165 優しい悪魔
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中一女子
・早川貴子(キーちゃん)高三女子で早川智子の姉
・早川智子(チーちゃん)中三女子
夜七時、わたしはキーちゃんの部屋の扉を五回ノックする。すると扉は無音で開き、わたしは中へ吸い込まれる。そして扉は静かに閉められ、施錠される。
わたしたちは挨拶代わりのハグをする。そしてわたしは背伸びをし、挨拶代わりのキスを交わす。
キーちゃんはそのゆるふわな外見に反して極めて残酷な心の持ち主で、その気がまったくないにもかかわらず、パンツを脱ぐ以外のことならなんでも自由にさせてくれる。
ガンガンに暖房を効かせた部屋で、ときにわたしの服を脱がせたりもしてくれる。パンツ以外は──もはや最後の一線はこんなにも頼りない。
これがどれほど不毛なことかは十分すぎるほど分かっている。だがそんな理屈は〈したい気持ち〉の前ではまったくの無力だった。わたしはキーちゃんのひんやりとした優しさの中で遊んで溺れて苦しくなるのを飽きもせずに繰り返している。
キーちゃんとこんな関係になってしまったのは、わたしがチーちゃんたちの熱意に圧されて体調がおかしくなっていった十一月の最終週あたりからだ。
チーちゃんたちには毎回五〇分間、無言で集中する時間を設けいている。一科目の試験時間である五〇分のあいだ集中し続ける力を養うためだ。その五〇分がキーちゃんと二人きりになれる貴重な時間だ。
ただ、キーちゃんはレッスン費を捻出するため8番らーめんでバイトをしているので、会えない日も多い。だから会える日の五〇分は本当に貴重な時間だった。
それまでキーちゃんとは、わたしが家から持ってきたカルパスなんかをつまみながら音楽の話をしたりするだけだった。わたしはそれだけで十分満たされていたし、それ以上を求めようとも思わなかった。それになにより、キーちゃんの前ではさわやかで屈託のない子どもでいたかったのだ。どろどろとして鬱陶しいめんどくさい面はもう見せたくはなかったのだ。
しかしその日はダメだった。
口をすぼめてカルパスを少しずつ食べるキーちゃんの唇がもぞもぞ動く様子を見ていると、とつぜん心の中に寂しさの大波が押し寄せてきて、わたしは声も上げずに泣いてしまったのだ。
「もしあたしに彼氏がいてね」と、あの日キーちゃんは言った。「あたしが弱ってるとき、どうしてもらったら嬉しいかな、って想像すると、やっぱり、ぎゅーっと愛されたいかな、って思ったのよ」
そんな風にしてキーちゃんは、キーちゃんが男に人にしてもらいたいと思っていることをわたしにしてくれた。
わたしはわたしで、キーちゃんは男の人にこんなことをされたら嬉しいのかな、と思うことをキーちゃんにした。
このようにわたしたちを介在する謎の男をわたしたちは二人とも知らない。
屈託のない子どもはカルパスを呪いながら溺死した。
暗い願いは叶えられた瞬間に謎へと変わる──自分がほんとうに望んでいたのは何なのか? わたしは混乱が過ぎて涙も止まってしまった。
そう。わたしはキーちゃんの悪魔的な善意に混乱させられただけだった。
この心境はたぶん、キーちゃんが〈ぎゅーっと愛されたい〉という言葉で思い描くものではぜんぜんなかった。
ひとり帰路につくわたしは相変わらず寂しいままだった。
その寂しさを忘れるため、わたしは優しい悪魔に来る日も来る日もしがみついた。
この完全な悪循環は、わたしが学校の靴箱で盛大に嘔吐するまで続いた。
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