179 エゴ
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中一女子
・早川貴子(キーちゃん)高三女子
・早川智子(チーちゃん)中三女子、貴子の妹
・伯父さん 早川貴子・智子の父の年の離れた兄。七〇歳独身。大腿骨骨折により施設入所。
・吉影きら 櫻葉学院(東京の女子校)中等部二年
日曜日。
今ではもう、わたしの思うことすべてに
──それはただの身勝手なエゴじゃないか?
という囁きがついて回るようになった。
伯父さんとはうまくいったのかな?
家族の反対には遭わなかったかな?
チーちゃんは姉の打ち明け話を聞いてなにを思ったのかな?
しかし〈LINEやSNSは嫌いだ〉とはっきり言っていたキーちゃんのほうからわたしへ連絡が来るはずもない。
知りたければわたしから連絡するほかない。しかしわたしの口から出ることはすべてがわたしの身勝手なエゴに過ぎないのだ。
キーちゃんはどんなことを心配しているのだろう?
知りたい。
すごく知りたい。
四日前の水曜日だったら、そう尋ねてもすなおに教えてくれただろう。
しかし今のわたしはキーちゃんにとって〈ムカつく〉存在だ。
だから〈どんなことが心配なんですか?〉と尋ねたところで、それは〈ムカつく〉という評価を覆したいというわたしの身勝手なエゴの表明にしかならなくなってしまう。
わたしは朝から煮詰まっていた。
朝から冷蔵庫に眠る日本酒を口に入れたい気分だった。
ギターを弾いてもぜんぜん楽しくない。
鍵盤を叩いても自分の下手さに嫌気がさすだけだ。
わたしはふと、Mac に保存していたあの絵を思い出して画面に開いた。
いつ見ても惹き込まれる。
しかし壁に掛けて毎日眺めることはできない。
その溢れる情感をないがしろにせず毎日受け止め続けるだけのキャパシティを、人間の感情は持ち合わせていないからだ。
吉影きらさん──あなたはどんな人なんですか?
そして画布に描かれた、熱い思いを内に秘めたようなこの女の子は、あなたにとってどのような存在なのですか?
吉影きらさんの通う偏差値八〇の学校へ入るにはとにかく勉強しないといけない。
わたしは日がな一日、古本で買った各教科の「最高水準問題集」を解いていた。
外の音は積もった雪がすべて吸収し、階下で父母が楽器を弾く音だけが控え目なBGMのように小さく聞こえてくる。クリスマスに仲間内で行うライブの練習をしているのだ。
問題集の中には頭を悩ます問題もそれなりにあった。問題が難しければ難しいほど余計なことを考える余地がなくなり、わたしは心穏やかになれた。
どのみち二年と少し経ったらキーちゃんとは離れることになるのだ。それがちょっと早まっただけのことだ。
トイレに階下へ降りると、父が「胃はどうだ?」と訊いてきた。
「今日はマシだよ」とわたしは答えた。
「夕飯は鍋と雑炊にしようと思うんだが、なにがいいかい?」
「えっ、料理すんの?」
我が家の食事はいつも出来合いの惣菜を並べるだけなので、料理をすること自体が驚きなのだ。
「ひびきの胃が悪いっていうからさ」
わたしは鍋の種類はなんでもよかったのだが、いちばん調理が簡単そうなのはなにかな、と考えて、
「鶏がいいかな」
と答えた。
「じゃあ牡蠣鍋だな」
「なーんだ。最初っから牡蠣鍋って決まってんじゃん」
「いいや、牡蠣鍋に鶏を入れると絶品なんだよ」
わたしは体調のことを上手に隠しているつもりでいたのだが、色んな人にモロバレで、色んな人に心配されていたのだ。
恥ずかしいし申し訳ない。
月曜になったらキーちゃんにちゃんと許しを請おう。もちろんこれはわたしのエゴでしかないし、許しを請うことでキーちゃんをさらに怒らせてしまうかもしれない。
でも、そうなってもそれはそれで仕方がない。わたしの最大のエゴは〈キーちゃんに嫌われたくない〉というやつなのだから、これを賭けに差し出すことこそがわたしの示しうる最大の誠意なのだ。
どうせ泣くのなら、やれるだけのことをぜんぶやった上で後腐れなく泣きたいのだ。
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