180 急なバイト
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中一女子
・早川貴子(キーちゃん)高三女子
・早川智子(チーちゃん)中三女子、貴子の妹
・式波里砂(りさりさ)中三女子、智子の同級生でバンド仲間
・杉本鈴美(すずみ)中三女子、智子の同級生でバンド仲間
月曜日。
今日の三年生は富山市一斉テスト一日目で、科目は社会、国語、理科の三教科。
その三年生は午前中で試験を終え、すでに下校している。わたしは終業後そのまま一人チーちゃんたちのいる早川邸に向かった。
呼び鈴を鳴らすとチーちゃんが出迎えてくれた。その表情は明るかった。
「よう、ごくろうさん」とチーちゃんが言った。
声のトーンも高かったので、わたしは躊躇なく「試験どうでした?」と尋ねた。
「出せる力は出し切った感じだ」
「すごいじゃないですか!」
「五〇分間の集中タイムを毎日やったおかげだよ。ああいう勉強法は思いもつかないし、一人でやるのも気が緩んでむずかしい」
「がんばった甲斐がありましたね」
わたしは靴を脱いで家に上がり、廊下を歩いた。
が、リビングにキーちゃんのダンスする姿がない。
「キーちゃん、今日は踊ってないですね」とわたしは言った。
「ああ、急にバイトが入っちゃってね」
「バイト?」
わたしが来る日はシフトを入れないでいる、って言っていたのに……。
「なんでですか?」
「知らねーよ。急病人でも出たんじゃねーか」
チーちゃんの小さい背中がますます小さく見える。
リビングでキーちゃんと目が合ったら真っ先に謝ろうと思っていたのに。
キーちゃんがバイトを急に入れたのは、ムカつくわたしに会いたくないからだ。そうに決まっている。
わたしの目に暗い未来がありありと浮かんでしまう。
キーちゃんはずっとわたしを避け続け、わたしはずっとキーちゃんに謝れないままで、そうやってわたしたちの関係は朽ちていくのだ。
〈北陸パピプペポ〉の公演は間違いなく客が少ない。そこへわたしが出向いたらすぐにいるのがバレてしまう。だからわたしは公演へ行くこともできずに悶々として、暗い部屋で YouTube の配信を観ては匿名でエールのコメントを送るのだ。
そして二年後、わたしはキーちゃんにとって〈ムカつく女〉のまま、お別れも言えずに東京へ去ってしまうのだ。
だからせめて、
──勉強よろしくね
この約束だけはきちんと果たして、キーちゃんのムカつき度合いを少しでも下げておきたい。
わたしはチーちゃんの部屋に入り、「みなさんお疲れ様でした」と言った。
すずみちゃんもりさりさも暗い顔はしていない。
よいしょ、とわたしは腰を下ろして言った。
「今日のことはいったん忘れましょう。受験生同士でテストの出来を話してもメンタル的にろくなことがありません」
ああ、と三人が言った。
「土曜日と同じことを言いますが、明日は本番の試験二日目だと思って、体調を第一に考えてください。胃に優しいものをしっかり食べて、しっかりうんこして、お風呂でリラックスして、生理の人は腹巻きを巻いて九時に寝てください。起きてから四時間で脳はフル回転できるようになるので、五時に起きれれば理想的です」
「〈そして朝食はバナナなどの消化のいいものを軽めに食べてください〉、だろ?」とチーちゃんが言った。
明日は英語と数学。
みんなは各自気になるところを確認している。英語の教科書を読んだり、単語カードをめくったり、数学の教科書の例題を解いたり。
わたしは明日やる解き直しのために、今日の問題を借りてノートに解く。
「ねえ、これ、なんでこうなるんだっけ?」とりさりさが尋ねてきた。
「ああ、これはですね、……」とわたしは答える。
四人でいると気が紛れていい。
こういうのを友だち関係と呼んでいいのだろうか。三人にとってわたしは勉強を教えてもらえる以上の価値がある人間なのだろうか。友だちの輪の内側にいた試しのないわたしにはよくわからない。
そういえばわたしはキーちゃんから友だちの話を聞いたことがない。
キーちゃんにとってわたしは何だったのだろうか?
まるでわからない。
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