174 元気
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中一女子
・早川貴子(キーちゃん)高三女子
・早川智子(チーちゃん)中三女子、貴子の妹
・式波里砂(りさりさ)中三女子、智子の同級生でバンド仲間
・杉本鈴美(すずみ)中三女子、智子の同級生でバンド仲間
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子、柊の同級生で友だち
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キーちゃんは今日もジャージ姿でダンスステップの練習をしていた。たぶんダンスをするための筋肉がついていないせいだろう、ステップは重たく見えた。
それでもキーちゃんは苦しそうな顔もせずに、むしろ楽しそうに、そして前向きに地道な練習を重ねている。そんな頑張るキーちゃんをわたしは応援したくてたまらなくなる。
キーちゃんはわたしたちに気づくと、タブレットの動画を止めて笑顔で手を振った。その姿がなんだかアイドルのように見えてわたしはドキッとした。
キーちゃんはタオルで汗を拭いながらわたしたちに近づいてきた。頬がきれいに紅潮してまるでチークを塗っているかのようだ。
「キーちゃん、よく会いますね。バイト辞めたんですか」とわたしは尋ねた。
「辞めないよ。ひびきちゃんの来る日はシフトを入れないようにしてるだけだよ」とキーちゃんはさらっと答えた。
わたしに合わせてくれているんだ──わたしはそのひと言でたまらなく幸せになれた。
「嬉しいです」
「あたしもよ。じゃあ勉強よろしくね」
「はい!」
「お前さ、さっきまで浮かない顔してたけど、キーちゃんの顔見ただけですっかり元気になっちゃったな」とチーちゃんが訝しげに言った。
「それってほら、〈推しに元気をもらう〉ってやつじゃない?」とすずみちゃんが言った。「ひびきちゃんは〈キーちゃん〉推しなんでしょ?」
トモちゃんもそんなことを言っていた。わたしはキーちゃんのことが大好きだが、それが〈推し〉的な感情なのかと問われたら答えに窮してしまう。
「正直〈推し〉というのがどういう意味なのかよくわからないんですが、キーちゃんのフラジャイルな歌声にはすごく惹かれます」
「だいたいさあ、なんで貴子さんのこと〈キーちゃん〉なんて呼んでんの?」とりさりさが尋ねる。
「そうそう」とすずみちゃんも同意する。
わたしは〈推し〉という言葉の都合のよさと、女性アイドル推しの女性ファンが築いてくれた賜をありがたく思った。〈推し〉ということにしておけば大概のことはごまかせてしまう。
「キーちゃんが〈キーちゃん〉って呼んでいいって言ってくれたから、そう呼ばせてもらってるんです。〈キーちゃん〉って呼ぶと、なんだか年の差がぐっと縮まって、友だちになったような気がして嬉しくなるんです。こんなこと思うなんて、やっぱり自分はキーちゃん推しなんですかね」
そして五〇分足らずの逢瀬──いまのわたしはほとんどこのためだけに生きている。
わたしたちは今日も横に並んで床に座り、壁に背中をもたれている。ベッドに並んで横になると、ぜったいにそうなってしまうからだ。劇薬はもしものときにとっておきたい。
「キーちゃん」
「なに?」
「あたし、アイドルというものを調べれば調べるほど恐ろしくなるんです」
「なんでアイドルが恐ろしいの?」
キーちゃんはにこやかな笑顔でそう尋ねる。
「アイドルは大勢の人の我欲を一身に引き受けるんです。いけにえなんです」
そう言って、わたしはホラーシーンに怯える子どものようにキーちゃんを抱きしめた。
「だから恐ろしいの?」
「アイドルだって人間です。他人の我欲へ無限に奉仕できるわけじゃない。だからかならず破綻が生じるんです。奉仕を優先させれば自分が破綻し、自分を優先させれば大勢の好意が憎悪に反転するんです」
「大丈夫よ」とキーちゃんは答え、わたしの頭をやさしく撫でた。「あたしはそんな器じゃないから」
「キーちゃん……」
「それに、そういうのってアイドルに限らないでしょ。ジャニス・ジョプリンとか、カート・コバーンとか、一時期のジャスティン・ビーバーとか」
「ジャスティン・ビーバーはアイドルですよ」
「日本のアイドルとはぜんぜん違うよ」とキーちゃんは言った。
「……そうですね」
「日本のアイドルってのはね、男を作らず、SNSをやらなければ大丈夫なんだから。で、それっていまの自分とぜんぜん変わらないし。だから楽勝だよ」
「楽勝ってのは、ちょっと……」
「大丈夫。あたしたちは富山、石川、福井の三県にがっちり守られてるんだから」
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