170 Tower of the Sun
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中一女子
・早川貴子(キーちゃん)高三女子で早川智子の姉
・早川智子(チーちゃん)中三女子
・伯父さん 早川貴子・智子の父の年の離れた兄。七〇歳独身。大腿骨骨折により施設入所。
「それでOKしたんですか?」とわたしは尋ねた。
「うん」とキーちゃんは答えた。「バイトしながら弱小事務所に所属して音楽活動するよりはよっぽどいいかな、って思って」
「就職は考えなかったんですか?」
「だって、もしチャンスが訪れて、〈すいません、その時間は仕事なんです〉ってなったらイヤじゃない。代わりなんていくらでもいるんだし」
「キーちゃんの代わりなんていませんよ!」
するとキーちゃんは笑ってこう言った。
「ありがとう。でもね、今の世の中には唯一無二の人なんてゴロゴロいるの。もう、うんざりするくらい」
キーちゃんは富山県の会計年度任用職員になるのだという。契約は一年単位で、正規雇用ではないが、それでも公務員であるため兼業はできない。つまり、給与が保証される代わりに、契約期間中はオーディションへ出られず、ギャラの出るライブも行えない。
「それでもいいんですか?」とわたしは念を押した。
「ほら、ときどき駅前で路上ライブやってる人がいるじゃない」とキーちゃんは言った。
「はい」
「けっこう歌も演奏もうまいのに、ほとんど誰も見てなくて」
「そうですね」
「あたしだったら心が折れると思う。だって、あたしには歌しかないのに、その歌が〈立ち止まって聴く価値もない〉ってみんなに思われるとしたら、たぶん死にたくなると思うの」
わたしもそれは、キーちゃんには無理だと思う。
キーちゃんだけじゃない。酔狂な道楽だと割り切ってる人でない限り、ほとんど不可能なのだ。
今、わたしの頭の中ではあいみょんの「Tower of the Sun」が流れている。デビュー前の無名のあいみょんが、周りから嘲笑され、たった一人で苦しみ続けた心境をストレートに歌った曲だ。
「よかったですね」とわたしは言った。「このチャンスを生かして下さいよ」
「不安なの」とキーちゃんは漏らした。
「はい」
「まだ始まってもいないのに、前向きになるのに疲れている自分がいるの」
「はい」
「無理に前を向いてると、なんだか心がすり減ってくる感じがしちゃうのよ」
「じゃあ、たまには後ろを見ましょうよ」
「後ろ?」
「施設にいる伯父さんですよ。ツェッペリンを生で観たという。キーちゃんもチーちゃんも、音楽の原点はその伯父さんなんですよね」
わたしがそう言うと、キーちゃんは顔をほころばせた。
「そういえば最近会ってないね」とキーちゃんは言った。
「伯父さんの家は残ってるんですか?」
「うん。放置してある」
「じゃあ、伯父さんと一緒にその家へ行く、ってのはどうでしょう? いいステレオがあるんですよね?」
「子どもの頃を思い出して泣いちゃうかも」とキーちゃんは笑った。
「その席で、アイドルのこと、ご家族にも話したほうがいいと思います。一人で抱え込むのはよくないと思います」
一人で抱え込んでいるわたしは、厚かましくもそんなことをキーちゃんに勧めた。
「でも……」
「あたしは会ったことないですけど、チーちゃんから話を聞く限り、もしご家族が反対されても、その伯父さんが説得してくれるような気がします」
われながら無責任だなあ、と思いながらそんなことを口にすると、キーちゃんは瞼を閉じて、わたしの唇に、チュッ、とキスをした。
「ひびきちゃん、ありがとう。なんか、伯父さんの家を思い出しただけでずいぶんと気が楽になれたよ」
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