俺は気づいた。
侍従長はさらに言葉を続けた。
「彼が社交の場に出てくるのは滅多いないこと。
ふだんは自分の屋敷に引きこもっているのです。
トマス・ウォーカーは相当な資産家でしかも強大な魔力の持ち主。
彼の力、助言、そして金欲しさに近隣から怪しい連中が集まるやもしれません」
「分かった。警備は念入りにしないとな」
俺はうなずいた。
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【レン】
「はじめまして......アリッサです」
アリッサは少し緊張した面持ちで、俺の父親と妹に深々と会釈をした。
「はじめまして。レディ アリッサ。
私はレンの父親のトマス・ウォーカーです」
父親はアリッサに向かって微笑むと、彼女の手の甲に接吻をする仕草をした。
「あなたがレンの結婚相手なのね。
私は、ニナよ。仲良くしてほしいわ」
アリッサは、ニナの顔を見て少し驚いていたが、ニッコリと微笑んでうなずいた。
「お疲れでしょうがアスラル王国の政情など、少しだけお話をお聞かせ願いたい。
お茶の用意ができております。
こちらへどうぞ」
父親とニナは、パトリック卿に客間に連れて行かれた。
ニナは嬉しそうに笑いながら、俺とアリッサの方を何度も振り返っていた。
「レン......その......あたしの部屋で少し話せる?」
アリッサが俺の袖を引っ張った。
上目づかいに俺を見るアリッサの表情が愛くるしくて、俺はドキッとした。
いまだに彼女が自分の奥さんになるなんて......なんだか信じられなかった。
こんなに愛してる女性と一緒になれるなんて。
長い廊下をアリッサと二人で歩く。
彼女は俺の腕に手を置いていた。
廊下を通り過ぎる使用人が、俺達を見るとサッと通路を避けて会釈をする。
数ヶ月前......俺は戦争と不幸をもたらす火の魔法使いとして蔑まれ、恐れられていたのにな。
それに最初は最下層の兵士で、泥だらけになって這いつくばっていた。
扱いがずいぶんと変わったものだ。
アリッサの部屋に向かいながら、彼女が小さな声で俺に聞いた。
「レンのお母様はいらっしゃらないの?」
「言ってなかったな。
母上は、俺が幼い頃亡くなった。事故だったんだ」
「.......!」
アリッサが小さく息を呑む。
「ごめんなさい......レン」
そして慌てて謝った。
「だいぶ昔のことだ」
母親も火の魔法使いだった。
だが、街道で馬車に轢かれて亡くなってしまった。
あっけなかったその死を、俺は今でも覚えている。
いくら寿命の長い魔法使いでも、病に倒れるし事故にあえば命を落とすこともある。
人間とそう変わらない。
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アリッサの部屋は、花の香りがした。
窓からは柔らかな日差しが差し込んでいる。
「不安なの」
アリッサはソファに座ると、俺を見上げて言った。
「何が不安なんだ」
俺も彼女の向かいのソファに腰掛けた。
「レンのお父様は、レンが人間として生きていくことをどう思っているのかしら。
あなたは跡継ぎでしょう?
残念に思っているのじゃないかしら」
彼女がそんなことで不安を抱えていたとは。
俺は驚いた。
「大丈夫だよ。
父さんは俺の考えを昔から尊重してくれる。何の問題もない」
「......ほんとに?」
アリッサの表情が少し柔らかくなる。
「お腹......少し目立ってきたね」
俺は彼女の下腹部に目をやると微笑んだ。
丸くなったお腹を抱えるアリッサは、とても可愛らしかった。
「そうなの。誤魔化しきれなくなってきた」
アリッサはお腹をさする。
ローテーブルの上には、アリッサが編んだ赤ん坊の靴下や帽子が山のように積まれていた。
「レン、そばに来て欲しい。
隣りに座って」
アリッサが、俺に言う。
彼女は自分の隣のソファをポンポンと叩いた。
「でも......」
俺は思わず戸惑った。
「背中が痛むのよ。さすって欲しい」
「分かった」
俺は彼女の隣に座ると、背中を優しくさすった。
お腹が重いので、筋肉がつかれるのかもしれない。
「レン......」
俺に背中を向けていたアリッサが、不意に俺の方に振り返った。
そして俺にそっと抱きつく。
彼女の髪からふわっと甘い香りがただよった。
「アリッサ......だめだよ」
俺は彼女の両肩をそっとつかんで押し戻した。
「どうして?」
彼女は俺をじっと見つめている。
ピンク色の柔らかそうなくちびるが半開きになって、白い歯がのぞいていた。
「俺は......とにかくだめなんだ......」
彼女にキスしたかった。
キスしたらきっと、抱きしめてソファに押し倒すことになる。
俺は我慢できなくなる。
止めることは不可能だろう。
お腹の子どもが心配だった。
お腹に子どもがいるのに......そんなことできない。
「アリッサ。暖かくして、たくさん食べるんだよ?」
俺はソファから立ち上がると、彼女にそう言った。
これ以上、彼女の隣りにいたら、自分が何をするか分からなかった。
彼女は寂しそうな目で俺を見上げていた。




