9 チーちゃんの動揺
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中一女子
・早川智子(チーちゃん)中三女子
・早川貴子(キーちゃん)高三女子で早川智子の姉
「キーちゃんは人見知りだからといって、心の中までおしとやかだとは限らないんだ!」
チーちゃんは両手を広げて、オーマイガーを連呼するアメリカ人のような顔をしてそう言った。
「だいいち、骨の髄まで引っ込み思案な人だったら、人前で歌おうなんて思わないですよ」
「そりゃあ、そうだよな」
「でしょ」
「お前、ほんとは頭いいんだな!」
ニコニコ顔のチーちゃんがまたわたしのこめかみをグリグリしてくる。わたしは慌てるふりをして、チーちゃんの平たい胸をひそかに狙う。
チーちゃんはわたしの成績のことを知らない。
ただのアホな女子として接してくれる。
それがとってもうれしい。
「でもさ、もしそうだとすると、キーちゃんはあたしにぜんぜん心を開いてくれてなかった、ってことになるよな」
「そうですね」
「で、人前で歌いたいっていうのは、やっぱ傲慢さの証しだよな」
「そう思います」
「それって、結構ショックだな……」
チーちゃんがわたしから目をそらす。
その視線の行く先は遠く遠くの巨大な白い塊──立山だ。
立山はいつだって富山県民を見守っている。
わたしたちが人生に行き詰まったとき、そこにはかならず立山がある。
立山様がそばにいる──。
そういう存在があることがいかに恵まれていたのかは、富山を出たことのない当時のわたしにはわからなかった。
「あたしは一人っ子だからよくわかりません」
わたしも立山を眺めながら独り言のように言った。
「ですが、とても近いからこそ、言えないこともあるんじゃないでしょうか?」
「……」
「すでに関係が出来上がっていて、その関係を大事に思うからこそ、関係が崩れるようなことはぜったいにしてはいけない、という覚悟のようなものがあるんじゃないでしょうか?」
「……あたしにはわからないよ」
チーちゃんは立山に向かって言った。
「あたしはそんなこと考えたこともない。だってキーちゃんとあたしの絆は絶対だから。どんなことがあっても崩れないっていう自信があるから」
「キーちゃんもおんなじように思っている、という自信はありますか?」
「あ、当たり前だろ! キーちゃんとあたしの絆は絶対なんだよ!」
わたしにとってチーちゃんは、〈ほんと、この人にはなにからなにまでひとつも敵わないな〉と嘆きたくなるような人であってほしかった。
わたしをアホ扱いして、小突き回して、〈まったくしょうがねえやつだなあ〉と苦笑いしてくれる人であってほしかった。
だから、動揺するチーちゃんを見るのは辛かった。
姉は妹のすべてを肯定してきたのだろう。
女の子らしさのかけらもないチーちゃんの言動は方々で非難され続けてきたにちがいない。
しかしキーちゃんだけはすべてを認めてくれた。
チーちゃんには、キーちゃんの肯定だけが支えなのだ。
だからチーちゃんにとって、キーちゃんは絶対でなくてはいけない。
それはチーちゃんの身勝手だ。
しかしすべてを肯定するキーちゃんは、そんな身勝手をも引き受けてしまったのだ。
わたしはキーちゃんを解放してあげたい。
キーちゃんならエラの歌がきっと歌える。
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