6 ハグ
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中一女子
・早川智子(チーちゃん)中三女子
・早川貴子(キーちゃん)高三女子で早川智子の姉
「貴子さん、昨日はごめんなさい」
わたしは体育の前屈のように深く頭を下げた。
「東京に行けだなんて、まちがった主張をしてごめんなさい。東京なんかに行ったらきっと貴子さんのよさは損なわれてしまいます。わたしが浅はかでした」
「ねえ、頼むから頭を上げて」
キーちゃんがそう言ったので、わたしは恐る恐る頭を上げた。キーちゃんは当惑した顔をしていた。
「あたしを許さないでください。痴漢のように軽蔑してください」
「もういいから」
「お前くどいぞ。それじゃあまるで脅しだ」とチーちゃんが怒った。
「ごめんなさい」
「お前の気持ちは十分伝わった。だからこの話はもうおしまいだ。いいな」
「……はい」
二人の気分を害してしまった。
謝罪というのはむずかしい。
わたしはもう帰ったほうがいいのかな。
しかし、これだけは伝えたい──。
「CD聴かせてもらいました。感動しました」
「あ、ありがとう」
「涙が止まりませんでした」
「えっ?」
「本当です。声をあげて泣きました」
「冗談でしょ?」
わたしはあの歌声を思い出してうるうるし出してしまった。
「冗談なわけないです。変な話ですが、わたしは貴子さんを抱きしめたくてたまらなくなりました」
いけない、声がうわずってしまっている。
「ちょ、ちょっと……」
「おい、お前なに言ってんだ? またキーちゃんを困らせる気か?」
チーちゃんが割って入った。
しかしこのときのわたしはどうかしていた。
「あたしだけじゃないです。チーちゃんも貴子さんを抱きしめたくてたまらないんです」
「おいお前、いったいどうしたんだ?」
「否定しないんですね。ええ、否定なんてできるはずがないです。ずっとずっとずっとそう思い続けてきたんですからね」
「ひびきちゃん、どうしちゃったの……」
キーちゃんが怯えたような声で呟く。
「スタジオのマスターも、演奏者の方々も、みんなそうですよ。みんなみんな、貴子さんを抱きしめたくて仕方がないんですよ」
「おいヒノキ、お前なにが言いたいんだ?」
「柊です。わたしが言いたいのは、みんなは大人だから〈抱きしめたい〉という衝動を抑えることができるけど、わたしは子供だから、ちょっと無理っぽいな、ということです」
わたしはキーちゃんの目をじっと見た。
キーちゃんは目をそらす。
「貴子さん、お願いです。ハグさせてください。わたし、もうどうにかなっちゃいそうなんです」
ドン引きしたチーちゃんが、歪んだ顔でキーちゃんの出方を伺う。
キーちゃんが口を開く。
「……まあ、ハグぐらいなら」
キーちゃんの体はこわばっていた。
わたしはゆっくりとキーちゃんの肩に腕を回し、自分の左の耳をキーちゃんの鼻のそばにもっていった。
そうやってキーちゃんの呼吸を感じたかったのだ。
そしてお互いの左胸が接触する。
わたしはキーちゃんの心音を感じたかったのだ。
そして、わたしの心音を感じて欲しかったのだ。
そうやって、わたしの気持ち悪い欲望ですっかり不快になって、わたしを思い切り嫌いになって欲しかったのだ──。
「ねえ、ひびきちゃん、もういいかしら……」
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