176 心配性
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中一女子
・早川貴子(キーちゃん)高三女子
・早川智子(チーちゃん)中三女子、貴子の妹
・伯父さん 早川貴子・智子の父の年の離れた兄。七〇歳独身。大腿骨骨折により施設入所。
「そもそもね、町おこしイベントに有名な芸能人を呼ぶお金がないから代わりに、っていうのが〈北陸パピプペポ〉の発端だから、〈百万石まつり〉みたいな、芸能人を呼ぶイベントの態勢がそのまま流用されてて、けっこうしっかりしてるのよ。これでも不安?」
「不安です」とわたしは答えた。「ストーカーにたいしては警察ですら被害者を守れないでいます」
「心配性なのね」とキーちゃんは答え、わたしを胸元に抱き寄せた。「そんなに心配してくれてとっても嬉しい。だから、それに応えられないのがいつも申し訳なくて」
頬の感触で、キーちゃんがワイヤーブラではなくスポブラをしているのがジャージ越しにわかる。
「いいえ、あたしは十分すぎるほど受け取っています」
「あのね、〈北陸パピプペポ〉は世間一般のアイドルと言うよりは〈歌のお姉さん〉だから、恋愛ソングは歌わないの」
「えっ?」
アイドルが恋愛ソングを歌わない?
「だって、〈おさあさんといっしょ〉とかで〈君が好きで好きで好きでたまらな〜い♪〉とか歌わないでしょ」
「そんな生々しい歌のお姉さんはイヤですね」
「だからね、仮に〈北陸パピプペポ〉が大成功したとしても、疑似恋愛目当ての人は来ないと思うよ」
「だといいんですが、あの手の非常識な人たちは常に予想を超えてきますから……」
「もう、ホント心配性ね」
キーちゃんはそう言って、わたしの唇を人差し指でツンとつついた。
「……心配性ですみません」
不安に取り憑かれたわたしはもう一度キーちゃんの胸に顔をうずめる。スポブラに守られたその胸は二つのゴムまりのようで、わたしの頭は右に左にと気持ちよく弾んでしまう。
ああ、今日もまた墜ちてしまう……。
「明日ね、家族で伯父さんのところへ行くの」とキーちゃんは服を着ながら言った。「チーちゃんは置いていくけど」
「そうですか」と、罪悪感でいっぱいのわたしはつとめて平静なふりをして答えた。どうにも気持ちの切り替えがむずかしい。
「ひびきちゃんも来る?」
キーちゃんは元のジャージ姿に戻った。わたしも制服を着終えた。しかし服を着た今のほうがさっきよりもずっと照れくさいのはなぜなんだろう?
「せっかくですが、勉強があるので行けないんです。それに月曜から学調ですし」
「そうよね」
「でも、受験が終わったら一度会ってみたいな、とは思ってます」
だって、もしその伯父さんがいなかったらチーちゃんは歌を歌ってなかっただろうし、わたしがバンドの助っ人になることもなく、したがってキーちゃんとも出会えてなかったのだから。
「じゃあ伝えとくね。オールドロックが好きな子がいるなんて聞いたらすごく喜ぶと思う」
「よろしくお伝えください」
五〇分の集中タイムは試験を想定している。事前にちゃんとトイレを済ませ、始まる前の五分間はなにもせずに呼吸を整え、開始と同時に五〇分間めいいっぱい無言で自習をする。
だから三人がキーちゃんの部屋を訪ねてくることは考えられないのだが、世の中〈絶対〉はない。いつか見つかってしまうかもしれない。
「ごめんなさい。もうエッチなことはしません」とわたしは言った。
するとキーちゃんはわたしの下唇をつまんで「どの口が言う?」と言った。
「触られただけで発情する、このザコ唇がそう言ってます」とわたしは答えた。
キーちゃんはわたしの下唇をつまんだままぷるぷると震わせて「このザコが悪さをしてるんだな」と遊ぶ。そして、
「あたしがしたくなっても相手にしてくれないのかな?」
と言ってつまんだ手をぷるんと離した。
「……そういう場合は、まあ、仕方ないですよねえ」とわたしは冗談めかして言った。
すすとキーちゃんは床にごろんと仰向けに寝転んでこう言った。
「あーあ、ひびきちゃんみたいな妹がほしかったなあ! もう!」
それはわたしへのリップサービスではなく、本心からの言葉のように思えた。その口調には苛立ちが混じっていた。
「……あのう、もしかして、ストレス溜まってます?」
「あたしだってね、普通の人間なんだし、不安なんだから!」
わたしは自分がキーちゃんの気持ちをぜんぜん考えていなかったことに気づき、愕然とした。
「すいません。あたし、自分の心配事ばっかりぶちまけちゃって……」
「だからね、〈ごめん〉とか〈しません〉とかはもう言わないでほしい。あと〈仕方ない〉ってのもなんかムカつくよ」
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