5 キーちゃんの歌声
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中一女子
・早川智子(チーちゃん)中三女子
・早川貴子(キーちゃん)高三女子で早川智子の姉
キーちゃんから自主制作CDを二枚いただいた。
一枚いくらで売っていたんですか、とわたしが尋ねると、どっちも二千円、とキーちゃんは恥ずかしそうに答えた。
「はじめはね。でもあんまり売れなかったから、千五百円、千円、って値下げしていったの。それでもこんなにあまっちゃって」
売れ残りのCDは五〇枚くらいあった。
「すいません。いま四千円もっていないので、とりあえず三千円お支払いします」
「いえいえ、いいのよお金なんて。ただでもらって」
キーちゃんがニコニコしながらそう言うので、わたしはムッとした。
「歌でご飯を食べようとする人が、自分の歌を安売りしてはいけません。わたしは意地でも四千円支払いますからね」
わたしは家に帰るとさっそくヘッドフォンでCDを聴いた。
一枚はピアノ・トリオをバックにしたジャズのスタンダード・ナンバー集で、もう一枚はピアノと弦楽四重奏をバックにした童謡集だった。キーちゃんの歌声を気に入ったスタジオのオーナーが、知り合いの楽器演奏者に声をかけて実現したもので、高校生のキーちゃんに持ち出しはなかったという。
結論から言うと、わたしは号泣した。
しかしわたしがこんなに涙にまみれるのは、わたしがキーちゃんをじかに見知っていたからであり、根っからの優しい笑顔、自信が持てず不安を拭えない弱さ、かたくなに地元に固執する臆病さをを知った上で、あの情感たっぷりの歌声を聴かされたからだ。
キーちゃんは東京なんかに行かなくていい。
実家で両親に守られた現在の状態で、もうすでにギリギリなのだから。
キーちゃんの歌声は、ギリギリの人だけが出せる歌声だった。
わたしはすぐにでもキーちゃんに謝りたかった。
地面につくくらい頭を下げたかった。
わたしは電話をかけた。
「チーちゃん、夜遅くすみません」
「どうしたの?」
「明日、貴子さんはいますか?」
「いるけど」
「貴子さんに謝りに行きたいんです」
「謝るって、何を?」
「東京に行け、って言ったことです」
「ああ、あれね。……まあ、おまえの言うことにも一理あるけどな」
「撤回します。貴子さんは東京へ行ってはダメです。少なくとも今は」
「今は、ね」
たぶん今、チーちゃんとわたしは同じようなことを考えている。
「まあ、無理強いはよくないよな。とくにうちのキーちゃんは」
チーちゃんは多くを語らなかった。
わたしも尋ねる必要を感じなかった。
「来てもいいけど、あんま気にすんな」
「ありがとうございます」
「おまえさ、なんか、生き急いでる感じがするよ」
「すいません」
「放課後ウチの教室に来な。いっしょに帰ろう」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
そう言ってわたしは電話を切った。
わたしはまたチーちゃんに抱かれたくなった。
チーちゃんに抱かれながら、キーちゃんを抱きたくなった。
私はクマのぬいぐるみの顔を股の間に押し付け、目を閉じ、チーちゃんのやれやれ顔を想像しながら激しく動かした。チーちゃんは年上だったので罪悪感は感じなかった。
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