168 K-POPと良心
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中一女子
・早川貴子(キーちゃん)高三女子で早川智子の姉
・久保田友恵(トモちゃん)柊響の同級生で友だち
〈なんとか46〉よりもはるかに北朝鮮的なのが K-POP だ。
整形が必須だなんて狂気でしかない。たぶんそんな調子で性格も思想も私生活もなにもかもが北朝鮮的に統制されているのだろう。北も南も同じ民族だから発想もおのずと似てくるのだろうか。
ただわたしたちの眼前には、アイドルが北朝鮮的であればあるほど利益が生まれるという否定できない事実がある。そしてSNSでネタとして晒されるように、アイドルオタクには救いがたいほどにダメな人間も含まれる。だがそうではない人も相当数いて、両者は等しく頭を空っぽにしてライブに熱狂する。また当然ながら、わたしのようにアイドルに興味のない醒めた人間もいる。
だからこう言わないといけない。
人間性の優劣にかかわらず、人間の何割かには、北朝鮮的アイドルに感応する快楽レセプターがあるのだと。
そういう人は北朝鮮的アイドルを見ただけで自動的に脳内に快楽物質が分泌され、自動的に陶酔する。人間は社会的動物だから、アイドルの集団性自体に陶酔する性質は、特に一人でいるのが辛い人にとっては、進化論上優位であると言えるだろう。
一人でいるのが辛い人が、北朝鮮的アイドル集団に身を投じ一体化することで、まるでエンパワーされたかのように錯覚し、狂喜し、しかし終わってみれば自身の辛さは何ら変わるところがない。ああ辛い、だから──そうやって悪循環は金が尽きるまで続いていく。
あいみょんは違う。
あいみょんは空に輝く孤高の星だ。
そのとてつもない向上心に感化され、わたしも前に進みたくなる。
わたしが暗い夜道に迷ったとき、あいみょんの放つ光はわたしの足下を照らしてくれる。
そしてわたしは考える──あいみょんならどう言うか?
──アイドルになる? ええんちゃう? 友だちを信じてみなよ。
そういう声が聞こえた気がした。
……。
そんなことを悶々と考え続けた次の朝、わたしはトモちゃんに K-POP のことを訊かれたのだ。
わたしは勢い余って K-POP の悪口をトモちゃんへまくし立ててしまった。K-POP という非人道的なシステムがアイドルたちの心をことごとく蝕んでいると。そのときのわたしは悪口を言うのに夢中で、トモちゃんが悲しそうな顔をしているのに気づかなかったほどだ。
トモちゃんはわたしにこう言った。
「K-POP の人は不本意に自分を押し殺してるんでしょ。もしそんな人たちを応援したら、わたしもその人たちをちょっとだけ不幸にさせていることになるんでしょ。そんなのはあたしイヤだな」
トモちゃんはわたしにとってキーちゃんとは別の意味で大切な人だ。キーちゃんとは五歳も年が離れているので、わたしは精一杯背伸びをする必要がある。いっぽうトモちゃんは同い年だから、わたしは等身大のままでいられる。同じ理由で、キーちゃんが受け止めてくれるものを、トモちゃんは受け止められないかもしれない。だからわたしはトモちゃんを大事に扱いたい。大事に扱いすぎて愛想を尽かされても、それはそれで仕方がないと思っている。
わたしはトモちゃんにこう言った。
「アイドルってのはね、倫理的でない心の仕組みを利用した恐ろしい商売なんだよ。だからアイドルを推すとき、良心のある人ほど葛藤するんだ。今みたいにトモちゃんが葛藤するのは、トモちゃんにきれいな良心がある証しなんだよ」
これは証しというよりも、むしろわたしの願望だった。
そうでなければ、わたしはトモちゃんを軽蔑し、失うことになるからだ。
※ 後半は〈68 K-POP〉〈69 良心〉を別視点から眺めた話となっています。
※ この第7章では、好きな人がアイドルとなることについての葛藤が描ければと思っています。
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