172 プリキュア
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中一女子
・式波里砂(りさりさ)中三女子
・式波岳 中二男子でりさりさの弟、美術部所属
・杉本鈴美(すずみ)中三女子
・早川智子(チーちゃん)中三女子
アイドルへの恐怖は増すばかりだ。
チーちゃんは火木土が塾なので、今日木曜日はりさりさの家に行く。
りさりさの家にはわたしが唯一まともに話せる男子である岳くんがいる。アイドルについて訊かない手はない。
すずみちゃんは式波邸にはあまり来ない。イケメンで指導が下手な学生バイトに教わっていた個別指導塾はとっくに辞めていたのだが、ムードメーカーのチーちゃん抜きで、りさりさとわたしという話術のない二人と勉強するのがくたびれるようだ。今日もすずみちゃんは来ず、りさりさとわたしの二人きりだ。
じつはわたしもりさりさとの差し向かいになるのはくたびれる。りさりさは本当にがんばり屋で、そして依然として合否のボーダーにいるからだ。
りさりさは必死だ。
わたしはその必死さに押しつぶされそうになり、逆に岳くんは必死な姉の姿に貴い美を見いだしている。
一時間ほど勉強した頃、岳くんが紅茶と焼き菓子を持ってきてくれた。わたしたちは少し休憩し、岳くんは離れた位置に体育座りをしてスケッチブックを広げる。
「岳くん」と私は声をかけた。
「はい、なんですか?」と岳くんが尋ねる。岳くんはわたしより一つ年上なのだが、〈姉さんの先生なんだから馴れ馴れしくはできませんよ〉とわたしへは敬語で話してくる。
「好きなアイドルとかいますか?」とわたしは尋ねた。
「うーん」と岳くんは唸った。「アイドルの定義によります」
「と言いますと?」
「小さい頃、姉さんがプリキュアが大好きで、よく一緒に観ていたんです」
するとりさりさがものすごく焦った様子で「なに言ってんだバカヤロー!」と弟に罵声を浴びせた。
わたしはプリキュアに夢中になる幼いりさりさを思い浮かべ、顔がニヤけてしまうのを素数を数えて必死にこらえた。
「印象に残ってるのは〈HUGっと!プリキュア〉っていう、けっこう複雑なストーリーのやつです。僕はまだ八歳であんまり内容を理解できなかったんですけど、姉さんといっしょに夢中になって観ていました」
「あたしはなんとなく観てただけだからな」とりさりさは苦しい弁解をした。
「もしプリキュアをアイドルと呼んでいいのであれば、僕の好きなアイドルは〈HUGっと!プリキュア〉のプリキュアたちです」
まったく予想外の返答だった。
「もしかして、岳くんは二次元が好きな人なんですか?」とわたしは尋ねた。ぜんぜんそんなふうには見えなかったからだ。
「違います」と岳くんははっきり答えた。「プリキュアは二次元じゃないです」
「二次元だろ」とりさりさがすかさず言う。
しかしわたしには、岳くんが詭弁を言っているようにはまったく見えなかった。
岳くんは姉の発言を無視してわたしに語った。
「八歳の僕にとって、テレビの中のプリキュアたちはみんな現実にいる生身の人間で、僕よりずっと年上の憧れのお姉さんたちでした」
「そうですよね。小さい頃は現実と空想の世界を区別したりはしないですもんね」とわたしは言った。
「でも、いま気づいたんですが、僕は中二で、とうとう彼女たちと同い年になったんです。なんだかとても不思議な気がします。まるで彼女たちの生々しい息吹をそばに感じるようです」
「キモいんだよてめーは」とりさりさは弟をなじった。しかし岳くんの語りはあまりにも誠実だったので、わたしはキモさを一切感じなかった。
岳くんにとっては、現実と空想の区別がつく今のほうが、八歳のころよりももっと生身の度合いが増している──すごい想像力だな、とわたしは思った。片やわたしはドキンちゃんやばいきんまんを一度として生身の生き物だと思ったことはない。わたしはすなおに負けを認めた。
岳くんは最後に「だから、プリキュアは僕にとって生身のアイドルにほかなりません」と断言した。
「なんとか48とか、なんとか46には興味はないんですか?」とわたしは尋ねた。
「ないですね」と岳くんは即答した。「プリキュアたちの貴さにくらべたら、もう、幻滅しかありません」
「そうなんですか……」
わたしは唯一の頼みである岳くんからなにも情報を得られなかった。わたしのアイドルへの恐怖はこれからも続くのだ。
「ところで柊さん、アイドルがどうかしたんですか?」
「いやあ、……ちょっと訊いてみただけです」とわたしは言った。「男子はみんな同じ衣装を着て横一列に並んだアイドルグループが好きなんだと思ってたんですが、意外にそうでもないんですかねえ」
すると岳くんはこう答えた。
「柊さんは知らないほうがいいですよ」
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